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Unknown (KEI)
2008-03-11 14:55:47
ふむ。

君の文面から、僕が対話をやめる方向で考えてると感じてるのかなーと察しました。客観的な視点をもたないと、そうなるのだろうと感じます。何度も言ってますが、ただ忙しいだけですよ^^;

昨日、この記事の前の2つも読んでますし、今この記事を読みました。

僕のわからなさが解消できたことで、次の展開があるべきところなのですが、以前書いたように君が客観的な視点を持たない、または排除してきたのなら、僕の初期の君のイメージが勘違いだった可能性もあって、僕は僕で元に戻る可能性がある、と述べています。それを君が受け入れられないのではないか、という点も(言葉は違いますが)既に書いたと思います。で、この詩文から私の予測は的中した可能性がありえます。

僕が元に戻っても対話は終わりません。ですが、元に戻った僕と対話できる寛容さが君にあるのか、の方が気になるわけです。元に戻ること自体を間違いのように言われても元に戻った僕には無意味であることは君も分かるでしょう?

僕は客観的な視点を手に入れることで少なくても当時は救われたと確信しているので、この点を他者にどう否定されても本来再考する余地はありません。ですが、君との対話の中で、少し再考することはできました。これからも再考するかもしれませんが、再考しなければならないという主観的な是非の判断は、僕には無意味です。

前から一貫してるように(君と出会うまでの僕は)僕の到達できた地点を絶対的な真実、正義とするつもりがない代わりに、逆に間違っていると思うことも限りなくゼロに近い。他人の生き方、考え方、価値観に対しても善悪、清濁、の判断もしない。むしろ、尊重したいと願う。もちろん、人間として好き嫌いは別問題ですけどね(これは主観の話です)。それとは引き換えに、僕自身が、一元的な正義、真実の判断をする可能性が少ない、いやゼロとさえ感じる。中心を知る、自分を知る、世界を知る、等も拝聴しますが、これを考えなければならない、まるで答えがあって追及しなければならない前提で言われても、僕には受け入れら得ない可能性が高い。

そういった多元的なものの捉え方、主観的な真実や正義は人間の数と同じだけある、といったもの(これが僕が言う客観的な視点に含まれる内容)が僕を支えている以上、主観的な何かに答え、真実、正義を求めることはありえないのです。

で、君との対話における今後の問題は、こういった他の人も言うかもしれない月並みな僕の意見に意味があるのか?ということでもあります。月並みといっても、誰もが言うわけではないでしょうね。これも前から言っていますが、僕は同じ壁にぶつかったものにしか分かりえない内容だと未だに思っています。それはこの詩を読んでコンタクトをとってきた者の中に「死ね」と暴言を吐く方がいることからも伺えます。

過去も現在も君の詩を解釈しようと試みた方が多くいらっしゃると思います。文言の抽象性から読まれた方の数だけの解釈がありえます。僕は君と具体的な対話をしたので、君が詩に込めた真意には近づけていますが、まだ分からない部分もあるとは思います。だから、対話をやめるつもりはないのですが、君がもし、僕が元に戻ることを絶対的な間違いとして否定した場合、僕との対話を無意味にしてしまう可能性は残されます。現に、この詩文にも僕に対する主観的な決め付けが多く見受けられます。これは、君が自分とは違う生き方、価値観に対して善悪、清濁の判断をしてしまっているともとれるわけです。

勘違いしないでいただきたいのは、君がたとえそうであっても対話はできます。これは、僕の価値観から判断してもらえると思います。ですが、君自身にとって意味があるのか、について微妙に疑義が生じるのです。

詩文で「多くの人を傷つけた可能性」を述べてますが、もし傷つけたのだとしたら、それは君の詩や価値観とかが原因ではなく、単純に、君が君を想う他者の気持ちを聞かないことに起因しただけの可能性もあると思います。客観的視点を排除してきたのなら、とくに。この詩文からも、僕の気持ち自体は理解してくれていないと感じています。

ふと思うのは、この詩を書くことで君は、昔悩んだ僕のときとは比べものにならないぐらい君を想う他者と出会いすぎたのかもしれない。
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Unknown (KEI)
2008-03-11 15:11:20
それと、追加しておくと
0’01
の意味は僕はそこまで深く考えてないよ。
君が
超主観 主観 客観 を
012
と表現したのに対して、2進法を念頭に
0が主観、1が客観と区別して表現しただけ。
’に劣る、興味がない、といった主観的付加価値は
つけたつもりは全くない。ちなみに、それを書いた
時間って、朝方でしょ?


