一番の敵は「自分の心の中にある欲」ってことで、オイラ的に、
今年は何事も真剣にってことを自分に課すことにしてるわけで、
真剣さの判断基準は、人にどう思われるかってことじゃなくて、
自分がどう思うか?ってことなんですけども、
自分に嘘をついてはいけない。みたいな感じ。
創価学会の活動家の頃は、そうじゃなかった。
そうじゃなかったというか、創価学会の世界の中では、
そうじゃない行動をとっていた。
(心の中は全然違うわけで、だから結局、創価学会を辞めるわけで)
他の創価学会員の目を気にしてるような行動が多かった。
(その方がみんなが喜ぶ!?)それに、創価学会の中では、
そんな、他のカイインの目を意識する機会がやたら多いってのがある。
でも自分は醒めてるみたいな感じだろうか、違和感か。
ま、創価時代はおいといて、
何事も真剣に取り組むってことは当たり前だとは思うのですが、
最近は、この考え方が古い!みたいな風潮があって、
一部の20代の人なんかと話すと、そういうことをすごく感じる。
真面目に働くなんてダサイ。
真面目にやったって仕方がない。
うまくやれって風潮がある。自己チューで狡猾な人物は、
オイラの周辺にもいる。コイツらは、人が見ていない所では、
ろくなもんでもないのだが、人が見てるとたんに、態度が豹変する。
で、見てる人がまたいなくなると、「へ、ちょろいもんすよ」
みたいな感じで、自己チューモードに戻る。
ベタな言い方だけど、人が見ていないということはないのだ。
自分がいるからだ。
人の目はごまかせても、自分の目だけは、決してごまかせないはずだ。
だから、敵は自分の中にある欲だと思う。
休みたい。
サボりたい。
いい暮らしがしたい。
人よりラクして儲けたい。
っていう欲が強くなってる風潮か。
「人の見てないところでもがんばれるかどうかが大事だ」
なんてことを言うと
「きれい事を抜かすな。そんなことしても一銭にもならんぞ」
って言う人もいるかもしれないが、オイラにしてみれば、
「あえて汚い言を言わせてもらったとして、このほうが儲かるんだって」
って言いたい。象徴的なことは、今、世間で大騒ぎの
「偽装マンション」と「粉飾決算」のように思う今日この頃。
マンションの「偽装」もライブドア決算の「粉飾」も、他人をだまして、
自分が儲けようという発想からきてると思うんだけども、
アイツらはたまたまバレただけで、
同じようなことをしてるのは他にもたくさんいるはずだ、
この人たち、バレなければ何してもいいのか?
金欲しさってことだけだったら、バレなければいいかもしれないが、
金イコール幸せではないだろう。
小嶋も姉歯も内河も堀江も、全然幸せそうに見えないもんな。
どれだけ金を儲けても、ハッピー感は味わえないんだろうなーと。
こんな書き方は卑怯だけども、たぶんホントだから書くけど、
今回の騒動で、報道されなくとも、直接的に、間接的に、
生活が破綻する人や、命を絶つ人が何人も出ると思うんだけども、
その上に乗っかって儲けた金は、いかがなものか。
いかがなものか?いかがなものか?(連呼してみますた)
結局そうなると、金じゃない。
金よりも、他人から一言、「ありがとう」って言われるような、
そういう生き方ができたら、言われたこっちのほうが、
ほんとに幸せだし、逆にありがとうって思える。
今回ライブドアにガサ入れをかけたのは東京地検特捜部だけども、
その地検特捜部トップが数年前だか、
就任したときに言ったといわれる言葉をテレビで知った。
「額に汗水たらして働いてる人たちの、
そんな努力が報われる社会秩序の維持に努める」
名前も知らない人だけど、いい事言うじゃんおまわりさんって思った。
ほんと駄文で・・・ジョゼでした。
今年は何事も真剣にってことを自分に課すことにしてるわけで、
真剣さの判断基準は、人にどう思われるかってことじゃなくて、
自分がどう思うか?ってことなんですけども、
自分に嘘をついてはいけない。みたいな感じ。
創価学会の活動家の頃は、そうじゃなかった。
そうじゃなかったというか、創価学会の世界の中では、
そうじゃない行動をとっていた。
(心の中は全然違うわけで、だから結局、創価学会を辞めるわけで)
他の創価学会員の目を気にしてるような行動が多かった。
(その方がみんなが喜ぶ!?)それに、創価学会の中では、
そんな、他のカイインの目を意識する機会がやたら多いってのがある。
でも自分は醒めてるみたいな感じだろうか、違和感か。
ま、創価時代はおいといて、
何事も真剣に取り組むってことは当たり前だとは思うのですが、
最近は、この考え方が古い!みたいな風潮があって、
一部の20代の人なんかと話すと、そういうことをすごく感じる。
真面目に働くなんてダサイ。
真面目にやったって仕方がない。
うまくやれって風潮がある。自己チューで狡猾な人物は、
オイラの周辺にもいる。コイツらは、人が見ていない所では、
ろくなもんでもないのだが、人が見てるとたんに、態度が豹変する。
で、見てる人がまたいなくなると、「へ、ちょろいもんすよ」
みたいな感じで、自己チューモードに戻る。
ベタな言い方だけど、人が見ていないということはないのだ。
自分がいるからだ。
人の目はごまかせても、自分の目だけは、決してごまかせないはずだ。
だから、敵は自分の中にある欲だと思う。
休みたい。
サボりたい。
いい暮らしがしたい。
人よりラクして儲けたい。
っていう欲が強くなってる風潮か。
「人の見てないところでもがんばれるかどうかが大事だ」
なんてことを言うと
「きれい事を抜かすな。そんなことしても一銭にもならんぞ」
って言う人もいるかもしれないが、オイラにしてみれば、
「あえて汚い言を言わせてもらったとして、このほうが儲かるんだって」
って言いたい。象徴的なことは、今、世間で大騒ぎの
「偽装マンション」と「粉飾決算」のように思う今日この頃。
マンションの「偽装」もライブドア決算の「粉飾」も、他人をだまして、
自分が儲けようという発想からきてると思うんだけども、
アイツらはたまたまバレただけで、
同じようなことをしてるのは他にもたくさんいるはずだ、
この人たち、バレなければ何してもいいのか?
金欲しさってことだけだったら、バレなければいいかもしれないが、
金イコール幸せではないだろう。
小嶋も姉歯も内河も堀江も、全然幸せそうに見えないもんな。
どれだけ金を儲けても、ハッピー感は味わえないんだろうなーと。
こんな書き方は卑怯だけども、たぶんホントだから書くけど、
今回の騒動で、報道されなくとも、直接的に、間接的に、
生活が破綻する人や、命を絶つ人が何人も出ると思うんだけども、
その上に乗っかって儲けた金は、いかがなものか。
いかがなものか?いかがなものか?(連呼してみますた)
結局そうなると、金じゃない。
金よりも、他人から一言、「ありがとう」って言われるような、
そういう生き方ができたら、言われたこっちのほうが、
ほんとに幸せだし、逆にありがとうって思える。
今回ライブドアにガサ入れをかけたのは東京地検特捜部だけども、
その地検特捜部トップが数年前だか、
就任したときに言ったといわれる言葉をテレビで知った。
「額に汗水たらして働いてる人たちの、
そんな努力が報われる社会秩序の維持に努める」
名前も知らない人だけど、いい事言うじゃんおまわりさんって思った。
ほんと駄文で・・・ジョゼでした。