けんのぺーじ

英知とは、自分の使命とその使命を果す方法をしること トルストイ

2010年

2010-02-14 02:50:33 | 徒然なるままに。。。
2010年が始まって、もう一月半が過ぎたなー。

時間は止まってくれず、巻戻ってもくれず、どんどん刻んでいってしまう。

今日は旧正月の1月1日。

日本は歴史的に、黒船来日前までは中華圏だったのに、

そのごはアメリカの属国となってしまった。

アメリカなんか、いまや世界の爪弾き者なのに

そのアメリカにどこまでもついていく日本。

小沢さんも結局アメリカ恐怖主義だから変わらないだろうな。

あーやだやだ。

日本は大好きだけど日本人はやめたくなるよ。

民主党もどんだけ国債発行するつもりだよ。

あんたらは先に死ぬからいいけどこっちは

借金だらけにされるのはまじ勘弁だよ。

無能な鳩山はとっとと辞めろ。


これからはやっぱり

中華圏とEUでしょ。

日本はもっとアジアに眼を向けて、盟主としてではなく

アジア圏の一員として協調すべきだと思う。

それから、EUはEU/ユーロ 両方の観点から

平和的にその領域を広げている。

いずれ、アメリカよりもむしろロシアのほうが

EUに近い存在になるだろう。

そうしたら、日本の隣はEUだよ?

日本の文化はガラパゴスゆえに

すばらしい独特な味わいがあるけれど

そこに住む人はせめて

国際的に、日本でも2ヶ国語、3ヶ国語が

話されるようにならないと

国際社会に取り残されてしまうと思うよ。

21世紀にあって

「地元」意識とか 「実家」意識ばっかり

深くなって「地元にしか」根付いていないのは

危険だし 将来ないと思うよ。

「地元にも」根付いているのが理想なんじゃないかな。

なんにしろ

現状とか 常識を どんどん壊していかないと

差は広がっていくばかり。

旧正月も新正月も同じ正月だけれど

毎年一回しかないし同じ正月は二度とないからね。

同じ人生も二度とないからね。

新年快楽!恭喜發財!紅包掌来!

ここ最近の読書

2009-10-24 19:51:26 | 諸書巡歴
長らく更新してませんが、

台湾は気温が下がり

短い秋を迎えました。

さて、ここ最近読んだ小説をまとめようと思います。
しばらく読書しない期間がありましたが、読むと
刺激にも糧にもなりますね。

1)司馬遼太郎『功名が辻(一)~(四)』文春文庫
 ・あらすじ
  戦国時代、織田信長の家中にあった伊右衛門こと
  山内一豊は、妻・千代の励ましを受けつつ秀吉、
  家康と主を変えついには土佐一国の国主大名となる。

 ・真面目に主に仕える夫を、智慧をもって支える聡明な
  妻・千代が印象的。

2)堂門冬二『立花宗茂』集英社文庫
 ・あらすじ
  九州は大友家の家中、高橋紹運の息子として誕生した
  宗茂は同じ大友家の家老である立花道雪に認められ、
  道雪の娘千代の婿となる。
  大友家は島津による侵略を受け道雪、紹運は義を貫き通し
  玉砕する。宗茂も後一歩で危ういところまでいったが、
  大友宗麟の願いを聞き届けた豊臣秀吉の島津征伐軍が
  九州へ来たことで一生をえ、秀吉のもと柳川城主となる。
  秀吉没後、宗茂は関ヶ原で石田三成に味方したため、
  柳川を没収され、加藤清正の熊本城、京都、そして江戸へと
  流浪する。
  江戸でひょんなことから秀忠のお相伴衆として召し上げられると、
  その後は秀忠に重用され、ついには柳川藩主として返り咲く。

 ・家臣に養ってもらいながらも、宗茂の義を貫き通した姿は
  人心の安定しない戦国時代にあって、ひときわ大きな輝きを放つ。

3)堂門冬二『徳川秀忠』学陽書房人物文庫
 ・あらすじ
  江戸幕府初代徳川家康と3代家光の間にありさもすれば
  凡将と評価されがちな秀忠。
  著者はその秀忠に焦点を当て創業と守成の観点から再評価を行った。

