「今年1年、大学院で学びます!」
って、周りの人に言うと、反応が分かれます。
あなたは、どちらでしょうか?
①「いいなあ、学べて」
②「今から学ぼうとするのってすごい」
これはおそらく、「学び」の捉え方を反映しています。
①を選んだ人は学ぶことを楽しんできた人。
学習に対して問題意識を持っていて、今も何かしら学ぼうとしているのではないでしょうか。
答えのない問いを好む人が多い気がします。
②を選んだ人は学ぶことを強いられてきた人。
きっと学習することに対する義務感が強くて、学ぶことに良い思い出があまりないのでは?
「学ぶ=正解を出すこと」って考えてる人が多そう。だから正解が出ないとイヤになっちゃう?
①の反応の人が増えたら、教育に関わる者としては嬉しいんですよね。
でも、きっとそんなに多くはない。学ぶって楽しいのに。
自分が知らないことが、世の中にはたくさんあって、知れば知るほど自分のちっぽけさを知る。
だけど確実に知識は増え、人生が豊かになっていく。
それが学びの楽しさだと思うんですよね。
ここで、ひとつ問題提起を。
小学生から「何のために勉強するの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?
中学生から「何のために勉強するの?」と聞かれたら?
高校生から聞かれたら?
3つとも同じでは困りますよ。
小学生なら、小学生に伝わるように。
中学生なら、中学生に伝わるように。
高校生なら、高校生に伝わるように、しっかり理由をつけて答えられるでしょうか?
これができる大人が増えてほしい。
とか言っておきながら、僕も自信がありません。
普段、高校生には学習する意義を伝えていますが、小学生や中学生には同じ言い方では伝わらない。
彼らの感覚になって、どんな切り口で、どんな言葉を使って届ければ響くのか、そこまで考えないとならないですもんね。
きっと、それができる大人が増えたら、もっともっと学びに前向きな、学びに意義を見出そうとする子どもが増えるのではないでしょうか。
ちなみに、高校生に対して学習の意義を説くとき、
「受験に使うから」とか「試験に出るから」
というのは、上中下で言うと下な回答だと思っています。
もちろんそういう側面もありますよ、でも、でも、学びの「意義」ですから。
もっと希望に満ちた、前向きになれる回答を探してあげてください。
きっとみなさんも、これまでの人生で経験してきているはず。
試験に合格するためだけの、大学に行くためだけの学習になることほど、つまらないものはありませんからね。
身近にいる大人の考えって、子どもにすごく大きな影響を与えます。
逆に言うと、子どもは大人の考え方にすごく影響されます。
あなたが学ぶことに価値を感じていなければ、それは子どもに伝わっています。
子どもが学ぼうとするかどうかは、あなたが学ぼうとしているかどうかです。
学ぶことが好きな大人であってください。
そして楽しそうに学んでください。
それができない人は、せめて「学ぶことにも意義があるらしいぞ」ってことを、伝えてあげてください。
僕も今年1年、「なぜ学ぶのか」について、より深い答えを求めて学び続けます。
って、周りの人に言うと、反応が分かれます。
あなたは、どちらでしょうか?
①「いいなあ、学べて」
②「今から学ぼうとするのってすごい」
これはおそらく、「学び」の捉え方を反映しています。
①を選んだ人は学ぶことを楽しんできた人。
学習に対して問題意識を持っていて、今も何かしら学ぼうとしているのではないでしょうか。
答えのない問いを好む人が多い気がします。
②を選んだ人は学ぶことを強いられてきた人。
きっと学習することに対する義務感が強くて、学ぶことに良い思い出があまりないのでは?
「学ぶ=正解を出すこと」って考えてる人が多そう。だから正解が出ないとイヤになっちゃう?
①の反応の人が増えたら、教育に関わる者としては嬉しいんですよね。
でも、きっとそんなに多くはない。学ぶって楽しいのに。
自分が知らないことが、世の中にはたくさんあって、知れば知るほど自分のちっぽけさを知る。
だけど確実に知識は増え、人生が豊かになっていく。
それが学びの楽しさだと思うんですよね。
ここで、ひとつ問題提起を。
小学生から「何のために勉強するの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?
