八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信330号をアップします。

2018年02月24日 | 八障連通信
八障連通信330号をアップします。


八障連通信330号【PDF版】はこちらから。




通信本文はここから。



【事務局通信 Vol.43】
《福祉課との懇談会開催さる》
11 月 17 日、「市障害福祉課との懇談会」が開催されました。詳細な報告書(議事録)を現在作成中です。本号に同封予定でしたが、間に合わなかったので、次号同封となります。まことに申し訳ありませんが、ご了承ください。

《生活福祉課の精神障害者への窓口対応の研修会について》
昨年、生活保護の受給申請に関する市側の対応について懇談会の議題となりましたが、昨年の懇談会を踏まえ、本年より「相談担当、ケースワーカーを含めての対応についての研修会」が開かれております。講師として参加されたヒューマンケア協会の竹沢氏より、研修会参加報告が出されておりますので全文一挙掲載いたします。

生活福祉課の精神障害者への窓口対応の研修会に参加して 
ヒューマンケア協会 竹沢幸一
11 月 24 日(金)から 11 月 28 日(火)の 3 日間にわたり、生活福祉課が窓口対応の研修会を行いました。その際に八障連から精神障害者への対応について意見がもらえればと研修会への講師依頼がありました。講師と言っても講義ではなく、研修の講評や対応でのアドバイスなどです。研修では窓口対応のロールプレイも行いました。八障連からは 9 名の講師が参加しました。
私が参加した 24 日の研修では、グループホームから一人暮らしをしたいという女性が、世話人と一緒に相談に行くと言うロールプレイを行いました。
講師からは、通帳確認の際に世話人には確認したが本人には確認していないのでは?というコメントや、精神知的の当事者は約束出来ないことや計画出来ないこと自体に本人が生きづらさを抱えているというコメントなど、本人の立場にたって話を聞き制度を柔軟に活用してほしいというアドバイスをしました。
この問題は、八障連でも数年前から関わってきた問題でもあります。精神も含めて当事者が窓口対応で傷つくことが少なくなるように、生活保護が必要な人に支給されるようにとの思いもあり、生活福祉課に障害理解を深めてもらう研修を行いました。来年以降も引き続き研修が行われることを願っています。
協力してくれた講師の方々:沖氏(GH くぬぎの杜・八王子ホーム連)、八町氏(地域活動支援センターあくせす)、
竹沢氏(ヒューマンケア協会)、久米氏(GH くぬぎの杜・八王子ホーム連)、杉江氏(GH メゾンコム・八王子ホーム
連)、多摩草むらの会 3 名(ピアサポーター1名+同行スタッフ 1 名)、古明地氏(GH 駒里・八王子ホーム連)

《今後の八障連活動について》
「市議会議員との懇談会」が 2 月開催予定で、関係団体と調整しております。取り上げてほしい課題等がありまし
たら、八障連事務局までお知らせください。また八障連福祉フォーラムは、3 月 17 日(土)、学習障害をテーマに
した「DX な日々 美んちゃんの場合」上映が 11 月の運営委員会で決定されました。詳細は決まり次第お知らせし
ます。では、皆さま、よいお年をお迎えください。(八障連 事務局)


【お知らせ掲示板】
✦「市障害福祉課との懇談会」の報告(議事録)は、次号同封となります。
✦市議会議員との懇談会は、2018 年 2 月開催予定で調整してます。また福祉フォーラムは 2018 年 3 月 17 日(土)の開催となります。