 ・偉大な父を持っても腐らず、自分なりの政道を模索し実行を
  続けた秀忠の真っ直ぐな生き方は、老獪な家康とは異なり
  学ぶべきところがある。

4)堂門冬二『鍋島直茂』学陽書房人物文庫
 ・あらすじ
  九州、龍造寺家で若くして家老となった鍋島直茂。
  愚将を支えつつも天下の形勢を見つめ、秀吉にも認められる
  才覚を輝きはなつ。
  著者は直茂の生涯を追いつつ、幕末まで佐賀藩に伝えられた
  「葉隠精神」のルーツに迫った。

 ・佐賀といえば結構前に芸人ハナワが歌っていたが、
  戦国にルーツを辿れば鍋島直茂という秀吉が絶大なる
  信頼を置いた大名が治めていた。御壁書21条には、
  葉隠精神が表されるが、それは人の和、一国の団結を
  目的としたものであり、現代にも活用できるものだといえる。
  佐賀県はこのあたりをもっとアピールすればいいのに、
  と思う。

5)堂門冬二『上杉鷹山(上・下)』学陽書房人物文庫
 ・あらすじ
  江戸中期、赤字で潰れそうだった米沢藩を建て直し救った
  上杉鷹山。九州、秋月藩から養子として米沢に婿として入った
  鷹山の行く手は決して平坦でなかったが、領民への「愛」を
  胸に改革を断行しかつてケネディ大統領にも「最も尊敬する
  日本人」と言わしめた生涯を描く。

 ・学生の時に読むのとまた違いますね。
  

6)海音寺潮五郎『武将列伝(戦国終末篇)』文春文庫
 ・あらすじ
  黒田如水、蒲生氏郷、真田昌幸、長會我部元親、
  伊達政宗、石田三成、加藤清正を描く。

7)海音寺潮五郎『武将列伝(江戸篇)』文春文庫
 ・あらすじ
  真田幸村、立花一族、徳川家光、西郷隆盛、勝海舟を描く。

8)海音寺潮五郎『乱世の英雄』文春文庫
 ・歴史小説第一人者である著者が歴史の面白味を
  語る一冊。

9)海音寺潮五郎『悪人列伝』文春文庫
 ・あらすじ
  日野富子、松永久秀、陶晴賢、宇喜多直家、
  松平忠直、徳川綱吉を描く。

10)司馬遼太郎『覇王の家(上下)』新潮文庫
 ・徳川300年の礎を築いた徳川家康と家臣団を描き、
  その特徴に迫る。

11)司馬遼太郎『街道をゆく40 台湾紀行』朝日文庫
 ・国家とは何か、その命題を考えるにあたり
  最も身近なところでモデルケースとなり得る台湾。
  台湾を歩き、人に会いその命題に迫る。

12)松本清張『点と線』新潮文庫
 ・推理小説に社会派ミステリーの新風を巻き込んだ、
  名作。

13)川北義則『男の品格』PHP文庫
 ・仕事もプライベートもぎすぎすしない、「ゆとり」を
  持つことが男の魅力を生むらしい。

14)堂門冬二『直江兼続』集英社文庫
 ・上杉景勝に仕えながらも秀吉から30万石を与えられ、
  天下の陪臣と認められた兼続の生涯を描く。

15)司馬遼太郎『言い触らし団右衛門』中公文庫
 ・生涯自らの名を広めようとアピールしつづけた
  壇団右衛門を主題に描く。


暑いときは熱くて辛いものがいい

2009-06-25 03:46:19 | 徒然なるままに。。。
「暑い時には熱いものを食べると、

汗をかいて涼しく感じる--」


以前、何かの健康番組か料理番組でこんなことを

言っていたのを思い出し、今日のランチは

会社のそばの牛肉麺屋さんで食べました。

(確か番組ではラーメンを食べていたはず。)


