昨日、知人から
「引越しをしました。
引越し先の神社を教えてください」とラインがありました。
いつもならすぐに特定できるのですが、何でしょうか、
モヤモヤします。
思わず潜在意識に、相手の潜在意識とつながってもらい、話をしました。
すると、
「引っ越しの前に、前の住所の時にお参りしていた神社にご挨拶に行っていないの。
かなめができていないって腰を痛くしたのだけれど、気づいてくれないの。
前の神社にお礼のお参りに行かないのに、引越し先の神社を教えたくない」
と知人の潜在意識は伝えてきました。
私は、潜在意識に、自分自身の非礼をお詫びして、
前の神社に必ずお参りに行くと約束をし、引越し先の神社を教えてもらいました。
知人は、引っ越す前にお参りに行かないような人だとは思えません。
ラインで確認をしてみました。
すると、返信が来ました。
「引き渡しの時にお参りに行こうとしたのですが、猛暑で
そのままになっていました」と。
潜在意識のインスピレーションは、いつも
私自身、申し訳ないことに疑いながら、躊躇しながら
口に出しているので。
この事実を受けて、
「潜在意識さん、申し訳ありません。本当でしたね_ありがとう」と、
答えるのが精一杯でした。
神様の世界には「礼節」が大事です。
「礼節」は、礼儀ではなく、礼儀と節度です。
礼儀のことは、マナーでしよね。
「礼節」を話すには、反対語から考えるといいでしょう。
礼節の反対は、「無礼(ぶれい)」「不躾(ぶしつけ)」「虚礼(きょれい)」です。
「無礼」は、「相手を軽んじる様子」や「礼儀に外れている様子」を表す言葉です。
「不躾」は、「礼儀作法を十分に心得ていないこと」「礼儀作法をわきまえていないこと」を意味する言葉です。
「虚礼」は、「表面的で、敬意や誠意を伴わない礼儀」や「形だけの礼儀」のことを指します。
つまり、「礼節」は、相手を敬い、経緯や誠意ある礼儀作法なのです。
住居のある神社にお参りをすることは、当たり前のことです。
以前にも話したように、住んでいるとことは、悪因縁がほとんどですから
住まわせていただいている感謝を込めて神社に報告に行くわけです。
引越しというのは、住んでいる場所での一つの修行が終わるわけです。
長い間住まわせていただいたお礼、そして次の新たなる場所へ移るご報告をします。
神々の世界でも礼節が重んじられています。
すると、その神社の神様は、引越し先の管轄の神社の神様に
その人のことをご報告し、担当を受け継ぎます。
どんな職業、どんな性格、どんな考え方の持ち主で、これまで祈ってきたことなどを
まるで医者が紹介状を書くように、受け継いでもらうわけです。
そして、次の管轄の神社の神様が細やかにご指導くださるのです。
区役所の転出届や転入届よりも、細やかなものです。
神様の世界だから、そんなことをしなくても
なんでも瞬時に繋がるから必要ないと思われるかもしれません。
実際、神々とは、いい縁ばかりではありません。
味方をしてくれる神もいれば、敵の神もいるわけです。
そのため、前の神社の神様からの報告は、次の神社の神様にいい印象を与えることになります。
神の世界は、神格はそれぞれ異なるのですが、
共に神であるという「礼節」のもとに
互いを敬い事が進められています。
悲しいかな、人の世界には礼節は欠如していますよね。