姫路市石倉から林田町まで歩いたときのことです。石倉バス停から少し北へ歩くと特徴のあるとんがった山が見えます。通称トンガリ山といって峰相山系の1峰です。
峰相山といえば『播磨国風土記』揖保郡の項「稲種山」に比定されている山です。この山は中世の地誌『峯相記』が有名ですが、それによれば神功皇后が三韓を治められたとき、新羅の王子を連れ帰り王子が草庵を結び千手観音の陀羅尼を誦したのが始まりだとしています。のち峰相山鶏足寺として隆盛を極めたということです。
峰相山鶏足寺の他に滋賀県伊香郡木ノ本町古橋に己高山鶏足寺、栃木県足利市小俣町に仏手山金剛王院鶏足寺があります。
己高山鶏足寺は、古くは修験場であったが、行基が仏像を刻んで寺を立て、白山開山の泰澄が修行場とした。のち、比叡山に入った天台宗の開祖最澄が再興したと縁起書にあります。行基・泰澄・最澄とほぼ同時代の高僧たちがかかわっています。
また、仏手山金剛王院鶏足寺は大同四年に修験の山石尊山を弟子の円仁から聞いた最澄が東大寺の僧定恵に伝え、定恵が山を切り開き一乗坊世尊寺を建立した。これが鶏足寺の草創です。天慶二年平将門の乱に僧定宥(定祐)が勅を奉じて将門を調伏、乱が平定したとき鶏足寺と改めた。将門平定のとき、定宥の枕に鶏が高らかに喝を唱える霊夢を見、将門の首に三足の鶏の足跡がついていたという伝説があります。
これらの鶏足寺は、お釈迦さんの十大弟子の一人、迦葉が入定された地を鶏足山だといわれるとこらから寺号に付けられたということがいわれています。しかし、伝承からは新羅から渡来してきた人たちの影響もあると思います。というのは、新羅の国の始祖は卵から生まれたという卵生神話があり、鶏を神聖視されているからです。
地名から見ると、『日本山名事典』『大日本地名辞書』を引いてみると、茨城県東茨城郡城里町と栃木県芳賀郡茂木町の境、三重県亀山市と鈴鹿市の境にある野登山、一名を鶏足山といわれる山、岡山県高梁市と総社市の境にそれぞれ鶏足山が見えます。
これらの地名由来は、山頂の大石に鶏の足跡があったからだとか、高梁市の伝説には、鬼退治を吉備津彦に頼んだ話があります。その鬼の正体は黒い鳥で足は鶏の足にそっくりだったことから鶏足といわれるようになったという地名起源の話があります。
これらは、「鶏足」という日本語から付会されたものでしょうが、本当のことは分かりません。ご意見をいただきたいものです。
峰相山といえば『播磨国風土記』揖保郡の項「稲種山」に比定されている山です。この山は中世の地誌『峯相記』が有名ですが、それによれば神功皇后が三韓を治められたとき、新羅の王子を連れ帰り王子が草庵を結び千手観音の陀羅尼を誦したのが始まりだとしています。のち峰相山鶏足寺として隆盛を極めたということです。
峰相山鶏足寺の他に滋賀県伊香郡木ノ本町古橋に己高山鶏足寺、栃木県足利市小俣町に仏手山金剛王院鶏足寺があります。
己高山鶏足寺は、古くは修験場であったが、行基が仏像を刻んで寺を立て、白山開山の泰澄が修行場とした。のち、比叡山に入った天台宗の開祖最澄が再興したと縁起書にあります。行基・泰澄・最澄とほぼ同時代の高僧たちがかかわっています。
また、仏手山金剛王院鶏足寺は大同四年に修験の山石尊山を弟子の円仁から聞いた最澄が東大寺の僧定恵に伝え、定恵が山を切り開き一乗坊世尊寺を建立した。これが鶏足寺の草創です。天慶二年平将門の乱に僧定宥(定祐)が勅を奉じて将門を調伏、乱が平定したとき鶏足寺と改めた。将門平定のとき、定宥の枕に鶏が高らかに喝を唱える霊夢を見、将門の首に三足の鶏の足跡がついていたという伝説があります。
これらの鶏足寺は、お釈迦さんの十大弟子の一人、迦葉が入定された地を鶏足山だといわれるとこらから寺号に付けられたということがいわれています。しかし、伝承からは新羅から渡来してきた人たちの影響もあると思います。というのは、新羅の国の始祖は卵から生まれたという卵生神話があり、鶏を神聖視されているからです。
地名から見ると、『日本山名事典』『大日本地名辞書』を引いてみると、茨城県東茨城郡城里町と栃木県芳賀郡茂木町の境、三重県亀山市と鈴鹿市の境にある野登山、一名を鶏足山といわれる山、岡山県高梁市と総社市の境にそれぞれ鶏足山が見えます。
これらの地名由来は、山頂の大石に鶏の足跡があったからだとか、高梁市の伝説には、鬼退治を吉備津彦に頼んだ話があります。その鬼の正体は黒い鳥で足は鶏の足にそっくりだったことから鶏足といわれるようになったという地名起源の話があります。
これらは、「鶏足」という日本語から付会されたものでしょうが、本当のことは分かりません。ご意見をいただきたいものです。