台湾はいろいろおいしい食べ物があるのですが、

牛肉麺は名前の通り、牛肉の塊りとラーメンより太い

麺がスープに入ったラーメンみたいな料理です。

私の場合は辛めが好きなので、いつもは紅焼

(砂糖を油で炒め、醤油を加えて煮たあとに、唐辛子を入れ

 作ったスープ)を食べるのですが、今回は

紅焼よりさらに辛い、麻辣牛肉麺に挑戦しました。



結果、体格の大きい同僚にクーラーの風を遮られたこともあり、

暑い中熱くて辛い牛肉麺の効果てき面でびっしょり汗だくになりました。

しかし、その分外に出てみると結構風が爽快でした



暑い時は熱いものを食べるに限りますね

台湾は夏か、それ以外の季節か、という「二季」で、

断然夏が長いので、こうゆう選択肢もたまにはありかな、と思いました。

(ここまで書いて、何て影響を受けやすい自分なんだろう、と


----------------------------------------
全国平均レギュラーガソリン円/L
6/22週 : 121.9(+0.7)
6/15週 : 121.2

梅雨とマンゴー

2009-06-16 15:51:28 | 徒然なるままに。。。
6月も中旬になり、日本では紫陽花(アジサイ)が
水彩画のような淡い色で咲いているのでしょうか。

台湾も日本同様、先週くらいから本格的に
梅雨の時期を迎えております。
土日には喫茶店にいたのですが、そこも停電するほどの雷雨でした。
先週から3度ほど台南に来ているのですが、全て豪雨。
今日台南へ来たら久しぶりにに晴れていました。

6月といえば、台湾ではマンゴーとライチが旬なシーズンです。
特にこの時期のマンゴーは絶品で、口に入れると甘くとろけます。
料理屋さんなんかでも最後にマンゴー出してもらうと、
まさに「別腹」というわけで、一度食べると食べ終わるまで止まりません。

ところがこのマンゴー、実は今年は例年に比べ高値で取引されているようです。
理由は2つ。
1つは、今年は台湾は降水量が少なかったため、花が育っても実ができなかっため。
2つ目は、収穫期に入ったとたん、豪雨が襲ったため、だそうです。
マンゴーは水に弱く、日本でも雨から守るためにハウス栽培されているくらい繊細なんです。

梅雨に雨が降らないと夏以降に困るわけですが、
降りすぎも困りますね。

ちょっぴり高値とは言っても、季節もののマンゴー。
しっかり味わって夏を迎えたいと思います。

ジョギング

2009-04-25 20:39:31 | 徒然なるままに。。。
前回、

「桜が目いっぱい、花びらを散らすように、
 新たな気持ちで全力で走りきろうと思います。」

と書いたこともあり、最近ジョギングを始めました。

なんでこの時期にジョギングかと言うと、

1)友人(横浜の美容師)がジョギングにはまっていたこと、
(話を聞いて単純に楽しそうだと思った)

2)最近毎日飲んでおり、体重増加が深刻になってきたこと、
(年を重ねることで新陳代謝が弱くなってきており、
 このままでは好きなお酒の量を減らさなければ、
 取り返しがつかなくなりそう)

3)土日くらいは運動してスカッとしたいこと
(広島のときはサッカーなどでストレス解消してたので)

が理由です。


特に平日は仕事とお酒にどっぷり浸かっているぶん、土日くらいは
体を動かさないと、気持ちの切替が出来ないなと思います。

そんなこんなで、ジョギング開始したのですが、
はじめはマンションにあるランニングマシーンでやってました。

ところが、これが結構だるい。
走っている途中はいいのですが、景色が変わらなくて飽きるし、
走り終わって機械を止めると、なぜかめまいがとまらない。

そこで外で走ることにしました。

台北は歩道が結構凸凹しており、普通に歩いていても足元見ないと
つまずいたりしてしまいます。
家の近くの公園まで行って走ることにしていますが、行く途中も凸凹デコボコ。

