goo blog サービス終了のお知らせ 

雨の記号(rain symbol)

孫たちの世代が彼女を

孫たちの世代が彼女を

バスを乗り間違えてから25年、タイの女性が家族と再会
2007年2月7日(水)16:19

 [バンコク 6日 ロイター] 間違ったバスに乗ったまま行方が分からなくっていたタイの女性(76)が、25年ぶりに家族との再会を果たした。関係当局などが6日に明らかにした。
 現地紙によると、イスラム教徒であるこの女性は25年前、マレーシアでタイ南部ナラチワット行きのバスに乗ったつもりで別のバスに乗車。目的地から1200キロも北に離れた場所に到着してしまい、そこから南を目指して乗ったバスで、さらに700キロ北に行ってしまったという。
 女性はタイ語の会話や読み書きができず、路上生活などを経て、1987年に近くのホームレス施設に入れられていた。
 今回の家族との再会は、同施設に働きに来ていたナラチワット出身の学生3人が女性に話しかけたことがきっかけ。同施設の関係者はロイターに対し「イスラム教徒の格好をした学生らが彼女を訪ねて会話し始めたのを見て、彼女が話せることが分かったのです」と述べた。

 これは本当の話だろうか? もしもそうであるなら、この話はこうして紹介するだけでも相当に価値がある。この話はいろいろのことを考えさせ、なおかつ深い。波乱万丈といえばきこえはいいが、実際にこのような目に遭おうものなら苦労の連続なのは想像に難くない。
 1200キロ+700キロの行程というのは、日本列島縦断の距離である。舞台がアジア大陸なだけに話のスケールは大きい。
 二十五年の時を経て家族との再会を果たせたのは、「渡る世間は鬼ばかり」ならぬ、鬼はやはりいなかったと言えるのであろう。
 アジア大陸は広大である。今でこそ、国境がつくられ、何カ国の国があるとかの話になるが、実際問題として考えてみれば、それよりはるかに多い言語、部族などが存在するのである。
 くだんの女性もタイ語が話せなかったという。この女性が話せる言語はどういう言語か分からぬが、仮にナラチワット語なるものがあるとして、この言葉はどのくらいタイ語なる言葉と近いのであろうか。
 国と国境と言語を通じて、人間という生き物の不安定さが浮かび上がってくる。
 その女性を見つけ出したのがナラチワット出身の若者であったことに、ほのぼのとした温もりを感じる。彼(彼女)らはいわば孫たちの世代である。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事