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何と説明すればいいだろう・・・。ともかく、ここへやっと戻ってきた。
こんな経験は東日本大震災以来である。
自分は韓国ドラマやK-POPの話題を中心にブログを書いているが、東日本大震災に遭遇した後、それらの話題をブログに書き起こせなかった。
で、自身がその際に受けた被害を書き綴ることで数日を費やした。
もちろん、東北沿岸の人たちの被災に比べたらうんと小さな被害である。しかし、自身の受けた精神的ショックは大きいものだった。
韓国ドラマは見る気がしなかった。K-POPも視聴するどころではなかった。それらの情報収集をする気も起きなかった。
毎日、仕事から帰ってきてはテレビの震災や放射能のニュースにしがみついていた。
今回また、韓国の旅客船の沈没でそれと似た状況に陥った。事故の顛末があまりにひどいのがそれに輪をかけた。
うまく対応すれば、全部とは言わないが、多くの乗客が助かったと思われる事故である。船室に閉じ込められたままとなった乗客はそのまま船室から一歩も脱けられず帰らぬ人となった。
そのほとんどが二十歳に満たぬ将来ある若者だというのが、悲しさを強めてくる。
いったい船長は何をしていたのであろうか? 聞けば下着姿で救助船に助け上げられたという話である。三等航海士が舵を握っている時、船長はその場を離れていた。トップの立場にある者がこれほどのくつろぎが許されるほど、船旅というのは安全性の高い乗り物なのであろうか?
積荷も基準の三倍以上だったという。下が海水であるのを思えば船体もずいぶん沈んでいたことだろう。
こんな船の奥深く、出入り口がひとつかふたつしかない船室に放り込まれるというのは、まさに運を天にまかせる状態と言っていい。何か事が起きた時、悠長な指示や判断はそのまま彼らの命運に直結するのは疑いないところだ。
それを船長を始め乗務員らは、見晴らしや判断の利く場所からすたこらさっさと逃げてしまったのである。
ニュースを目にし続けながら、僕は僕なり滅入った気分の修復に努めた。毎日見ていたドラマを見るのをやめた。音楽を視聴するのもやめた。関連の記事も読まなくなった。
夜は早く寝床につき、朝早く起きて沈没船のニュースを追った。死者の数は予想した通り、増え続けている。
遺族は悲しみと怒りを強め、周囲は責任転嫁の喧騒とドタバタ性を強めている。馬鹿げたことを起こす人間やタダ飯にありつく人間・・・東日本大震災でも似たような事は起きた。
結局は自分を自分で癒していくしかない。自分を助けられるのは自分しかいない。
今日、一種のあきらめの中から割り切りが芽生えているのを覚えた。
そうなのだ。自分の身に降りかからなかったことを幸運と考えるしかないのだ。そして、仮に自分に命運を左右する何かが起こり、自分を助けられる唯一の場所にあの船長のような人間がいたとしたら、自分は不運として受け入れるしかないのだ、と。

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