さらに大胆にわんちゃんのふんが所々にちらかっており、
日本で皇居のお堀端を走っているニュースを見たのをうらやましく思ってます。

台湾は既に30度超える日もあり、いつまで続くかわかりませんが、
今年は頑張って続けて、どこかのマラソン大会に出たいと思います

日に新たに

2009-04-08 21:30:05 | 徒然なるままに。。。
ちょうどこの4月で大学に入学して10年、
卒業して就職してから5年がたちました。

まさか10年前の今日は、今この場で仕事を
しているなんて、これっぽっちも思っていなかったので、
本当に人生は不思議なものだと感じます。

さて、4月といえば新たな出発の月ですね。
先日、会社でもある方の伝手で坂田さんという方と
知り合いになりました。


ある人「これがドアホウのけんです。」

けん「はじめまして。ドアホウのけんです。」と挨拶。

するとその方は、






「はじめまして。アホの坂田です。」





思わず爆笑してしまいました。
最初に「ある人」が「ドアホウの」と形容する際に
既に伏線がはってあったとは。。。

何気ない会話ですが、ユーモアを持って
彩りを加えたいですね。

2005年の8月から始まったこのけんのぺーじも
最低毎月1度は更新していました。
そのほとんどを、他の方に読んでいただくと
言うよりは、自分の備忘録のために使っています。

この3月は初めて1度も更新することなく過ぎ去ったのですが、
メモすら出来ないくらい仕事、送別会などなど、
目まぐるしい一ヶ月でした。

桜が目いっぱい、花びらを散らすように、
新たな気持ちで全力で走りきろうと思います。

はや2ヶ月

2009-02-28 23:55:12 | 徒然なるままに。。。
2009年始まって、はや2ヶ月が
過ぎ去りました。

早いですね。光陰矢のごとしです。

仕事上は不景気感もたっぷりありますが、
「繰り返し」の毎日にならないように
メリハリつけた生活をしたいものです。

『武将列伝 戦国終末篇』

2009-01-22 23:07:14 | 諸書巡歴
海音寺潮五郎『武将列伝 戦国終末篇』文春文庫、2008年6月10日新装版第一刷

○あらすじ(文庫裏面より)
 信長・秀吉による天下統一の前後から武将の姿は激変し、
 多様化していく。大国の狭間において生き残りのため
 右往左往する地方武将もあれば、国持ち大名の元にあって、
 参謀として名を成す武将や官僚としての武将もいる。
 生まれた場所が僻地であったり、遅く生まれた武将がいる。
 知将、謀将、闘将……ジャンル化された武将の型。

○本書で扱われている武将は以下。
・黒田如水
・蒲生氏郷
・真田昌幸
・長曾我部元親
・伊達政宗
・石田三成
・加藤清正

☆-----------------☆
「人には得手不得手のあるものでござる。拙者は弱年の頃から
 自ら武器をふるっての働きは得手ではござらなんだ。
 したがってさる働きはしたことがござらぬ。拙者の得手は
 采配を取って軍勢を指揮し、一時に千も二千も敵を討ち取る
 ことにござる。しかし、このことは各々すでによくご承知の
 ことなれば、説明する要はござらぬ」黒田如水p.20

 「水ハ方円の器ニ随フ」「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ、
 心ハ水ノ如ク清シ」黒田如水p.49

 戦国の武将にとって何よりもうれしいのは封地を加増される
 ことである。自らにあたえられたものを辞退して他に譲るというのは、
 なかなか出来ないことだ。(織田信孝を自殺に追い込んだ武功により
 秀吉から伊勢亀山の城をくれるといわれたが、亀山は関氏相伝の
 城のため関氏へ賜りたいと辞退したことから)氏郷が父譲りの
 清白な性質であったことがわかる。藩翰譜によると、彼が
 飛騨守に任官したのはこの年(天正十一年)であるという。p85

 戦術には読心術―心理分析的面が多いのであるが、巧妙なものである。
 氏郷のこの時の年齢(30歳前後)を考えると、老成驚くべきものだ。
 天成の名将なるかなの感がある。p.95

 人情に遠い人物はいあに長所があろうと重く用いないという
 氏郷の心は、ぼくにはまことに尊く思われる。p.111
 
 「さようにてはなし、小身なりとも都近くいたらば、天下に
 望みを掛けることも出来るが、なにほど大身となったとて、
 片田舎人となってはいたし方はない。われらはすたりものになったと
 思い、不覚の涙をもよおしたのである」蒲生氏郷p.122

