このようにして日本の国は建国されました

【日本(ヤマト)建国史】とは、我が日本国家の誕生以前期を意味します。其の【建国思想】起立地は、河内の八尾に在りました。

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2016-08-01 18:30:34 | 日記

…【日本建国・創建史】…

…我が日本列島に、日本国家が設定されたのは、神武に因る【長髄彦・討伐物語】に始まりました。其の激戦の史実を伝える地名が【盾津】(タテツ=東大阪市)です。其の戦は、立地条件(坂下に陣取っている)が悪く苦戦(五瀬命の負傷)を強いられたと『現存・日本書記』は記しています。従って、神武軍は【ヤオ】の地域へ軍隊を移動させたので在りますが、此の史実に至っては、我が国最古の歴史書とされる『現存・日本書記』には全く記述されていません。


…然し、八尾市の【タコチ神社】(竹渕神社)の由緒書きには、此の史実に関連する事項が書き残されていました。では、何故、我が国最古の歴史書(『現存・日本書記』)とされるに拘わらず、其の史実が抹殺されているのかと言いますと。其れは…《国史大系『日本書紀』》…の欽明天皇条を検証する事に因って其の謎を解明する事が出来ます。


★因みに…「欽明天皇2年(540年)…帝王本紀、多有古字(フルキナ)、撰集之人、屢經遷易。後人習讀、以意刊改、傳  寫既多、遂致舛雜、前後失次、兄弟參差。今則孝覈古今、歸其眞正、一往難識者、且依一撰而註詳其異。他皆效此」★。


…此の文面(欽明天皇2年条)が意味する処は、【カミヨ・文字】の存在(多有古字)を意味しています。つまり、其れ迄は【カミヨ・文字】(現在に至っても秀真文字他・多々其の種の文字は存在しています)文書を以て過去の歴史書が写本されていたので在ったが、段々と漢字に慣れ親しむ時代に至り、此の時代(欽明天皇期)に於いて、其の【カミヨ・文字】(カミ名フミ・文字)文書が漢字化される事が始まったと言う事で在ります。此の漢字化に因る編纂過程に在って、其れ迄の【カミ名・文字】(カミ名=仮名)文書の全体を漢字化する事の難しさを解決する方式、つまり、刪定(削除)方式が採用されたので在りました。此れに因って、「ヤオ(八尾)の地名」に関する文面が削除(刪定)されたので在りました。然し、其の元典(元文)に当る文書の写本が、戦後(昭和20年8月15日…大東亜戦争・終結)に至り再発見されました。従って、其の刪定(部分的に削除)されていた【ヤオ】の地名に関する記述部分は、其の再発見された焚書にはハッキリと記述されていました。


…【ヤオ】(八尾)の語元(語源ではありません)に関する内容を書き残していた【タコチ】(竹渕)神社の、其の【タコチ】の語元は、其れは、「八尾(ヤオ)の語元」とは「ワリウルリ ≒ 割瓜」の関係を示唆する語意を用いて造語された名称(呼称)で在る事が解りました。此の事が意味する事は、何故、【ヤオ】(八尾)と命名されたのかと言う処を言及すれば、我が日本国の言語、即ち、【ヤマト言葉】の起元、及び、其の「ル-ツの鍵」に当っている事を発見致しました。