いろいろ考えるブログ 

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教育基本法改定に反対

2006-11-29 08:41:07 | Weblog
教育基本法改定に反対します

いくら「教育基本法改定成立へ」
のニュースが流されても
世の中の流れだから仕方がないとは思いません

反対意見がでている中、強行採決しなくてはならない

法案が「世の中の流れに乗っているもの」だとは思え

ないからです。

つまりこのニュースは教育基本法改定をしたい人が流し

ていると思っていいでしょう。

与党は少しでもその他の人の意見を聞いて
「修正」なりに応じたりしてもいいと思います。

「社会」のためという大儀名分があれば反対意見を無視

するやり方はとても「社会のために奉仕する人」の行動に

思えません。つまり自己矛盾です。

「少数」(この件に関しては少数だとは思っていません)

の意見を踏み潰す人が「社会の奉仕」を解くことはなんか

違和感を感じます。

「権力」をもっている人の仕事はまさに「少数」の意見を汲み取り

世の中の「調和」を実現することではないでしょうか?

人間の心を支配しようとする新教育基本法に反対します



戦争反対

2006-11-29 01:12:47 | Weblog
防衛庁を省にして権限を増やそうという考えは軍国主義の復活につながる危険な考えだと思うので、防衛省に昇格するのに反対します。

軍事力などというものは権力者の虚栄心を満足させるものでしかないと思います

無理に自衛隊が国際貢献の名の元に海外展開する必要はないと思います

楽して利益を得ることを考えると仮定してみます。一番ラクして利益を得る方法は他人のものを奪うことです国家レベルでこの考えが出てくると「他国への侵略行為」となってあらわれます。または侵略されて自分のものを奪われないかと心配するようになります。本当に働くのが大好きなら自分の財産がなくなることをそんなには心配しません。また働けばいいからです。だから怠け者は戦争が好きです。暴力で人の成果物を奪う行為ですからね。でも自分では戦争しようとしません「死んだらつまらない」からですね、こんな人が政治の頂点に立つと権力を使って下の人間に戦争に行かせようとします。死ぬのは庶民、利益は指導層ですからね。しかし、戦争はギャンブルの側面があり、勝てばいいけど、(死ぬのは庶民限定、指導層は安全)もし負けたら安全な場所にいたはずの指導層も「戦犯」として処刑されかねません。そこで、でてくるのが、自分の国より強い国の保護の下、その強い国のために軍事力を提供するという形での戦争参加行為です。負けない側についていれば、その強い国の戦勝の利益のおこぼれに預かれて、もし、なにかあっても、責任はふりかからないので指導層は安全だからです。

一番の怠け者はニートでもフリータでもない、戦争をあおる政治家である。

これは歴史を勉強するとよくでてくる事例です。

自衛隊が海外展開する理由はなにか?北米の超大国の要請に応じて恩を売っておこうという考えだろうと思う。



家庭教育崩壊

2006-11-19 00:41:43 | Weblog
いじめの背景に親の教育不在あり65%…読売調査(読売新聞) - goo ニュース

昔は(高度経済成長以前)農家にしろ職人さんにしろ、お店屋さんにしろ、だいたいは自分の家が仕事場だったのです。子供は親の働く姿を見ることができた。そして親は子供に接する時間には苦労しなかった。勤め人は少数派だった。(お役所や企業に勤める人が少なかった)。今でいう自営業が主流だったわけである

しかし高度経済成長は根底から社会構造を変えてしまった。

企業に勤める人のほうが多くなり、経済競争の結果、個人商店のほとんどはスーパーなどの大規模店にとって変わられ、家と一緒になっているような町工場も大規模工場にとって代わられた。経済競争の結果としては当然だった。しかしまだ働きにでているのは「父親」だけの場合が多かった。まだ主婦向けの内職なんかもあった。高度成長時代、給料もどんどん上がって、勤めにでたほうが簡単に高い収入が得られるのだから当然であった

オイルショックで高度成長が終わると、高度成長時代ほどには給料が上がらなくなってきたのとさらに企業の効率化が進んで、「内職」の仕事もなくなってきた(内職できるような仕事でも職場で集中管理したほうが効率がいい)今度は共働き家庭が増えてきた。両親とも勤めにでている家の子供は「かぎっ子」と言われ、そういう共働き家庭は教育上よくないと言われたものである。

やがて共働き家庭が当たり前になると、共働きでないと生活が成り立たないようになってきた。バブルと言われた時代くらいの話である。もうこの頃になると「かぎっ子」という言葉も姿を消す。そういう家庭や環境が当たり前になったからである

両親が勤めにでていて家庭に不在では、家庭教育もできるはずはない。

そこで地域家庭教育の代わりを公教育で行おうという動きがでてきた。新学習指導要領、ゆとり教育といわれたものである。

そんな時代からももう20年近くたった。

しかしついにそれも限界につきあたり、家庭教育の復権が言われだしたが、もう、ほとんどの家庭で両親が家庭で仕事をできる環境はない。最近ではまともに勤めても、賃金は下がる傾向にあるので、仕事時間を少なくすることも絶望的だし、大企業の工場や店舗が市場を制圧し個人商店や個人経営の工場でやっていって家族がその中で働くなんてことは、絶望的な社会環境である。

家庭教育の前提は両親が自宅で働ける環境だと思う。

今、どれだけの家庭が両親が家庭で仕事をしているのだろう。

たぶん極少数である

じゃ政府は「財閥解体」みたいに大店舗や大企業を解体できるのか?

