ビンセントを離れて、早1年半。
2009年3月、ビンセントから日本に太鼓が届いた。
太鼓仲間が作ってくれたもの。
この太鼓を貰うまでに、2年かかった。
2007年初めごろ
そもそも、帰国する半年以上前から「日本に帰る時には、作った太鼓をプレゼントする」と言われていた。
ビンシーの言うことはあてにならないが、私としても是非持って帰りたかったので、帰国が近づくと「そろそろ帰るからね」とアピールしていたし、太鼓仲間のオービーも作ってくれている様子だった。
2007年9月
しかし、帰国数日前に会った時に渡してくれるはずが、完成が間に合わず。(計画性のないビンシー)
帰国前日に首都まで持ってきてもらう約束を再度したが、最後の仕上げにいざ皮を張ろうとしたら、用意した皮が小さくて張ることができなかったらしく「I have a problem.」と電話がかかってきた。(何をやるにも深く考えないビンシー)
それでも、「ぜひ渡したい。完成したら友達に渡すから日本人の連絡先を教えてくれ」と言われ、一人の隊員の電話番号を教え、隊員には輸送料相当のお金を託して帰国した。
2007年12月
クリスマスカードに、「私はまだ太鼓を待っている」と書いて日本から送った。
2008年6月
最初に太鼓を送ってくれるよう頼んだ隊員が帰国、別の隊員が引き継いでくれた。
2008年12月
クリスマスに、日本から電話をして太鼓仲間の一人と話すことができた。
「お前の太鼓は、俺が持っている。どうしたらいいんだ?(当初の段取りなんてすっかり忘れているビンシー)」というので、隊員に渡すようにもう一度お願いした。
2009年2月
オービーから帰国間近の隊員に太鼓が手渡され、ついにビンセントから発送された。
2009年3月末日
私の元に、届いた。
包みを開けてみると、1年半前のオービーの「ボブマーリーを彫ったんだ」という
言葉通り、それらしき人間が彫ってある。
残念ながら、皮が破れていたので太鼓としては使えないけど、これは力作。
2年もかかったけど本当に太鼓を作ってくれた彼らの気持ちが、うれしい。言葉だけで終わるビンシーが多い上、時間と距離を越えて太鼓が届いたこと、これはかなりの奇跡。
「期待しない。でも、あきらめない。」
怒らず、焦らず、でもこちらから何度も働きかけて、ひたすら待つ。
そうすれば、もしかしたら、彼らの気持ちが動いて、いつか何か起きるかもしれない。
変わるかもしれない。そんな隊員活動を象徴するような、嬉しい出来事が、2年の歳月をかけて起きたのだ。
日本で働く生活が淡々と過ぎて、ビンセントの日々がどんどん遠くなっていく。
それでも彼らのことはよく思い出す。
活動についてもいまだに考えることがある。
確かにビンセントでの生活、隊員活動は終わったことだが、
経験したこと、感じたこと、考えたことは自分の中に残っていくもの。
彼らとの関係はこれからも続いていくもの。
I can't foresee the future or know how our lives will belnd,
But more and more I know that I have found a lasting friend.
最後に友達がくれたメッセージボードの言葉を見るたびに、
日本の反対側で、全く違う世界が存在していることにほっとする。
彼らは、今日も強い陽射しの中、外で腰かけておしゃべりしているんだろうな。