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6 コメント

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え? (ねこまんま)
2005-02-05 22:06:05
なぜ?
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それよりも、 (ooyama)
2005-02-07 23:21:08
人間がカマキリサイズになる努力をするほうが早いんじゃなかろうか。そっちの研究をすべきだ。
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 (北海道のかず)
2005-02-08 17:30:28
なんとなく面白そうだからだよ~<ねこまんまさん



うま 人間がカマキリサイズか。ならカマキリだけじゃなく他の昆虫とかも一気にみんな大きく見えるからよいかもしれないね。

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人間サイズのカマキリが (ooyama)
2005-02-13 04:49:04
出現したら、それは昆虫類に入るのか大論争が巻き起こるだろうな。カマキリといえるのかどうか。
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昆虫の規定を満たしていたら (北海道のかず)
2005-02-14 15:55:52
一応昆虫とするかな。



そうだね。カマキリとは別の名前がつくかもね。



ってか今最大の昆虫はどれくらいの大きさかなあ
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まあよくわからんが、 (ooyama)
2005-02-14 20:10:01
空間の相対性議論について考えてみた。



朝起きたら人間サイズのカマキリが出現していた。ここで、他のすべてが日常通りの大きさであれば、人間サイズのカマキリが出現したことになる。だが、虫すべてが人間サイズだった場合、自分が小さくなった可能性がある。しかしその場合、虫以外のものがどのように見えるかによって考えがわかれる。虫以外のものが普段どおりならば、虫がすべて大きくなったわけだ。しかし全然みたことない風景がひろがっていたとするならば、自分が小さくなったと考えるのが普通だ。とまあ、大きさとか空間の概念は、比較相対的なものということになる。



ところで、全世界すべてが小さくなった場合、あるいは大きくなった場合、どうなるか?これは、気づかないから、実際は大きくなったり小さくなったりしているかもしれない・・・ってなことを、哲学少年は考えるかもしれぬが、それは実は愚問なわけだ。



なぜならば、全世界が小さくなった大きくなった、という可能性を想像しているのは、別の第三者視点を想定しているということになる。まあその視点は、だいたい神とかいう名前で呼ばれて議論されることが多いが名前がどうだっていい。視点を想定しているということは、その視点から見ているということだから、全世界が小さくなったら誰も気づかないから実は小さくなっているかもしれない、というのは、視点の議論で簡単に解消できる。



空間は相対的比較概念であると同時に、視点によって変化するというわけだ。こういうのを、身体の射程現象学、と名づけてみたい。
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