 限りあれば吹かねど花は散るものを
 こころ短き春の山風 蒲生氏郷p.157

 真田記に「或ひと言ふ」と注して、こんな話を伝えている。
 死にのぞんで昌幸は卒然として幸村に言った。
 「わしのいのちがもう三年あったら、秀頼公に天下を取って上げられるものを」
 幸村はその策を聞いた。昌幸ははっとわれに返った様子で、
 「いやいや、重病に心乱れて筋なきことを言うたわ。乞食同然の
 この身になって、どうしてそんなことが出来ようぞ」と打ち消した。
 「いやいや、それがしにたいして御用心はいりませぬ。ぜひ仰せ付けください」
 「ハハ、そうか。ではざんげ物語のつもりで聞いてくれい。わしの
 見るところでは、三年のうちには東西手切れとなる。もしわしが
 存命するならば、人数三千ばかりをひきいて伊勢の桑名の向こうまで
 出て備えを立てよう。わしの手並みは大御所はずんと御存知じゃ。
 わしが相手ということになれば、大御所もたやすくはかかられまい。
 しばらくにらみ合っているうちには、豊臣家恩顧の諸大名共に
 して心を動かして大坂方へ馳せ参ずる者も多く出るはずだ。そこで
 大御所が攻めかかって来られたら、陣を引いて桑名のこちらでまた支える。
 これをくりかえすうちには一層人数が集まるはずだ。やがて
 近江の勢田まで来たらば、唐橋を焼き落として、こちらに柵をつけて
 ささえる。数日ささえれば、さらにおびただしく味方はふえよう。
 天下の豊臣家に帰すること案のうちではないか。やれやれ、
 長物語りに胸が苦しい。水くれ」p220~221

 親分学の心得第一条だ。子分の危急は理否を問わず救ってやる
 心掛がなければ親分にはなれないのである。p.236

 人の運勢はゆるやかな坂をのぼるようではない。あるところまでは
 営々辛苦して運勢の坂を汗だくになって上らなければならないが、
 一旦勢いがつくと急カーブをえがいて上昇する。威勢につく
 人情がそうしてくれるのだ。p.242

 逆境に沈んだことのない人間は、人間心理の洞察には鈍い
 ものである。p.377

 「大事を思う者は、たとえ首の座にいても、その際まで命を
  大切にして、本意を遂げんと心がくべきものじゃ」と
 言ったということ、ともに最もよく知られている。死に至るまで
 傲岸不屈であったのだ。あっぱれである。p.382

 人は一代、名は末代
 あっぱれ 武士の心かな 加藤清正p.408

 一体いつの時代でも後家さんは頑固なものだ。現実の情勢が
 どう変化しようと、法律的に認められている権利は一毫も
 失うまいとし、おやじの生きていた頃の格式は一分も落とすまいと
 するのが常である。豊臣家の悲惨な最後は、淀殿という後家さんが
 家の主宰者であったところに最も大きな原因があるとぼくは見ている。p.432

☆-----------------☆

後悔しないで生き切る!

2009-01-20 02:02:00 | 徒然なるままに。。。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、台湾は戦時中、帝國日本により支配され
大東亜共栄圏に組み入れられた地域です。
満州や韓国のように、本来であれば支配された国というのは
支配国に対し非常に強烈で根深い嫌悪感を抱くのですが、
台湾の場合は概して「これほど親日感情に富む地域は
ないのではないか」と感じてしまいます。
それほど人も良いですし、食文化も日本に近いものがあります。

これは、支配はあったのが事実であり、おそらく略奪、虐殺も
あったのでしょうが、
(1)日本の布いた政策(インフラ整備、教育など)がよかったこと
(現在まで、鉄道、ダム、貯水池などが台湾各所に残され、使用されている)と、
(2)その後の中国からの流入者(特に国民政府の蒋介石時代)の
施政が非常に悪かったことの反動でもあります。

それらの背景の上に、近年は哈日族(ハーリーズー)という日本のサブカルチャーに
影響を受ける若い世代も多くおり、日本のTVドラマなどは早ければ
ドラマ終了後、翌週には全編放送することもあります。

前置き長くなりましたが、今週はAroud40(既に3回目くらい)が
放送されており、今日が最終回でした。
その中で天海祐希演じる主人公の精神科医・緒方聡子が北海道で恋人と
一緒に施設で働くか、新生する病院の院長となるかの決断をする際に言った、
「後悔しないで生きることが幸せ(主旨)」
という言葉に非常に感銘を受けました。

