殘念ながら

殘念ながら

それを見て育った母にも

2016-06-13 12:17:55 | 日記
そして孫である私にも、そうした姿勢は自然と受け継がれています。
「不動産屋が言うにはね、仏壇といっても価値なんてないんだから、ただのゴミだって、そう言うのよ。建物と一緒に取り壊して潰すんだって!そんなわけにいかないじゃない!?」
という、母の気持ちはよくわかります。
私自身のことをいえ臉部肌膚ばとくべつ信心深い人間というわけではないですが、それでも祖父や祖母がいつも仏壇を拝んでいた姿を懐かしく思い出しますと、その仏壇をゴミとして処理する気には毛頭なれません。
その場所で手を合わせていた祖父母の思いまでが軽んじられたような憤りを感じます。
そんなわけで、私たちは最後に家族で祖父母の家を訪れ、仏壇の閉眼供養を行うことにしたのです。

玄関のカギを開けて、中に一歩入ったとき、昔と変わらない匂いがしました。
「おばあちゃんの家の匂いがする!」と言った私の言葉に激しく同意する母。
なんでしょうね。家の匂いって。
なんの匂いなのかわかりませんが、とにかく、この家の匂いです。
馴染みのある、なんだかほっとする匂いです。

ほどなくして、兄一家もやってきて、この日の顔がそろいました。
子どもたちがはしゃいで救世軍卜維廉中學騒ぐのを静かにさせ、セレモニーの開始です。
略式ではありますが、仏壇にお花を飾ってお供え物をし、お坊さんをお願いしてお経をあげてもらいました。
目を閉じて読経の声を聴いている間、私はなんともいえない気持ちにとらわれました。
この「おばあちゃんの家」は、私にとっても様々な思い出のある家です。
おじいちゃんが建てたのに、それでも「おばあちゃんの家」だったよねぇ… と一人ツッコミを入れながら、祖母の強烈なキャラを思い出します。
人のいい、照れ屋で真面目な祖父は完全に尻に敷かれてました(笑)
わがままで勝手なところもあったけど、私にはいいおばあちゃんだったなぁ…
子どものころ、よく、週末にお泊りをさせてもらったっけ。
自分の家ではしないお手伝いも、おばあちゃんの家では率先してやった私。
お皿洗いや、お部屋の掃除、ガラス拭き。
「きれいになった~」と言ってもらうと嬉しくて、自分が一人前の役に立つ人間のような気がしたりして。
そしてなぜか思い出すのは、テレビドラマ『熱中時代・刑事編』!(笑)
お泊りの夜に見たっけなぁ。懐かしい( *´艸`)
泊まった翌朝は、いつも早起きして散歩に行きました。
おじいちゃんとおばあちゃんと私と犬。三人と一匹で。
犬と遊ぶのも、おばあちゃんの家での大きな楽しみだった私…

このときになって、今まで考えていた以上に、ここでの思い出がたくさんあることに気づきました。
お正月にいとこたちが集まって遊んだこと。
大人になった今は、それぞれ忙しく、なかなか会えなくなりました。
長男が生まれて、久しぶりにこの家を訪れたときのこと。
祖父が亡くなってから、2年前に祖母が亡くなるまでのこと。
その他、いろいろ、もろもろ…。
見回せば、この家の周辺もすっかりきれいに整備され、隣近所のお宅も建て直して新しくなっています。
この家だけが古ぼけて取り残されてしまった感じで、ちょっぴり切ない気持ちになります。

子どもだった私が大人になり、赤ん坊だった息子が大きくなり、そして今がある。
変わらずにあると思っていた家も古びて、この世から消えていこうとしている。
これが、最後なんだなぁ。
次にもしこの場所に来ることがあったとしても、もうこの家はなくなり、代わりにべつの新しい家が建ち、知らない人が住んでいる・・・。
せめて、気持ちのいい人に住んでもらいたい などと、思ったり。
地縛霊の気持ちが少し分かったような気がします(笑)

冗談はさておき、今回、仏壇のことで家族がこの家に集まれたことは、私にとってとても有意義なことでした。
思い出深い家ときちんとお別れをすることで、これまでの人生を振り返り、時の流れに埋もれていた大切なものを掘り起こすことができました。
その宝物を胸に、また先へ進んでいくのですね。
仏壇の本尊はお寺に引き取って灣仔酒店式住宅もらい、母も肩の荷を下ろしたようです。
家族みんなが満足して次のステップに踏み出せそうです。

その日、祖父母の家の写真はあえて撮りませんでした。
でも、グーグルマップのストリートビューでしばらくは見ることができます。
どうか、当分の間、更新されませんように。