重度障害者のつぶやき・ぼやき

 障害者としての日常の中で、自分のこと、社会のことなど、つぶやいたりぼやいたりしたくなったことを、書き付けていきます。

「俺たち大金持ちにもっと重税を!」

2012年06月30日 | 日記
    「俺たち大金持ちにもっと重税を!」

 言い出しっぺはアメリカ人だったか、「自分のような超高所得の者に、もっと重税を課せ」と言ったが、あれはどうなったのだろうか。

 その後、フランスの大富豪が集団で「おれたち大金持ちから、もっと重い税金を取れ」と声を挙げたことが、かなり大きく報道された。
 他の国でもいくつか同様のことが報じられたが、その後こうした声に応えて何らかの措置を決めた政府があるのかどうか。

 日本では、「最悪の経済的危機」と言われながら、逆に過去最高の利益を上げた企業も少なくない。なぜそんな魔術のようなことが可能になるのか。
 高額所得者にも、内部留保が何十兆という額になる企業にも、さらに減税措置を取り続けている。

 あのコイズミは、他人よりも図抜けて儲ける者はそれだけの甲斐性があるからだと、国民をけしかけ続けた。勝ち組と負け組が出るのは当然のことで、文句があるなら勝ち組に入ってみろと言い、負けた者には文句があるなら勝てばいいと言い放った。
 その結果は、どうなったか。

 「1パーセント対99パーセント」という極限の格差を許している自国の状況を、もはや許せる限界を超えているとして、「先進国」と「途上国」とを問わず、世界中でかつてないかたちで抗議行動が沸き上がっている。

 どの国であれ、自分の働き、努力と才覚で蓄えたものならば、誰の咎めも受けず享有することができる。ただしそれは、共に働いて富を産み出した者たちが、人間として尊重されて生きられることが保障されたうえでなくてはならない。
 最低限生きていられさえすればいいというものでは、断じてない。

 この話を書きかけにして怠けている間に、自らを食っても不味そうなドジョウだと言いながら、ナマズよりウナギよりぬるぬると小ずるく擦り抜け、口先だけでは「政治生命を賭けて」と言い張りながら、現実には自公との擦り寄りと談合とで、「政治生命」はめでたく守り切ろうとしている。

 談合で自民言いなりの消費税を引き上げ、社会保障「一体化」のことば通り、年金削りも介護の縮小と保険料値上げも、さらに後期高齢者医療制度の廃止さえも棚上げしてしまった。
 談合の中で、これらを棚晒しにすることが合意されたのは、見え見えのことだ。

 「消費税の値上げ分は、すべて社会保障に当てる」と明言しながら、それを実行した政権は一つもない。ノダ・ドジョウだけがこれをやるとは、信じられよう筈もない。
 それを現実にやって、私にここで誤りを訂正させるくらいやってもらいたい。

 日本でも、「自分たち高額所得者から、もっと税金を取れ」と言った者は居たように思う。だが、この国では、彼らより遙かに高収入の者たちは、今に至っても冷ややかな目で見捨てただけだ。

 大手メディアも、「日本でもやるべきだ」と声を上げたところは、私の知る限り皆無だ。「もう、お前のとこに広告を出さんぞ」と一喝されれば、ほとんどが沈黙する。これだけは、いつの時代であれ変わりない。

 超富豪たちが、全員でなくとも「自分たちにもっと重税を課してもいいぞ」と声を挙げることなど、かつてあった記憶はない。
 「お望みならば」と、税金を上げて手柄にしたい連中も常に居るのだから、需給のバランスは取れている。日本だけかも知れないが、超富豪たちが挙って言い出しているわけではないだろう。

 そうであっても、年間一億円以上の所得がある世帯は、いくらか増えてきて、90万世帯になるという。
 課税最高額は40パーセントと決まっているが、現実には26.5パーセントしか納税してないともいう。
 これらは、あの「コイズミ改革」以降最高成立は75パーセントから下がる一方だ。

 「おれたち庶民も、あんたたちの善政のお陰で税金を苦痛なく納められるようになった。生きるために不可欠の収入を必要とする人のために、今より少しは上げてもいいぞ」
 生涯に一度だけでも、大声でそう言ってみたいものだ。