実は最近、仕事上で非常に面倒を見ていただきお世話になった方が、
他界されました。
その時に、改めて、
「人は生まれた時から死に向かって生きている」
という著名な方の言葉を思い出しました。

生まれれば、また死ぬのも当然ですが、死がなければ、
一生懸命生きられないのも事実です。
サラリーマンとしては誰もが少なからず名声、富、地位などへの
欲をもつはずですが、死ねば当然、誰もがこれらを失い、裸一貫の
人間としてあの世にも、来世にもそれらは持っていけません。
仏法では三世(過去、現在、未来)の生命観を説き、
死は次の人生までの生命の休息期間と捉えます。
一つの人生での行為は生命に刻まれていきますが、
何を刻んでいくか、また特に無形のもので何を残していけるか、
ということが大事だと思います。
死に様は生き様の反映だからです。


アンパンマンの歌詞に、
「何のために生まれて 何をして生きるのか
 分からないまま終る そんなのはいやだ」
とあります。

何のために何をして生きるか、これは使命です。
使命は「命を使う」と書きます。
○○歳で亡くなったから不幸だ、とかではなく、
いかに使命に生ききったかが大事だと思います。
使命にいききれば、きっとその死には深い意味があるでしょうし、
そのことにより一人でも多くの人に影響を与えることが出来るのでしょう。

ともあれ、後悔なく生ききること!
これが他界された方への恩返しと思い、
自身の戦いに悔いなきよう、自身を奮い立たせていきます。

 

『武将列伝 戦国揺籃篇』

2009-01-06 02:15:54 | 諸書巡歴
海音寺潮五郎『武将列伝 戦国揺籃篇』文春文庫、2008年4月10日新装版第一刷

○あらすじ(文庫背表紙より)
今回登場する武将は足利尊氏、楠木正儀、北条早雲、斉藤道三、毛利元就、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉の八人である。南北争乱を経て、世は下克上の戦国時代へと移るにしたがい、武将の資質も変化していく。軍事的才能だけではなく、領内を経営する能力も必要とされていく、つまり軍陣と経営者両面なのである。

現実は観念論では動かない。長い歴史の間には動いたように見えることも有るが、それはかならずその観念論が必要となっているときである。明治維新がそれだ。世界が統一国家時代となっているとき、突然開国して国際場裡に登場した日本としては、統一国家となることが最大の急務であった。勤王論はここにおいて現実の必要とマッチした。統一には中心が必要であり、それには国初以来一系相伝えているとの国民信仰のある皇室にまさるのものはなかったからである。
維新の志士らは、これを明確には把握していなかったに違いない。感覚的、あるいは本能的に感受して、勤王運動によって日本を統一国家とし、ひいて明治・大正の盛世を将来したのであるが、明確把握していなかったために、そのたたりが昭和年代になって出てきて、こんどの大戦のようなことになってしまったのである。p57

人間に運不運のあることは誰も知っている。それは生きているうちにもあるが、死後にもまたある。時代思想の変化によって、人物の価値基準が変動するのである。歴史上、そんな人物はずいぶんあり、英雄豪傑といわれる歴史上著名な人物は皆それをまぬかれないといってよいのであるが、楠木正成をトップにする楠木一族くらいその変動のひどかったのは、あまり類例がない。p62

英雄の素質があって大志のある者は、その微賤の時代には空威張りなどはしない。かえってへりくだって俊傑の心を攬り、おのれの羽翼にすることを心がけるのである。p116

「およそ国主は親で、民は子である。これが昔から定まった道である。しかるに、世の末となって、国主らが貪欲となり、いろいろな税目を考え出し、百姓らに重い課税をしてはたりとることが習わしとなった。そのため、国主はぜいたく三昧のくらしをしているが、百姓は餓死せんばかりとなっている。これが今日の国々の実状だ。わしはまことにあわれと思う。わしが(北条早雲)一介の旅人の身でありながら、その方共の主となり、その方共がわしの民となったのは、浅からぬ宿世の縁あればこそのことであろう。わしの望みは他にない。その方共が豊に暮らすようになることを、ひたすらに念ずるばかりだ。されば、わしの領内では、税は田税だけにして、他は一切取り立てるまい。しかも、田税も従来より五分の一を減らすことにする。さらにまた、もし諸役人や知行主らが法にそむいてきびしい取立てをしたり、そなたらを虐げたりするようなことがあったら、遠慮はいらぬ。直接来て、わしに訴えよ。かならず諸役人や知行主らの罪をただすであろう」p142

