ん……よし!みんなで行こうか!




寂し時 天を仰げば 透く空が 遠く彼方へ 続いているかも

言葉の力

2008-04-02 21:30:20 | Weblog
結構前の記事で、私が学校の課題で書いた『自分史』の話しをしたと思います。
偶然、それを家族に見られて読まれて、親戚に渡して周る。という恐ろしい計画が進行していること……まで話しましたっけ?

私の記憶に一番鮮明に残っている保育所での思い出深いエピソードをピックアップして書いたんですが、
それが当時保育所の園長をしていた方と私の組を受け持っていた保育士の先生の方にも渡して読んでもらったと聞いた時には恥ずかしさで穴に入りたかったです。



でも、その私が書いたモノを読み終わった時には園長先生と先生どちらも――











         隠し切れないほどの涙を流していたそうです。











それはつまり、感動した……ということでしょう……ね。
でも、私としては少々複雑な気分です。
アレは学校の課題の提出用として書いたモノです。
そこには人を感動させよう。や、あの人を思って……と言った思いがこれっぽっちも入っていないのです。
むしろ、あの授業を受けていた人なら分かりますが、アレには多少の脚色や虚言すらも含まれています。
全然、ありのままではないのです。

それでも、泣いてくれた人がいる。
私が書いたモノを読んで泣いてくれた人がいる。
例えそれが、過去の思い出をエサにして書いたものでも……。
ちょっと……かなり歪な形ですが、私は嬉しく思ってしまいます。

しかし、それと同時にあの保育所でのエピソードは私の中で一、二を争う思い出深いエピソードです。
それを多少の脚色と虚言で書いて、それを見て涙した人を知ると、私の知っているあの時の思い出が急速に色褪せてきて悲しいです。
だって、多少の脚色や虚言があった方に涙を流したのなら、頭の中でそちらに思い出を書き換えたほうが良いと思いませんか?感動的ですし。


そう思ってる所に今日、園長先生が直接訪ねてきました。
卒園して以来ずっと会ってなかったにも関わらず、私の顔を見て直ぐに名前が分かった所から察すると、私はかなり印象深い園児だったようですね~
まぁ、手紙と包みを渡しただけで帰ってしまったんですが
園長先生は「その手紙に全部書いてあるから」と。


緊張して手紙の中身を見ます。
そこに、書いてあったのです。
「あなたは幼いながらに、私が何であんなことをしたのかしっかりと理解していたのですね」

……。
それはまさに私が、虚言を書いたところです。
幼い私はなんであんなことをされたのか全く理解していませんでした。
しかし、私は理解していたと書いてしまった……。
仕方がないじゃないですか、まさか見られるとは思ってなかったんですもん……。
仕方がないじゃないですか、私の過去を知らない人が見るんだったらいいかーと言う気持ちで書いたんですもん……。

私は、その「理解していた」の一文で人を泣かせてしまったことに酷い罪悪感に襲われました。
それと同時に私が知っているアノ思い出は既に何が脚色されて、虚言されていない所はドコなのか全く分からなくなってしまいました……。


思い出が曖昧になるってかなり苦しいですね……。
ああ……そうか。
そしてこの一連の出来事さえも思い出なるって……ことですよね。
そんな言葉の重さを知り、思い出の大切さを知った一日でした。


そんな感じで解散。

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