中学生から「何のために勉強するの?」と聞かれたら?
高校生から聞かれたら?
3つとも同じでは困りますよ。
小学生なら、小学生に伝わるように。
中学生なら、中学生に伝わるように。
高校生なら、高校生に伝わるように、しっかり理由をつけて答えられるでしょうか?
これができる大人が増えてほしい。
とか言っておきながら、僕も自信がありません。
普段、高校生には学習する意義を伝えていますが、小学生や中学生には同じ言い方では伝わらない。
彼らの感覚になって、どんな切り口で、どんな言葉を使って届ければ響くのか、そこまで考えないとならないですもんね。
きっと、それができる大人が増えたら、もっともっと学びに前向きな、学びに意義を見出そうとする子どもが増えるのではないでしょうか。
ちなみに、高校生に対して学習の意義を説くとき、
「受験に使うから」とか「試験に出るから」
というのは、上中下で言うと下な回答だと思っています。
もちろんそういう側面もありますよ、でも、でも、学びの「意義」ですから。
もっと希望に満ちた、前向きになれる回答を探してあげてください。
きっとみなさんも、これまでの人生で経験してきているはず。
試験に合格するためだけの、大学に行くためだけの学習になることほど、つまらないものはありませんからね。
身近にいる大人の考えって、子どもにすごく大きな影響を与えます。
逆に言うと、子どもは大人の考え方にすごく影響されます。
あなたが学ぶことに価値を感じていなければ、それは子どもに伝わっています。
子どもが学ぼうとするかどうかは、あなたが学ぼうとしているかどうかです。
学ぶことが好きな大人であってください。
そして楽しそうに学んでください。
それができない人は、せめて「学ぶことにも意義があるらしいぞ」ってことを、伝えてあげてください。
僕も今年1年、「なぜ学ぶのか」について、より深い答えを求めて学び続けます。
読んでいただき、さらにコメントまで頂戴できてとても嬉しいです。
そうですね、私は11年間の教員生活の中で、「なぜ学ぶのか」と問われることが多く、無意識的にその答えを探していたのかもしれません。
作って遊ぼうさんのご指摘をいただいて、「ああ、たしかに学びの根本はそこにある。その感覚を忘れていたなあ」と気づかされました。
きっと、自分が学ぶ時にはワクワクしていて、学びたいと思っているのです。でもそれを言葉にして伝えようとしたとき、その内から沸き上がる情動を抑えてしまってたのかもしれません。
学ぶことって本当に楽しくて、幸せなことなんだよって、本気で伝えられる大人がいかに少ないか・・・。
まずは私自身がこの1年間、学ぶことの面白さを再発見することから始めたいと思います。
まさしく周囲からは「いいな~」と言われているのです。
「いいな~」を、「行かせてよかったな~」に変えられるような1年を目指します。
問題意識とやる気を呼び起こされました。
貴重なアドバイスをありがとうございます!!
私も教育現場で頑張ったとき、38の時教育センターに研修にいきました。修士課程は学生の時済ませています。学生の時には物理のことが無性に学びたいという内からの欲求があったように思います。しかし、教職に就いてみると、時を経るごとに、解決をしなければならない課題がドンドン出てきて、ここであれも学ばなければこれも、、、、と言うのがあって、上司(校長&教育委員会)にお願いして行かしてもらいました。研修では解決したいという目標があるので、大学院時代に良くわからなかったことも、現実問題として学ぶので、自分でもビックリするほど研究が進みました。研修を終わると、実証授業を繰り返して力を高めていきました。
この実践で《なぜ学ぶか》《何で勉強するの》について、学ぶことが重要ではなくて、内からの《解決したい(学びたい)》の欲求が沸き上がることが、学ぶ価値であると思います。
①や②だけでは人の心は計り知れないものがあります。それよりは、今私は何を学びに行くかが大切だと思います。
そのことが、学校に帰ったときに、学生の皆さんに《何のために学ぶのか❗》を伝えるのに役立つんじゃないかと思います。
長々書きましたが、ひとつの意見として受け取っていただけたらと思います。
人から見たら『いいな~』と言われそうですが、できる人だからこそこの機会が与えられます。