八障連運営委員会
12 月 14 日(木) 18:30~21:00 クリエイト


【2017年の八障連活動を振り返って 八障連代表 杉浦 貢】
2017年の活動を振り返るに、悔いの残る年であったという気がしています。『八障連の内部だけに限らず、広く市民に向けたイベントの開
催を』と、意気込みをもって望んでみたものの...当初想定していたものとは大きく内容を変えなければならない形となり、開催自体も、
次年度以降に持ち越す形になってしまいました。自分なりに、『新しい八障連の形を模索する機会になり得たかもしれない』と考えるだけに、悔しいところです。今年度の反省を活かして、別な形で実現できればと思っております。
二つ目の反省は夏頃から秋にかけて、大きく体調を崩してしまったことです。ようやく夏バテが治ったかと安堵してから、幾日も経たぬうちに、長引く風邪をひいてしまいました。おかげで、八障連の代表として出席しなければならなかった会議にも穴を開け、運営員会も何回かお休みさせていただ
く事になりました。年齢による衰えもありますが...自分自身、日々の体調管理か甘かったと反省しております。そして
...この原稿を書いている今の時点でも、万全とはいえない状態が続いています。
今年度は運営委員の中にも体調を崩される方がおられて...将来に向けての八障連の活動をどうしていくかも、無視できない課題になっていると感じます。
来年の抱負市内の障害当事者、支援者を取り巻く環境は、ここ数年で大きく変わりました。八障連の加盟団体に限っても、どの法人さん、どちらの事業所さんも日頃の活動業務に追われて、同じ八王子市内にありながら他の法人、他の事業所の顔が見えにくくなっているのではないでしょうか。
希薄になりつつある『加盟団体同士のご近所づきあい』を八障連で仲立ちできれば...ということも考えましたが...なかなか思うような成果を出せずにいます。
もしかしたら、今後は八障連自体の活動の規模も、縮小せざるを得ない時期に来ているのかも知れません。しかし、いかに規模が小さくなろうとも、『障害当事者と地域社会との接点としての活動』や、『障害のある人と無い人とが、互いの顔を見て話し合える場を作る』という二つの目標を大切にしていくという取り組みについては、今後もずっと続けていきたいと考えています。
いろいろと迷いながらの歩みではありますが、もうしばらくは頑張りたいと思っています。先行きの見えない日々ですが、前に進まなければなにも始まりません。年の終わりに弱気なコメントばかり並べてしまいましたが、来年もどうか、ご支援よろしくお願いいたします。



【7 法 人 研 修 会 に 参 加 し てハーネス八王子 鈴木由紀子】
10 月 28 日「次世代がつくる新しい福祉2017~夢が持てる八王子福祉計画へ~」と題された 7 法人主催の研修会に、私は初めて参加しました。当日は、いまにも雨が落ちてきそうな曇り空でしたが、50 名ほどでしょうか、障害当事者やその親、施設職員や相談支援者、ボランティアなど、いろいろな立場で関心を持つ人たちが集まり、会場となった東浅川保健福祉センターの会議室には、終始熱気が溢れていました。

研修会の中で、ファシリテーター役の増田みつ枝さんのメリハリのある進行ぶりは見事でした。増田さんは忙しく歩き回って部屋全体に目配りし、参
加者たちが活発に議論する雰囲気を引き出してくださり、私にとって、そのお姿がとても印象に残りました。
まゆだまの細野満里さんと豊田さん、都立八王子特別支援学校 PTA 会長の三好美名子さんは、障害のある子どもを持つ保護者の立場で、いろいろなご苦労談を話してくださいました。既存の学童保育やスウィミングスクールに子どもを通わせたいのに「障がい」を理由に断わられた。それで、自分たちで地域デイグループを立ち上げて子どもたちがいきいきと動ける場を作ったというお話もありました。それが現在なら、障害者差別禁止法による「合理的な配慮」に鑑みて、理解のある教室にたどり着けたかもしれない。何しろ、お金を払ってそれらの施設のお客になるのですから、利用する権利は十分あるのです。また、例えばスウィミング教室のインストラクターが、障害のある人には教えられないということは、教えるノウハウを十分に持ち合わせていないという見方もできるのです。パラリンピックで活躍している選手たちは、たぶん、どこかで良き理解者や支援者とめぐり合い、力をつけたのではないかという思いも抱
きます。
八障連代表でもある杉浦貢さんも、十分説得力のあるお話をしてくださいました。私自身も、ある時期にわざわざ両親から離れて「一人暮らし」を実行した経緯があり、余計とも思える苦労もしたけれど、その体験を活かして、現在の私の姿があると思っています。「絶対に転ばないように杖で支えてもらうことではなくて、たとえ転んでしまっても再び起き上がれるように支援してもらえること」、それが障害者を持つ親たちにしていただきたいことであるという杉浦さんのアドバイスを、ご自身の貴重な体験に基づく思いがたっぷり込められた、説得力がある言葉として受け止めたのでした。
研修会当日も親子で参加して「この子が可愛いくて!!」とやさしく見守りながらお話をしていた方のお姿が印象的でした。お母さんやお父さんはいつも子どものそばにいる最も身近な支援者。しかし、そんな素敵なつながりがあっても、やがてはお互いに離れて別々の道を歩くことになるのです。巣立っていく子供が自らの力で生きられるようにしてあげること、それが、動物の世界でも、人間の世界でも共通な親の役割です。そして、彼らがいきいきと動き回り、そ
れぞれの思いを実現できるためには、いつも近くで支えている人、駅やお店など、いろいろな場所で彼らと出会う人たちがみんなで受け止め、進んでいく、八王子がそんなまちになれたらよいのです。自ら行動してこのまちの障害児福祉を押し進めてきた方々のお話には、聞き逃がせない内容がずっしり詰まっていました。どの方からも熱い思いがひしひしと伝わってくる、とても充実した研修会でした。
最後になりましたが、目が見えない私がこの研修会に参加するのに、準備期間も短い中、チラシや資料をすべて点訳して渡していただけたことに、とても感激したということもお伝えしたいです。このようなサービスをいつも受けられるわけではありませんし、主催者のご配慮に感謝いたします。ありがとうございました。