君に客観的視点を持つ気があるのか?という
疑問さえ生じうるよ。君の言葉を借りるなら
君の方が客観的視点に実は興味がないんじゃない
だろうか?とさえ感じてしまう。
これが上述した今後の対話の問題と深く関わる。
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同じネタでまだまだいけるね(笑) (はにゃ)
2008-03-11 17:16:04
>対話
察するところが全然違う。
僕はこの記事ではそんな話はしてないです。
しかし、その読解自体の個性を、否定はしませんが。
君が今回書いた事の中の一部は、何年も前から僕が既に気をつけていることです。
また、僕の詩を読んで「死ね」と言ってきた人はほとんど居ないと思います。
これは過去ログのコメント欄を全部チェックすればわかることです。
僕の文章を読んで、あるいは人から僕の噂を又聞きして、
「勝手に死んで下さい」などの言葉を残してどこかへ去っていった人は居ます。

ゼロとさえ感じる、という部分についてはかなりびっくり…。
僕は自分が何かをゼロだと思うのは、せいぜい存在くらいのものです。

>受け入れら得ない
受け入れられない
の誤字という判断でOK?

最後の部分が、ようやく面白いと感じます。
僕にとって。

つまるところ、僕は今回のそのコメントからは、
誤解が膨らんだか、あるいは誤解が膨らんだと見せかけた
挑発によって次の観察のステップに進もうとしてるように感じられるわけですが。

僕の文章は、思い込みの強い人が読むと、
だいたい誤読するように出来ているんだと思います。
それは、以前君も言ったように、
多義性を考慮せずに、可能性を排除してしまった場合にしか、
意味が一方向には収束しないように出来てるからです。

そもそも僕は、神話という単語を用いるからと言って、
一元的に文章を書いているつもりはありません。

また、話題をスルーせずに書いているのは、
予想が当たったという意味にもなりません。(なってもいいんですが)
このblogは、一人だけのために書いているわけではないからです。
「君」に向けて書いています。

あるいはもちろん、これは僕のために書いている文章です。
その意味においては、そのコメントの解釈でだいたい合っている事になります。

客観に関する、別の解釈を付け加えておきます。
誤解を恐れる気は全くありませんので。

君が、僕の客観です。
これは僕が君のところへ到達したという意味ではありません。
君のことをわかったという事でもありません。

しかし同時に、君は客観ではない。
君は他者だ。

そしてまた、君は僕にとって未来であり、
絶望的に遠い宇宙の彼方でもある。

そしてまた、君は過去の僕の幻影でもある。

さらに付け加えれば、僕が存在しない時、君は存在しない。

そして、僕が死んでも、君は死なない。

ヒントとして書いておくと、エクリチュールと不確定性原理についての
再考を求めます。
強制はしません。

なにかをわかってしまったとき、それは対話の収束に繋がり、
「なにか」がなにかわからないときに、それは知りたいという
欲求に繋がるらしいよ!

まぁ、これについては僕が考えたわけじゃないので、
なんとも言えないけど。
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Unknown (KEI)
2008-03-11 19:49:31
堂々巡りのようですね。お手上げ感が強まりました。
何度も言いますが、君の文章から、僕が間違っていると判断しているように聞こえるのです。それを指摘してもさらに君は、僕の読解が足りないかのように、すべて他者側の責任としてしか述べない。まだわかってない、と言いたげだ。僕は君が正しさを追及することを否定するつもりはないといった代わりに、僕自身、正しさを追及するつもりがない、とも言った。僕は君の主観によって、再び再考することはない気がしてきている。君が僕との対話の中で君自身が考えることは否定しないし、また友達として拝聴できるのだが、なぜに僕が今までの自分を否定してまで考え直さないといけないのか、わからない。正しいものがないと思っている僕からすれば正しいものを追及する行為自体、不可能を強いられてる感があるんです。