「わし(北条早雲)から二代の間は、武士共に扶持をあたえるにも特別な心得がいる。二十前の若者や七十以上の老人には、功あっても知行地をあたえず、金銀を与えるようにする必要がある。老人はいのち短いものである故、すぐその子の代となる。その子の器量が尋常ならよいが、つたなければ取り上げねばならぬ。しかし、取り上げれば、必ずうらみを含むようになる。二十以前の若者は、成人してどんな人物になるか検討がつかぬ。若い時はすぐれていても、成人してうつけものになるもの、度々あやまちをしでかすもの、世上少なくない。これまた知行地を取り上げねばならぬが、これも必ずうらみを含むようになる。当人だけでなく、縁につらなる親族一般の気風がゆるんでくる。とかく、あとくされのないよう、金銀をあたえておくべきものじゃ」p159

共通する敬愛する人を持つ時より、共通する憎い人を持つ時の方が親密になるのは、人間のかなしい性質だ。p177

英雄となり得る人物は、大将としての初陣という、こういう大事な時に稀有の幸運に恵まれるものである。もっとも、この時の元就は幸運であっただけではない。実に勇敢である。陰徳太平記によると、敵が厳しく結った木柵を、乱箭の飛来する中に自ら引抜いて、ひるむ味方をはげましており、最後には武田(安芸の守護大名・武田元繁)と親しく一騎討の勝負をしようと敵軍に割って入っている。大将たるものがこんな危険なことをすべきでないというのは、机の上の批判だ。こうして兵を励まさなければならない場合もあるのである。
幸運だけでも英雄とはなれず、器量だけでもなれない。二つが兼ねそなわってはじめて英雄になれる。「ことを謀るは人にあり、ことを成すは天にあり」という中国の古諺があるが、この間の消息から出たことばであろう。p210

元就は領分境の豪族らに通信するときは、
「何かあの地方でめずらしがるものはないか」
と言ってととのえさせ、手紙につけて持たせてやったので、豪族らは、
「譜代衆とかわりなく待遇下さる」
とありがたがり、心服したという。
また、自分のすまいにはいつも餅と酒とを用意しておいて、小身な士や小人頭や、その組の者や、出入りする百姓らが、季節の花や魚鳥などを持参して、ごきげん伺いに来ると、対面して、「おお、おお、これはよいものを持って来てくれた。ちょうどほしいと思っていたところであったよ」
と言って、食べ物なら、早速に調理を申しつけておいて、
「さてその方は上戸か下戸か」
ときく。
「上戸でございます」
というと、
「おお、おお、飲むか。酒はよいものじゃ。酒がのうては冬は凌げぬ。まして戦で川を渡ったり、夜道を行くときには、飲まんではやり切れんからのう。飲むがよい」
と、酒を出して飲ませる。
「下戸でございます」
と答えると、
「おお、おお、下戸か。上戸はよく過ごしては、気が荒くなって乱暴したり、言うまじきことを言うたりする。飲まぬとは殊勝な。餅を食べよ」
と、餅を出して食べさせる。
これについて、吉田物語はこう説明を加えている。
「すべて大将たる人は、身分が高くなるにつれて、下々との間が遠くなり、直接のことばなどをかけるのはごく限られた人だけとなり、その以下の者とはまるで疎遠になってしもう。そうなると、下々の者は奉行や組頭を自分の主人のように思い、ほんとに恩をこうむり、生命をつないでいる主人を、奉行や組頭の半分も貴く思わず、大事な時にご用に立つ者も少なくなる。このようなことも考えて遊ばされたのであろう」p258

人間はデビューが大事だ。はなやかな出方をするのと、地味な出方をするのとでは、生涯のうち何十倍、何百倍の損得がある。p333

ほめられて悪い気のする人間はいない。はじめのうちは用心していても、くりかえされると、つい心が動いてくる。p340

信長は勝負の気合というものをよく知っている。調子の出た時には無理を押しても積極的に出る。p351

一坪の溜池の中では鯉は一尺以上にはなれないp418