以前、ひとりで横須賀の観音崎に行き、
岬の公園をずっと歩いてきた。
東京湾を一望し、釣りや潮溜まりに生きものを探したりしている家族連れを見て、
大きな船が海を滑るのを見て、潮に削られて露になった美しい地層を見て、
ボート部の掛け声を聞き、鶯の鳴声を聞き、
どこからか降る山ざくらの花びらを手に受け、
風が葉を渡る音を聞き、ただ歩いてきた。
本当は岬の先端に立つ像の横に行きたかったのだけど、
場所が場所だけに閉鎖されていて、そこまで行くことは出来なかった。
行きたい、と言うよりは、行かなきゃ。という感情だった。
そんなことは珍しく、大抵は途中で面倒になって止めてしまうのだが。
ああやって、時間を気にせず、景色の中に身を置いていると、
固い固い心の殻に、一瞬、ヒビが入る感覚を覚える。
それは大抵、もう長く昔の話になってしまった、一家団欒の記憶とともに現れる。
日常で着飾っている、アレやコレやの自我を一枚ずつ剥がしていけば、
最後の方に残るのが、こういった記憶なんだろう。
そんな時、僕はどんな顔をして立ってるんだろう。
鏡では、最近険しいばかりの顔しか見ていない。
岬の公園をずっと歩いてきた。
東京湾を一望し、釣りや潮溜まりに生きものを探したりしている家族連れを見て、
大きな船が海を滑るのを見て、潮に削られて露になった美しい地層を見て、
ボート部の掛け声を聞き、鶯の鳴声を聞き、
どこからか降る山ざくらの花びらを手に受け、
風が葉を渡る音を聞き、ただ歩いてきた。
本当は岬の先端に立つ像の横に行きたかったのだけど、
場所が場所だけに閉鎖されていて、そこまで行くことは出来なかった。
行きたい、と言うよりは、行かなきゃ。という感情だった。
そんなことは珍しく、大抵は途中で面倒になって止めてしまうのだが。
ああやって、時間を気にせず、景色の中に身を置いていると、
固い固い心の殻に、一瞬、ヒビが入る感覚を覚える。
それは大抵、もう長く昔の話になってしまった、一家団欒の記憶とともに現れる。
日常で着飾っている、アレやコレやの自我を一枚ずつ剥がしていけば、
最後の方に残るのが、こういった記憶なんだろう。
そんな時、僕はどんな顔をして立ってるんだろう。
鏡では、最近険しいばかりの顔しか見ていない。