
不老不死の生き物ベニクラゲ
人間の寿命と生きる目的(必要性)と長生き
我々人間は「地上の動物は年を取るごとに死亡率を上げていくのはごく自然」と思い込んでいる。
それはどうも間違った思い込みのようだ。集団社会を形成し煩雑な人間関係を整理しなければならなくなり、人生の大半を自分たちの観察に忙殺されているから勝手にそうだと決め付けているようである。
地球上の生き物を「老化と死亡率の関係」として生物学に見ると以下の生命種グループに分けられるらしい。
①☆年を取るにつれて死亡率が上昇する
②年を取るにつれて死亡率が下がる
③死亡率は一生を通じて一定
このうち人間は、「加齢と共に急速に容貌や体力が変化して、死亡率が上がるという生物種は人間の他にいない」①のグループに分類されるようである。
「人間は20歳と80歳では明らかに死亡率が違う」のを一例としている。90歳から100歳に向かいだすとさらに死亡率が上がって来てるのは、我々が人情生活の中で実感しだしている。
このような死亡率を持つのは「人間以外にはない」と生物学では認識しているらしい。年を取れば取るほど死亡しやすくなるのは人間界だけであり、他の生物界にはあてはまらない、と。
「種の存続のために生きる役割」を前提とする進化論に沿えば、我々人間は長生きするようになった。100年前までは人生50~60年だったが、今では100年生きるのも珍しくなくなってきた。
この現状を我々はどう理解すればいいのであろう。
「種の存続のために生きる役割」は果たし終えた。その後、我々はどうして数十年も生き延びるようになったのだろう。それはここに来て急速に死亡率を上げる要因となっている。
真の意味での寿命が近づいているからか。それとも他の生物のように人間の死に向かうペースはもっと緩やかなもののはずなのか?
だったら見合った目的さえ見つかれば人間はもっともっと長生き出来る生き物なのか? 他の生き物と異なっているのは明らかに不思議過ぎるが…。
家族のために生きる必要性と目的があって寿命が延びてくれたなら、新たな理由(仕事や目標)さえ見つかれば人間にはまたさらなる長生きの道が開いてくれるのだろうか…。
まさか、年寄は用無しにされだしたから、前に道は見えなくなり、姥捨て山に自ら歩いていくように仕向けられ、だから病気や老いを招き死亡率も上がって来だしているのか…?
★韓国ドラマ「怪しい彼女」を見終え、老いの問題、子育て、就職問題などに思案をめぐらしているうち、ついつい感想がわりに書き上げてしまった。