ご近所の遺物散策

自宅近くに在る、古そうな物を改めてみて回る。

小加倉(第6回-行者様ノ二)

2007-02-28 16:52:38 | Weblog
中央が「役小角」です。
向かった左が「前鬼」、右が「後鬼」です。
共に小角が使役した式鬼で、夫婦だったとも言われています。
明日はそれぞれの像の拡大写真を掲載します。

修験道は玄(原より深い意味で)日本人の宗教感を一番濃く持っています。
日本列島に多くの民族が流入し、多民族化します。
それを統一したのが天皇家です。
その頃の神道にはまだ、古代の理念は生きていたと思います。
確に平安に入り藤原氏が政治を牛耳った事で、神道の祭主たる天皇家の力は弱まり変化したでしょう。
でもそれ以前に天皇家が外来の仏教に頼り切った事で、弱体化は始まっていたと思います。
しかし、小角は神道と仏教を理想的な形で融合させています。
素晴らしいと思います。
神道は明治維新でまた大きく変化し、国家神道になりました。
そこに役行者の理想はありません。

小加倉(第6回-行者様ノ一)

2007-02-28 16:50:10 | Weblog
「役小角」の祠です。
木製の古い御神体が役行者(役小角)です。
修験道(山伏)の開祖と言われている人です。
もしかしたら我が集落は山伏の子孫かも?

小角は国家権力、特に当時の国家仏教に対して反旗を翻しています。
その第一理由は、僧侶が行うべき人民救済を怠り、権力に諂っていたからです。
彼は優婆塞(在家僧)と蔑まれても、日本の山岳信仰に由来する理念と厳しい修行を実践し、その力を持って貧しい人民救済を行いました。
それにより多くの人民の支持を得たのが僧達に疎まれ、朝廷に讒言され流罪になるのです。
しかし、彼の理念は弟子達により全国に広まり、各地に伝説となりました。
山伏はそれを現在まで、伝える人達です。

小加倉(第5回-御伊勢様ノ四)

2007-02-22 21:16:18 | Weblog
この御神体どう見ても天照大神には見えません。
その娘で天照の身の回りの世話をする、豊受大神の雰囲気がする。
伊勢大社でも外宮に祭られるし、食物の神でもある。
小加倉集落が農業を主体とする事で、その方がしっくり来る。
しかし、私は服装や髪型から韓国風ないしは中国風の気もする。