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発達障がいの母から生まれた私~小学生のころ~

2022-09-07 19:56:53 | 日記
小学校2年の時
1歳下で転校してきた女の子の母親と
私の父が不倫関係になった と書いたが
正確にはもっと以前からなっていて
しげしげと出張と称して会瀬を重ねていた
あろうことか その夫氏は
父の同級生であった
まあ、相当などろどろした関係だが
母は仕事と生活に必死のようで
父のことは大切だと言いながらも
自分が一番大切だったのか…

先方のおばさんは良い感じの女性だった
料理も上手で優しくて芯がしっかりしてて
母とは真反対というくらい
ただそれは何十年もたって感じたことで
私は先生である母を君主だというくらい
洗脳されていた
いや 母親とはそれくらい
子供にとっては絶対なのだ

高学年になると
児童会やらクラブ活動やら楽しくて
母にも褒められたくて
がんばっていた
なおさら母を大切に思うようになり
いつしか父の存在は心の中に封じ込めた

6年生のとき父は公務員をやめた
水商売を始めた
もちろん彼女と…
家にもあまり帰って来なくなっていった
でも、弟はみんな可愛かったんだろうな
ずいぶん甘やかされていた
もちろん私にはみんな厳しい
私も弟は歳もはなれてるし可愛かった
なんとなく バラバラな家族の中で
弟を守らなきゃなんて
おこがましくも思っていた

カレンダーに父が帰ってきた日を◯付けすると
年に数日になっていた
その頃には
毎晩シクシクて泣く母の声が
聞こえるようになった

私も中学生になった

続きはまた、
お願いします


介護は異次元空間だ~発達障がいの母の見守り。だけではすまなくなった~

2022-09-07 00:00:18 | 日記
まだ仕事を残した夕方近く
母からの電話
転んでしまったよ。立ち上がれない
私は家の近くにいた

数日前母が午前中デイサービスに行ってる間
草取りをしていた
トイレに入ろうとすると
朝出かけた時とは明らかに違う
大惨事だった。ついにきたかと思っていた

デイから帰って来るまで草取りして
帰宅してしばらくして入ると
途方にくれた様子でいた

なんでこんなになったのに
片付けないで出かけてしまったのか
あわてたんだろう
強いものには へびに睨まれた蛙なのだ
汚したままの格好ででも
デイに行きたい。出かけたいのだ

トイレのすぐ横が風呂場だが
よくみれば こちらもひどい
泣きたくなった
とにかく自分でできるだけやらせたが
最後はひっくり返った状態から起きれず
母の襟巻きみたいな布を両肩に回し
軽く持ち上げて やっと便座に座れた
自分の始末もやれた

そんなことがあっので またかと思い
やはり変な格好でひっくり返っている
いろいろ試させたが だめだ
上半身は裸だったが 
転んだときけがをするから着てなきゃと
促した。 

仕事モードで1日動いているが
忽然と現れる 介護のシーン
全く異次元なのだ

幼児の赤ちゃん返りではない
誰か助けて~💧とか弱く叫ぶ
私 そばにいるんですけど…💧

また明日
今日は秋晴れ



自称発達障がいの母から生まれた私の生育歴を刻んでみたい

2022-09-05 17:44:28 | 日記
幼稚園も終わり小学校入学
相変わらずの居候暮らし
当時は学童クラブや児童館もなく
普通に家に帰る風だったが
大概の家にはお母さんがいて
帰れば やはり成長するにつれて
居づらくなる
友達の家に遊びに行ってばかりいた
宿題とかそんなになかったと思う
思い返せば
かなり夕方まで居座っていたかも
おやつをもらって
珍しい雑誌やゲーム、おしゃべりに
川を探検したりもしたな
自分の家ではないから
私には自慢できるものはない と思って
おばあちゃん家に来たいと言われても
拒んだ
休むと給食のパンやお便りを届けてくれた
でも それが嫌で 休めなかった

時々切れて 男の子とケンカした
女の子とはケンカしないのだ
男の子の理不尽さと男を振りかざす
そんな権威主義的なやつが大嫌いだった
今 いじめてケンカした理由を探せば だ
暴力は悪いに決まってる
不安定で荒れてた

先生たちの話を小耳にはさめば
私は情緒不安定なので
特別学級に入れたほうが良いのでは と
いうものだった
意味がわからなかった
いま思えば 大問題児である

小学校2年生の時に
ある女の子が転校してきた
当時転校生はめずらしくなかったが、
その子親子家族は
その後 私の家族のいく末に
大きく影響していくことになる

その子のお母さんと私の父が
不倫関係になるのである

続きは明日書きます
写真は赤じその花


余録 猫のごはんが買えなくなる日がくるかも💧

2022-09-04 20:08:47 | 日記
買い物をしていて
値上がりはがまんのできるものと
できないものがある
猫のカリカリやレトルト
この値上がりは特に キツイ
人間が食べられなくても
ねこたちのごはんや砂やシーツ
家族でいる限り みんな同じである

なのに、日用品扱いの
消費税10%は納得いかないが
価格も上がると かなしい
みなさん、同じですか?

ほんとにネコファーストの
やりくりです

グチってみました

自称発達障がいの母から生まれた私のこと

2022-09-04 18:27:46 | 日記
よくしゃべり
よく歌い
大人の宴会や結婚式
当時は大勢集まり賑やかで
いつも引っ張り出されて歌っていた
オハコは園まり、必須アイテムの風呂敷を
腰に巻き、頭にかぶり
マイクを離さず司会もやったというから
これが3歳のとき
大人に褒められ 調子に乗ってたね

母はそんなわが子をどうみていたのだろうか

祖母が徒歩で保育園の送迎は
大変だということで
当時開園間もないカトリックの幼稚園に
入園した。
マイクロバスが家の前まで来てくれた
立って乗ってることもしょっちゅうで
荒っぽい時代だったな

よく行きたくないと ごねていた
そういう時は
朝 おまじないだと言って
正露丸を1粒飲まされて送り出された
それが嫌で自ら鼓舞して行ったかも

行ってからも
何かと理由をつけて事務室でサボりたがった
お弁当が週3回あとは
コッペパンに赤いウインナーが挟まっている
日と、ナポリタンが挟まってる日と
決まっていた
お弁当は茶色だった
ある日、例によって事務室でサボっていて
お昼にお弁当を開けると
煮物の竹輪が2本とササギがのってた
あの絵は忘れられない
ジャングル大帝レオの絵の蓋を開けた途端
私はシクシク泣き出した
担任の先生が 美味しそうだよ と
慰めてくれた
交換しようかと言ってくれたが
それはしなかった

年中組の時に 弟が生まれた
男の子の誕生に みんなが喜んだ
ジェンダーの違いを おぼろげながら
初めて認識していた

その頃だったと思う
不安定だったんだな
父が作ってくれたお弁当は
センスがあった
日の丸弁当だからな って持たされて
蓋を開けたら
薄焼き卵を敷き詰めた真ん中に
魚肉ソーセージの輪切りがひとつ
なるほど
日の丸で ある
卵焼きの味は子供にはしょっぱかった
呑兵衛だたからだろうか
そんなわけで騙されて
父を特別なものを感じてた

また、明日お願いします
少し長くなりました
写真は薤の花と小さなむし