【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久】
闘病史 その 18
私が 1977年から始ま っ た ステロ イ ド離脱療法の治験患者となったのは1983年で、開始から既に 6 年が経過しており、実績も積み、ほぼ治療法としては確立したものとなりつつあった。実に 7~8 割の慢性肝炎患者が治っていたのであるが、治験患者として百何十番目かの私は、典型的な成功例とはならず、くまった患者(熊田 Dr)であった。1983 年 4 月に治療を始めて、約 1 年近くもかかってやっと GOT、GPT が正常値内に収まるようになった。
肝機能値が正常値内の治まるようになっても、ひと安心とならないのがウイルス性肝炎の厄介な処である。B型肝炎ウイルスが消失しない限り、再びウイルスが活発な活動を始め、肝臓を攻撃し、肝硬変、肝癌へと進展していく可能性が大きいのだ。
治るとは B 型肝炎ウイルスが消失し、ウイルスに対する抗体ができるという事である。一口に B 型肝炎ウイルスと言っても、単純ではなく、HBe 抗原、HBc 抗原、HBs抗原、DNA、DNAポリメラーゼというもので構成されているウイルスの全部の部品が消失しなければならないのだが、当時全てが検出される段階まではまだ至っていなかったように記憶している。一番質の悪いのが e抗原で、他人への感染力も強く、肝臓細胞の破壊力も強い。HBe 抗体陽性になると HBe 抗原は段々消失して行く。このことを血清変換(セロコンバージョン)というが、私もこのセロコンバージョンを目標にしていた。
最初に B 型肝炎ウイルスのキャリアと宣告された駒込病院では、10 人に 1 人しか発症しないと言われ、その 1 割の中に入り、ステロイド離脱療法では治らない 2~3 割の中に入り、何と運が悪いのだろうと恨めしく思っていた時期がある。1983 年 7 月 30 日に退院してからは 2 ヶ月ごとに外来に通院し、肝機能を調べていたが、1974 年 2 月初旬頃不安に駆られた私は、2 月 21 日の早朝に熊田 Dr の自宅に電話をしている。その日の事
は昨日のように覚えている。かなり動転していた。
その 3 月に復職してからも GOT、GPT は正常値内に収まり続けていたが、セロコンバージョンが
起こる気配がないまま日々が過ぎて行った。記録が手元にないので時期は全く分からないのだが、ある外来日に熊田 Dr よりセロコンバージョンが起こったと言われた時のこともよく記憶している。心の中では飛び上がらんばかりの歓喜を上げていた。直ぐに私が発した言葉が、「先生、これでお酒を飲んでも良いですね」だった。嬉しそうに頷いた先生の気持ちの中ではビール1本位だったかと思うが、もう治ったと確信した私がお酒を飲み始めると 、元々強か ったので時にはかなりの量 を飲ん で し ま った 。 ベ ロ ~ン 、 ボ ロ ~ン。チャチャチャ。



通信本文はここまで。


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