多々少々
新たに注文した抹茶ラテとホットサンドが目の前に運ばれてきた。私は、今度こそ!と意気込むようにまずはその光景を写真に収め、
続いてラテの香りを楽しむ。抹茶は抹茶なのだがミルクが入ってるからか甘めな香りが漂う。これが本場のお抹茶との違いであろう。
だがお抹茶はあの苦い香りが良きポイントで、それが狭い茶室でとなると良い意味での渋さを生む。抹茶好きとしてはこの上ない環境
だ。そんなloverからしてみれば抹茶ラテというのは邪道にあたるかもしれないが、私はそういうわけでもない。今いるこのカフェ内に
響き渡るのはジャズ系やカントリーミュージックがほとんどで、そうした軽やかな環境下で飲むにふさわしいのはお抹茶ではなくラテ
だと思う。つまり、抹茶が入っていて環境が似合っていれば私の求める条件は出そろっているということだ。「君は本当に抹茶にこだ
わっているのか?」と愛好家から叩かれるかもしれないが、私は自分自身が満たされれば、幸せと思えればそれでいいと思っている。
それは「抹茶そのものを好むことこそが愛好家の証だ」という考え方が絶対的多数派というわけでもなくその逆もあり、人が人を分類
することはできないからである。
さ、香りで字数稼ぎをしたところで肝心の味はどうであろうか。マグカップを口元に近づけ香りを堪能しながら一口ふくむ。舌先に泡
が到達し、そのあとに液体が入ってきた。ホットを注文したが猫舌の私でも許容できる範囲の熱さで、味のほうは苦みのないクリーミ
ーな抹茶だったが、ところどころに粉末を感じる。溶け切っていないのか、それともそういう演出なのか、私のバカ舌では捉えること
ができない。だがそれでもクリーミーで飲みやすいながらにお抹茶茶碗の底にたまるあの粉感も味わえるという意味で抜群のお味だっ
た。だが昨今抹茶ラテの味など誰もが読まずとも想像できるだろう。ただこれが古代や中世となると話は別で、その時代に私が存在し
この日記を記せば間違いなく有名人になるだろう、という妄想はまたラテに溶けて消えてしまう。
さぁさぁ、ホットサンドはどうだろうか。味はハニーチーズで300円にしては豪華すぎる量。これは生粋の大阪人である私も黙っち
ゃいない。多分ここは営利目的ではないのだろうなと店主の雰囲気からも見て取れる。そんなことを考えながらも一口かじると、サク
ッという音とともにあつあつチーズがとろっとあふれ、そこから何度か咀嚼するうちに蜂蜜のスウィートな味わいも出てくる。あー、
いかにもグルメリポートにおいて王道中の王道ともいえる簡素な表現だ、語彙力が無さすぎる。ただそれにしても、なんという出来具
合だろうか。大阪のカフェでもこれほどのクオリティはなかなか出せないのではないか。周辺のお店もこれを見習ってほしいものだ、
とまた一口。そしてラテを一口。甘いものに甘いものと明らかにコンビネーションはよろしくない。幼少期によく家族で食卓を囲んだ
際、出てきたフルーツ数種類の食べる順番についてあれこれと悩んだことがあった。なぜなら甘いものを先に食べれば次のフルーツの
甘さが消えてしまうからだ。まぁその時は両親に言われるがままに食していたが、この度は違う。ただ実はこれは私の戦略で、ホット
サンドを食べた後に抹茶ラテを飲むと確実にラテの甘味は消えてしまうが、抹茶特有の渋みや苦みは残る。それを味わいたいから私は
あえてその道を選択した。この選択は多々あるのか少々なのかは不明だが、たとえ少々だとしても自分が幸せだからそれでいい。
これまで既にメジャー化したものでさえ最初は皆少々の選択から始まったのだ。そうして徐々に多くの支持を集めて大成したわけだ。
今はフォロワーもいないだらだら日記を書く私だが、いつか多くの人から読んでいただけるような日記や本を書けるようになりたい、
この多面性日記はその序章に過ぎない。