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「邪馬台国の謎」に迫る。

2017-07-06 21:37:05 | 日記
 「邪馬台国の謎」に迫る。邪馬台国(日向神)に現れた卑弥呼の面影(写真)。      昔から「邪馬台国の場所」についての論争は関西の「大和の国」と九州の「筑紫の国」が有力候補として挙げられいますが、私はどちらも正しいと思います。私は邪馬台国は最初は九州の「筑紫の国(日向神)」にあり、それが奈良の「大和の国」へ移動したと思います。だから今でも九州と奈良では「筑紫山門」と「奈良大和」のような同名の地名がたくさん残っています。皆さんも、家を引越した場合、前の家と同じ造りにしたいと思うことがあると思います。それが山門(ヤマト)と大和(ヤマト)とのように同じ地名として残ったと思います。また卑弥呼はシャーマン(気功師)でした。私は父(原田筑紫)が画家だったので、子供のころよく父に連れられて、筑紫の国の日向神というところ、女優の黒木瞳さんが生まれた近くにある景勝地へスケッチに行きました。そこには中国を想像させるような岩山が幾つもあり、その一つに穴のあいた岩山があり、その穴から太陽が差し込む姿はまさに神々しく、卑弥呼の姿を想像させるような光景でした。私は7歳のとき父に連れられて奥八女にある邪馬台国(日向神)へ訪れました。そこで父から卑弥呼がこの土地で大蔵一族に太陽の光明の力を借りた気功を教えていた話を聞かされました。大蔵一族とは卑弥呼の護衛をしていて国を守っていた一族です。今の大蔵省はこの大蔵の名前に由来しています。大蔵一族の一部は卑弥呼とともに奈良の飛鳥へ移り、残りの大蔵一族は九州北部の原田庄へ移り、氏を「原田」に改めて原田一族になりました。私は原田一族の子孫に当たります。 原田氏の由来 原田氏の前身は大蔵氏であるといわれている。天慶2年(939年)大宰府の藤原純友の乱鎮圧のため大蔵春実が源経基・小野好古らとともに出陣。 戦功により菊桐の御紋と日の丸の御印を拝領、征西将軍に任じられ、筑前・豊前・肥前・壱岐・対馬の管領職となる。 城を築き移り住んだ御笠郡の地名(原田)をもって原田氏と名乗る。
筑紫の国の久留米と羽犬塚と八女は国道で一直線に結ばれた㊣三角形をしていて、この人口の少ないこのあたりから芸能人や著名人が活躍しているのも、筑紫の国がもたらす独特の「氣」の力だと私は確信しています。作家の五木寛之、歌手の松田聖子、チェッカーズ、チューリップ、俳優の田中健、黒木瞳などあげたら切りがありません。わたしが氣を感じた大和の国にある「天川神社」が芸能の神を祭っているのも、単なる「偶然の一致」とは思えません。 

 「邪馬台国のあたりでは不思議と芸能人が多く出ています。女優の黒木瞳さんは私の母校である八女高校の後輩です。黒木瞳さんが芸能人になるこに憧れたのは八女高校の先輩である「田中健さん」が同じく八女出身の作家「五木寛之さん」の代表作「青春の門」が映画化され、その主役を田中健さんがされ人気が出始めたころに母校の八女高校を訪れ、その姿見たからだと聞いています。田中健さんの一つ年上のお姉さんも八女高校で実は私の「初恋の人」です。彼女に私が最初に出合ったのは私が羽犬塚中学の二年生の時で、学校の渡り廊下でのすれ違ったときでした。彼女はまだ中学一年生でしたが容貌がすごくせいたんで「澄んだ瞳」が印象的でした。彼女とすれ違った後になぜか「邪馬台国の卑弥呼」を連想しました。彼女とは最初は文通をして、私が高校二年のときまで交際しましたが、大変弟さん思いの人で逢ったときはいつも弟(田中健)さんのことばかり話していました。彼女と一緒に私の実家の近くにある「石人山古墳」へいったことは今でも思い出すことがよくあります。  私は八女高校を卒業してミッションスクールの西南学院大学へ入りましたが、大学3~4年の時のゼミでは、チューリップの財津和夫さんと同じゼミでした。彼はよく授業が始まる前にギターを奏でていたのが私の記憶に残っています。このように実際に私のまわりでも、芸能界で活躍されているひとが見えるのも、この筑紫の国で誕生した「卑弥呼の氣の力」が今でも残っているからだと思います。

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