本行寺テレフォン説教

留守番電話を利用した3分間の仏教のお話。

仏知見

2006年12月30日 | 苦しみ・悲しみ・病気
 「仏知見」とは、仏の智慧でものを見る、すなわち、凡夫の目ではなく、仏の目で世の中を見るという意味であります。私たち、凡夫の見る目と、仏様の見る目では大きな違いがあります。
 たとえば、仏様の寿命は、無始無終で尽きることはありませんが、人間は、わずか100歳くらいであります。また、人間の体は、大きくて2mですが、仏様の体は、宇宙全体であります。
 ですから、100歳の寿命の人間の考える一生と、無量の寿命をもたれた仏様の人生観とには、大きな隔たりができます。また、小さな体を大事にしている人間と、宇宙全体の体を持たれた仏様とでは、これまた大違いであります。自分の体ばかりを心配している人間と、世の中全体のことを心配される仏様とではまた、大きな考えの差が出てきます。
 しかし、法華経には、人間は、仏様の子であり、仏様の命を生きていると説かれております。ですから、毎日の生活にあくせくしながらも、時折、仏様のごとく、世の中のこと、日本や世界全体のことなども考えて見なければなりません。大きなことや、長い長い将来のことを考えてみると、今の、小さな悲しみや苦しみが、意外と、悲しみや苦しみに感じないかもしれません。
 人間は、意外となんでもない小さなことに悩み、小さなことで苦しみ、いじけ、恨みを持つことが多いのではないでしょうか。たまには、「仏知見」のような大きな目をして、小さな悲しみや苦しみから逃れた、大きな心を持った、安らぎの生活を送っていただきたいものであります。常に、この「仏知見」の心を忘れずに生活して、いつか仏様になってくださることを、祈ります。