現在の政府は規制緩和の名のもとに大企業有利な法整備や政策しかしないから、そんなことは絶対にありえないでしょう。つまり「家庭教育の崩壊」もすべては大企業、経済最優先の政策が必然的に招いたことだったのだ。

もちろん「高度経済成長」が悪かったといっているのではありません。
生活環境の向上、平均寿命の延び、教育水準の向上(高学歴化)など文明の進歩といっていいくらいの素晴らしい側面の方がはるかに多い。




共同体は何のためにあるのか

2006-11-18 02:48:24 | Weblog
創価学会の原田稔新会長 憲法、教育基本法改正に注文(朝日新聞) - goo ニュース

教育で人の心をコントロールしようという考え自体が変なことかも知れません。

特定の価値観を「教育」することは思想、良心の自由に反すると思う。問題は特定価値観の是非もさることながら思想、良心の自由を早いうちから摘み取ってしまおうという考えそのものがこわいのです。公教育は「塾」のように知識の伝達のみに特化してくれるほうがいいかも知れない。

「思想」「価値観」は大学で初めて教えるくらいでいいかも知れない。

「社会のために個人は存在しているとは限らない」

「個人のために社会は存在していると考えることもできる」

「何のための社会なのか?」

「何のための共同体なのか?」

「何のための国家なのか?」

「社会のための社会」「国家のための国家」ではなんか変です。

「強い社会または強い国家を作るために個人は犠牲的に奉仕しろ」

はなんか違うと思うのです。

「社会」とは「共同体」とは「国家」とは

「1人1人が助け合って快適によりよい暮らしをするための

「生活互助体」なのではないかと思う

そうあるべきなのです。
 





みんなで仲良く気配りを

2006-11-17 15:16:32 | Weblog
なんでもかんでも「グローバリズム」
なぜか平行して世の中を覆う「国際標準」「プロセス重視」
いろんな仕事のやり方があってもいいのではないのか
あまり細部まで方法論を詰めると息苦しくて仕方がない。

みんなで仲良くやっていくということは、ルールを決めて

守れない人を排除するとうことではなくて。お互いに気配り

を欠かさないことだと思う。

みんなで仲良くやっていこう。そのためにはあいまいなのが丁度
いいかも知れない。

権力者や人の上に立つ人はその下の人を追い込んではいけないと

思う。昔は「自分には厳しく他人には甘く」と言ったものです。

今の体制や権力みたいに下の人をルールで締め付けるのは違う

と思う。でも不正を喚起しているのではありません。念のため

「ルール」や「規則」が不要だと言っているのでもありません。

大事なのは「みんなで仲良くやっていくにはどうしようかな」と

考える心だと思う。それは「みんなの輪を乱す人を処罰する」では

なく、そういう人とうまく付き合っていく方法を考えていくことなのでは

ないか、、、とそう思うのです。

気配りが必要

2006-11-17 13:57:11 | Weblog
「正直」という言葉はなんか、人を追い込むし、精神の内面に踏み込むようなところがあって、生きている以上なんらかの都合で「うそ」になってしまうこともあるだろう。価値観の押し付けになってはいけない。私の言いたかったことは。要は
バランスが大事だということ、、、

そして、今の世の中に足りないもの「実直」、「愚直」なくらいでちょうどいい

そして「信義」、「礼節」だと思う。これではあんまり語感がよくないので、やわらくく言い換えれば「気配り」であると思う。

そうだ今の世の中「気配り」が足りない。

いいたかったことは「愚直」に生きていくという価値観も必要だということ、

「賢い」だけが能じゃない。

「要領よくやる」だけが絶対的な価値観じゃないということ。

自由競争の名のもとに「他人を蹴落とす」行為はあまり立派な行為じゃない

競争原理もまぁ必要な面もあるんですけどね。

いいたいのはそれだけじゃダメで気配りも必要であるということ。例えば、

敬語というものがありますが、目上の人に尊敬を表す面だけ強調されがちですが、

平等な相手に使う「丁寧語」、目下の相手に使う「謙譲語」というものがあって、

敬語の目的が「気配り」であることが分かります。敬語というものの性質はあまり親しくない人に対する「気配り」の方法の一つなんですね。原則、親しい人には敬語は使いません。(原則ですよ、あくまで原則、例外あり)でも「親しき仲にも礼儀ありです」









正直者はバカみる社会から正直では生きていけない社会に

2006-11-17 11:50:36 | Weblog
昔から「正直者はバカを見る」と言われましたが、最近では正直では生きていけない社会になりつつある。そんな社会ではいけない。

今必要とされる価値観は「愛国」でも「奉仕」でもない。

「実直」「まっすぐ」「正直」だ。

自分のことを「正直」「実直」であると言える政治家や各界有力者はいるのだろうか?

