粟生駅の北、約700m、粟生橋の下に「来迎院」という寺院があり、境内の墓地の入り口に石棺材に彫られた小野市の文化財に指定されている五輪塔の板碑があります。
五輪塔の正面からは西方に向かって拝むように建てられています。板碑には五大種子が彫られていますが、彫が浅くはっきりと読めません。『小野市史』別巻文化財編によりますと、上からケン・カン・ラン・バン・アンという種字が彫られているようです。彫られた時期は鎌倉時代後期後半ごろ、14世紀前半も早い時期としています。
五輪塔は塔婆の一形式で、密教において始められた塔形式です。下方から方形・円形・三角形・半円形・宝珠形を積み上げ、地・水・火・風・空の五大をあらわすものとしています。この形の源流は、基本的に珠形を台座の上に安置し、笠をのせ、頂上に飾りの請花、宝珠をつけたもので、これに五大の思想を盛り込んだものであるといわれています。
五大とは、万物構成の要素を五つに見たもので、地・水・火・風・空の性質をいい、また、種子(しゅじ)とは、密教で仏や菩薩を梵字一字で表現したものです。
この板碑の種字は西への結界を表し、建立されている方向も西向きであり西方浄土、阿弥陀信仰にもとづくものでしょう。市内「浄土寺」に安置されている国宝阿弥陀三尊が西日があたると後光が輝くように。
この板碑は愛嬌があり、水輪が大きく造られているように見えます。地輪が埋まって見えないからでしょうか。太鼓腹を突き出しているように見えたのが第1印象でした。
五輪塔の正面からは西方に向かって拝むように建てられています。板碑には五大種子が彫られていますが、彫が浅くはっきりと読めません。『小野市史』別巻文化財編によりますと、上からケン・カン・ラン・バン・アンという種字が彫られているようです。彫られた時期は鎌倉時代後期後半ごろ、14世紀前半も早い時期としています。
五輪塔は塔婆の一形式で、密教において始められた塔形式です。下方から方形・円形・三角形・半円形・宝珠形を積み上げ、地・水・火・風・空の五大をあらわすものとしています。この形の源流は、基本的に珠形を台座の上に安置し、笠をのせ、頂上に飾りの請花、宝珠をつけたもので、これに五大の思想を盛り込んだものであるといわれています。
五大とは、万物構成の要素を五つに見たもので、地・水・火・風・空の性質をいい、また、種子(しゅじ)とは、密教で仏や菩薩を梵字一字で表現したものです。
この板碑の種字は西への結界を表し、建立されている方向も西向きであり西方浄土、阿弥陀信仰にもとづくものでしょう。市内「浄土寺」に安置されている国宝阿弥陀三尊が西日があたると後光が輝くように。
この板碑は愛嬌があり、水輪が大きく造られているように見えます。地輪が埋まって見えないからでしょうか。太鼓腹を突き出しているように見えたのが第1印象でした。