ひとりあるきたび

歴史好きなオタクがのろのろと旅した記録。
日付は旅した日のものです。

本妙寺、とげぬき地蔵(巣鴨)

2011-07-04 | 東京都
芥川龍之介のお墓へ行きたくて巣鴨へ足を運んだのですが、寄り道が長くなってしまい書いてみます。
図らずもお墓が多くなってしまったので、ご注意ください。




芥川のお墓がある慈眼寺を目指して歩いて行くと、染井霊園、慈眼寺、本妙寺と並んでいます。
本妙寺というお寺は大きく分かりやすいのですが、著名な方のお墓や供養塔があります。






遠山景元や千葉周作などは説明不要な方ですが、歴代本因坊のお墓や明暦の大火の供養塔も…
振袖火事で有名な本妙寺ってこんなところにあったんだ!と思いましたが、明治時代に移転してます。
もとは文京区にあったそうですが、その前は転々としていたそうです。

お墓参りでいっぱいで、本堂のお写真を撮り忘れました…
お墓の辺りは丁寧に案内板が出ています。
あまりたくさん載せるのもあれかと思うので、少しだけ載せます。

まずは明暦の大火の供養塔。




説明いらないと思いますが、1657年、江戸の大半を焼いた明暦の大火の火元となったのが本妙寺です。
振袖大火といわれるのは、いわくつきの振袖を供養していた折の火が大火の原因という説があるからですが、個人的に江戸のまち再建の問題と関わらせる考え方のほうが興味深いです。
でも、3~10万の方が犠牲となったそうで、いつの時代もこういった災害と戦わねばならないのですね…もし人災であったなら、罪は計り知れないですよね…


歴代本因坊のお墓。




本因坊家は江戸時代の囲碁の家元四家のうちのひとつで筆頭です。歴代なので数が多く、面積も広いです。
囲碁の世界で高名な方ばかりでしょうが、一般的には秀哉の名が知られているのかな…
ヒカルの碁を見てから囲碁を勉強したいなと思ったのですが、できていないまま今に至ります。頭使うので難しそう。


森山多吉郎のお墓。


森山は江戸時代の通詞なのですが、結構凄い人物だと思います。
プチャーチンやペリーが来航した際に通訳として活躍していますし、門下生には福地源一郎や福沢諭吉などがいます。
あとは樺太の日露国境が北緯50度線であることをオランダ地図に見つけたりしています。


千葉周作のお墓。




いわずと知れた北辰一刀流の創始者です。
「技の千葉」とされた玄武館は江戸三大道場のひとつで、門下生もすごい人物ばかり…坂本龍馬、山岡鉄舟、清河八郎、山南敬助、藤堂平助、伊藤甲子太郎などなど…
周作も道場開くまでは波乱といえる人生だったような感じですね。


遠山景元のお墓。


「名奉行 金さん」です。有名すぎるほど有名ですね。
金さんは実際に名裁きをしていないと言われますが、痔を患っていたので裁定の場に出るどころではなかったという話がありますね。が、裁判が上手だったという説も実際にあるそうです。が、確証はないです…


天野宗歩のお墓。


「棋聖」といえば彼を指すそうですが、将棋が全く詳しくないのでネットで探したら、羽生棋士が「一番強い」と名前を挙げていたのが興味深かったです。
将棋を指せる方は記録を見て映像のように想像できるのでしょうね…うらやましい。


芥川龍之介のところで慈眼寺に触れましたが、芥川家以外のお墓を…

江戸時代の絵師・司馬江漢のお墓。


江戸時代の儒学者・斎藤鶴磯のお墓。




駅の方へ戻ると、巣鴨地蔵通り商店街の中にとげぬき地蔵があります。
よくテレビで街の声を聞いたり、中継したりしている場所ですねー




お寺の名前は高岩寺。もとは江戸時代、湯島に開かれ、下谷へ移り巣鴨へ移転されたのは明治時代だそうです。
延命地蔵菩薩がご本尊ということもあり、場所柄もあるのか私が行った日はお若い方がほとんどいらっしゃいませんでした(ごめんなさい)。
でも本当にたくさんの方で賑わっていました。



駅の道路を挟んだ向かい側に真性寺というお寺があります。
こちらは行基の開基で、江戸時代に江戸六地蔵のひとつとされ、徳川吉宗も度々立ち寄ったそうです。


こちらが江戸六地蔵、四番目の銅像地蔵菩薩像。1714年に作られ、都の有形文化財に指定されています。






予想以上にたくさん見るところがあって楽しい巣鴨の旅でした。