小さく狭い 世界地図上の日本
東日本大震災。どんな災害だったかを書けと言われても、書く術を思い付かないほどに甚大なものだ。
まして、遠く離れた瀬戸内に住む私には、映像などによる情報から日々衝撃を受け続けるけれども、被災者の受けた恐怖も打撃も、「解ります」などとは到底言えない。
大地震と巨大津波による打撃がひとまず鎮まりかけているかに見える今、それだけで収まるのならば、被災者を先頭に目標を復興一本に絞って動き出せる…筈だった。「たら、れば」を言う虚しさを承知のうえで、どうしても「もしも」と言いたくなってしまう。
原発という怪物が、天災で打ちのめされた被災者に対して、「これでもか」と追い討ちを掛けるように、傷だらけのまま野放しにされた野獣のような状態で立ち現れてきた。
この日本に原発は存在が許されるか、などのそもそも論に踏み込むには、もう少し時間が必要になる。
今は、暴発させてしまった原発内部の修復と、どこからどれほどの放射能が空中だけでなく海中にまで漏れ出しているのかを正確に突き止め、一刻も早くこれを食い止めさせることが急務だ。
しかし、これがいつまでももたつき続けている。巨大地震と巨大津波から辛うじて生き残った命も土地も、豊富な漁場を持つ海までも、死の世界へ追いやろうとされている。
原発からは1000キロ以上も離れて、被災した人たちの心にどう寄り添おうとしても、余りに遠いと思える。
同じ日本の中に生きていても、東北・北関東までの距離の長さを繰り返し実感しているが、外国からこの国を見るとき、さらに遙かな極東の小国のこととして、同情し支援すべき対象と映るだけだろうかと思っていた。
だが、問題は思わぬところにあった。
日本国内でさえ、原発からかなり離れた地域でも、風評被害によって農漁業産物の売れ行きが減り、観光地なども客が激減している所もある。その影響は、2ヶ月以上経った今も払拭されたとはいえない。
驚いたのは、事故の直後から、これまで外国へ輸出されてきた野菜や魚介などまでが、風評によって受け容れを断られる事態にあることだ。
原発に近い地域であっても、安全であることが証明されたものだけが輸出されているのだが、それより遠い地方の産物までもが、風評によって拒絶されている。
鹿児島などからの輸出さえも断られていると聞いて、日本人である私は憤りを覚えてしまう。
「こんなに遠く離れているのに」と言ってみても、先方には通じない。
なぜこうなのだろう、と思う。
あらためて、世界地図を開いてみた。地図の中の日本は、本当に小さい。この小さくて狭い国の上に指を置いてみたら、国の端から端までが指一本ですっぽりと隠れるのではないか。
そんな小国の一ヶ所で暴発した原子炉からの放射能が、国土の全体をすっぽり覆い尽くしていると思ったり、そこで栽培し漁獲したものを口にはしたくないと思うのを、やみくもに非難することはできないだろう。
われわれも、名前すら知らない国での事故や災害の報を聞いて、「自分たちへの影響はどれほどになるだろう」と懸念することは間々ある。
こういうときこそ、政府は世界中の大使や領事らを総動員して、事実に基づいた科学的で正確な数字を示しながら説得し、安全性を納得させねばならない。
必要なら、各国に特使を派遣して、必死で打開する努力を惜しまないことだ。
それを、政権は力を尽くしてやっているか。
小さくて狭い極東の島国での重大事故が、世界を揺るがし、世界におけるエネルギーの将来についても多大な影響を及ぼそうとしている。
原発事故は収束しつつあるわけではない。むしろさらに甚大な、もはや取り返しのつきようがない事態さえも、引き起こしてしまう畏れを含んだ危機的状況にある。
この小さい国に生きるわれわれ自身が、やるべきことも、もの言うべきことも、尽きることなく存在している。
東日本大震災。どんな災害だったかを書けと言われても、書く術を思い付かないほどに甚大なものだ。
まして、遠く離れた瀬戸内に住む私には、映像などによる情報から日々衝撃を受け続けるけれども、被災者の受けた恐怖も打撃も、「解ります」などとは到底言えない。
大地震と巨大津波による打撃がひとまず鎮まりかけているかに見える今、それだけで収まるのならば、被災者を先頭に目標を復興一本に絞って動き出せる…筈だった。「たら、れば」を言う虚しさを承知のうえで、どうしても「もしも」と言いたくなってしまう。
原発という怪物が、天災で打ちのめされた被災者に対して、「これでもか」と追い討ちを掛けるように、傷だらけのまま野放しにされた野獣のような状態で立ち現れてきた。
この日本に原発は存在が許されるか、などのそもそも論に踏み込むには、もう少し時間が必要になる。
今は、暴発させてしまった原発内部の修復と、どこからどれほどの放射能が空中だけでなく海中にまで漏れ出しているのかを正確に突き止め、一刻も早くこれを食い止めさせることが急務だ。
しかし、これがいつまでももたつき続けている。巨大地震と巨大津波から辛うじて生き残った命も土地も、豊富な漁場を持つ海までも、死の世界へ追いやろうとされている。
原発からは1000キロ以上も離れて、被災した人たちの心にどう寄り添おうとしても、余りに遠いと思える。
同じ日本の中に生きていても、東北・北関東までの距離の長さを繰り返し実感しているが、外国からこの国を見るとき、さらに遙かな極東の小国のこととして、同情し支援すべき対象と映るだけだろうかと思っていた。
だが、問題は思わぬところにあった。
日本国内でさえ、原発からかなり離れた地域でも、風評被害によって農漁業産物の売れ行きが減り、観光地なども客が激減している所もある。その影響は、2ヶ月以上経った今も払拭されたとはいえない。
驚いたのは、事故の直後から、これまで外国へ輸出されてきた野菜や魚介などまでが、風評によって受け容れを断られる事態にあることだ。
原発に近い地域であっても、安全であることが証明されたものだけが輸出されているのだが、それより遠い地方の産物までもが、風評によって拒絶されている。
鹿児島などからの輸出さえも断られていると聞いて、日本人である私は憤りを覚えてしまう。
「こんなに遠く離れているのに」と言ってみても、先方には通じない。
なぜこうなのだろう、と思う。
あらためて、世界地図を開いてみた。地図の中の日本は、本当に小さい。この小さくて狭い国の上に指を置いてみたら、国の端から端までが指一本ですっぽりと隠れるのではないか。
そんな小国の一ヶ所で暴発した原子炉からの放射能が、国土の全体をすっぽり覆い尽くしていると思ったり、そこで栽培し漁獲したものを口にはしたくないと思うのを、やみくもに非難することはできないだろう。
われわれも、名前すら知らない国での事故や災害の報を聞いて、「自分たちへの影響はどれほどになるだろう」と懸念することは間々ある。
こういうときこそ、政府は世界中の大使や領事らを総動員して、事実に基づいた科学的で正確な数字を示しながら説得し、安全性を納得させねばならない。
必要なら、各国に特使を派遣して、必死で打開する努力を惜しまないことだ。
それを、政権は力を尽くしてやっているか。
小さくて狭い極東の島国での重大事故が、世界を揺るがし、世界におけるエネルギーの将来についても多大な影響を及ぼそうとしている。
原発事故は収束しつつあるわけではない。むしろさらに甚大な、もはや取り返しのつきようがない事態さえも、引き起こしてしまう畏れを含んだ危機的状況にある。
この小さい国に生きるわれわれ自身が、やるべきことも、もの言うべきことも、尽きることなく存在している。