たぶんいない

うそではないが、わざとごまかしたり、誤解を与えたりする行為も正直、実直ではないですよ。

うそをついたら処罰しろと言ってるんじゃないですよ、

それでは恐怖の監視密告社会になってしまう。

そんな社会は嫌だ。「○○だから処罰して欲しい」では

恐怖社会だ。そんなことは誰も望んではいない。

みんなの意識の片隅にでも考えて欲しい。

ただそれだけです。






正直に実直でありたい

2006-11-17 11:41:30 | Weblog
職業に貴賤なしと昔習ったものです。
つまりどんな仕事でも世の中に必要なのだから、価値は平等だと、だから、自分の仕事に誇りを持って働きなさいという考えです。すると自動的に職種や職業によって待遇や賃金に差がでてきてはいけないということになる。それはそれで筋道が通る考え方なのですところが最近の政府与党の風潮ではまるで、肉体労働や単純作業は低賃遇を受け入れてしかるべきだといわんばかりの論調である。そして「受験エリート」がなる管理系の仕事が高給、高待遇であるべしとでもいわんばかりですね。

それは違うと思うのである。
それでは誰も末端の仕事をしたくなくなる。

だからみんな管理系の仕事につきたがる。当然ですね
「管理系」の仕事につくには受験エリートにならなくてはならない受験戦争が過熱する。まじめに実直に仕事するより、要領と仕掛け、機転が重視される世の中の風潮を蔓延させているのは政権与党である

受験を突破するには「要領」や「機転」の良さも必要だからです

「要領」とか「仕掛け」、「機転」も大事だと思います。

しかし、不器用でも、愚直に実直に仕事をすることも大事だと思います。

結局「教育基本法改正案」でも「愛国」「奉仕」はクローズアップされても

「まっすぐ」に「実直」にはクローズアップされない。

ちなみに「戦争」は暴力ですので、「まっすぐ」でも「正直」でもありません

今の時代、「まっすぐ」「正直」ほどないがしろにされた、価値観はないと思う。「まっすぐ」に「地道」に仕事している人がいて、「要領」と「仕掛け」で世の中を渡っていく人がいる。それで世の中が回っていたのです。

政治家自身が権力をとるために「さわやか」イメージを振りまいて、「民意」利用して選挙で勝ち、権力を握ってしまうと今度は権力で人を威圧する。手のひら返したように「政治の論理」がでてくるわけだ。

まァ昔から政治の世界とはそんな世界でしたが、それが、なぜか社会の隅々まで、でてきている。

これでは「真面目」に「愚直」に生きる人たちを愚弄しているとしか言えない

誤解のないように言っておきますが、
愚直に生きる大部分の底辺階層と一部のエリートにわけて、底辺階層にのみ、「実直」な精神を叩き込めと言っているのではなく。

「愚直」、「正直」いう価値観を政治家やその他各界の有力者の人たちは頭の片隅にでもおいておいて欲しい

「正直」「愚直」な人たちもきちんと生活できる社会は格差のない社会を目指して
いくことだと思います。昔から、口八丁手八丁な人が社会的成功を収めるというのは事実なんですよ、そして権謀算術を駆使して権力を手にいれたら権力で人を威圧する。それが、「社会的成功者」の負の側面なのだと思う。だから、昔は「社会的に成功した人」をなんとなくうさんくさい目で見る考え方もあったのです。「ねたみ、ひがみはいけない」と言った前総理がいましたが、「社会的成功者」を取り巻く「マイナスの視線」には根拠がないわけじゃないのですよ。だから昔から、「正直」、「愚直」な人は「社会的成功」に成功しない代わりに地味に暮らしていたわけである。

しかし最近の「構造改革」は「地道に生きる人」から普通の最低限の暮らしをすることさえ脅かしている。

最近の広報されるスローガンが生理的になんか嫌悪感がするのは、
「愛国」、「奉仕」はあっても「正直」はない薄気味悪さ。

もうこの一言に尽きると思います。

「働き者」を標榜する選挙ポスターはあっても「正直」を標榜する議員もポスターもいない。








強行採決

2006-11-16 08:35:37 | Weblog
教育基本法の強行採決がなされそうですが、議論は尽くした。では強行採決だ。ではなくて、議論とはお互いに意見を聞いて修正していく場所であると思います。強行採決する前のステップとしての「議論」ではいけないと思います。「強行採決」する前にもう一度政権与党には考えてもらえませんでしょうか?「なぜ反対意見があるのかと」


戦争絶対反対

2006-11-16 02:36:29 | Weblog
必要最小限なら核保有可能 中川昭氏発言で政府答弁書(共同通信) - goo ニュース


絶対に憲法を守ってくださいよ。

戦争絶対反対!!!

憲法を守ろう!!!

私ももっとおだやかな発言をしたい。

もっとおだやかな気分ですごしたい。

でもあんまりじゃないですか、

核戦争したいんですか!!!

政治家たちの権力ゲームの延長戦上に核戦争があるんですか!!!

「本気で言ってるんですか」

みんなを戦争に巻き込まないでください。