「〇〇君これぐらい行けばいいぞ!」
カーディーラーで整備工場にいた時、H工場長に言われた。
本社工場から12km離れた〇〇工場。
私は上から言われた修理をやったに過ぎない。
受注努力はしていない。
いい数字が出てるが、ほとんど残業はない。地獄の印刷業界とは天地の違い。
東京オリンピック以降のモータリゼーションで右肩上がり。
キャブレターOHが1000円、エンジン調整1200円の時代に、私の関わった工賃が1ヶ月で15万円だったらしい。
整備工場は自社から販売したトヨタ車がメインの整備。
当時、整備部門で部長以下66人と聞いた。事務員もいる。
整備工50人?近くが、自分の給料の5倍以上の工賃を稼げば、笑いが止まらんか?
1965年の大卒初任給は、21600円だったらしい。
上層部は毎日飲み屋にいた。
ある時、専務の車を工場に運んでくれと部長から電話があった。受話器には飲み屋らしき雑音が漏れる。
寮には3人いたが、ダンスホールのガールハントで外出中。他の2人は発情中。
私1人で動けない。
当時、運転代行はなかった。
寮にいれば夜警が呼びに来る。
時間外にタダでこき使う。
益々儲かる。ピン撥ね稼業。
2024/06/13加筆訂正
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