ゼロとか、確率論的な全否定は、客観的に言えばありえない。この点はむしろ僕の方が先にしてきた主張であって、ゼロとさえ感じると書いたのは、僕の主観にすぎません。僕が客観的視点を手に入れたといっても、僕自身の価値観などを言葉や文章にしたときは主観的なものに成り下がることも多いわけです。だからこそ、僕自身が自分の価値観を他者に押し付けることを避けるんです。僕が完全に客観的な意見を述べていると勘違いされてませんか?僕は主観と客観のバランスのよさを求めてきたんです。もっといえば、両者の区別をしっかりする。特にマイナス思考、ネガティブ思考に陥ったときには客観的な視点を意識します。

ちなみに、
>僕の詩を読んで「死ね」と言ってきた人はほとんど居ない
おっしゃることが180度変わってます。君から聞いたんですよ。だからこのセリフを書いたんです。もし、そんなことを言った人がほとんどいない、というならそれが客観的な事実なのでしょうから、それでかまいません。君が不特定多数の人に向けて書く行為も、それでいいと思います。僕のプライバシーの侵害がある場合についてはメッセしてます。

僕の周りには、自殺を口にする人を嫌って、罵倒する人も結構いますよ。だから、同じ壁にぶつかった人にしかわかりえないと表現しているのです。同じ壁にぶつかった人じゃない場合、同情や友情、愛情といったものからしか話し合えないと思っています。そうすると、人によってはその人も同じぐらい苦しみます。僕がそうでしたから。僕の場合は、同じ壁にぶち当たった友達の相談に乗ったことから始まった。だからといって、君の場合もそうだと決め付ければ、客観性が欠落するので僕は「この点は、君と僕とでは違うのだろう」ととりあえずは結論付けたんですけどね。
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僕はいまだに何の結論も出てないよ。 (はにゃ)
2008-03-11 20:18:34
少しだけ、気付いたことがある。
マイナス思考、ネガティブ思考に陥ったとき、
僕は考える事を決してやめない。何年も考え続けて、
そしてようやく何かを掴み取る。
そして、その掴み取ったものが、人に会うたびに砕け散る。
そしてまた、考え始める。
僕は鬱になったくらいで自分を諦めたり、
誰かの言うことを信じたりしない。
これは人間不信なんだと思っていたが、どうやら何か少し
意味が違うようだ。
僕のは少し、狂気の沙汰に近い。

だからたぶん、もしも本当に客観性という軸を
たとえ3%でも持っていたら、
その3%が君を苦しめる。
だから君は、その3%を僕に話して、2%や1%に薄めたいと
そう思う。

けれど違う。
僕は、その3%を察する事ができていない。
だから、君はそれを説明しようとする。
そこで、僕のわからなさ、に対して絶望する。

僕は、もう今更、正しさを追求していないんですよ。
その事は、不確定性原理で説明したんです。
そして、僕が生まれる前から、すでに正しさなんて無かった事に、
衝撃を受けた、と、説明したはずなんです。

『考え直さないといけない』という義務ではありません。
僕は君の再考を促し、期待した。
それは君が僕に客観性を期待したのと、同じものだと思っています。
だから僕はあれからずっと客観性という言葉を多用して考えている。

僕が疑っているのは君に客観性があるかどうか、
ではありません。
君の客観性は、「客観性」と自称できるほど、
硬いものかどうか?という疑問です。
自分では無いものさしを使って、自分を表現する事の難しさに対して、
君がどれくらい深刻な絶望感を持っているのかを、
僕の絶望感と照らし合わせて測っているのです。

ちなみに180度は変わってませんよ。
あと、おっしゃるって書く必要無いよ。
言ってること、って書けばいいよ?
なんでそこで距離感遠ざける?

「勝手に死ね」って言ってくる人はいるよ。
「勝手に死んで下さい」とか言い方もいろいろ。
僕が書いたのは、詩を読んで僕に死ねって言ってくる人が
ほとんど居ないっていう説明だよ。

再考は何度も促してるかもしれんけど、
それもこれも、最終的には君自身が決めるんでしょ?
それを「強制」という言葉に繋ぐのは、君の弱さ、
僕の弱さに繋がっていきませんか?
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Unknown (KEI)
2008-03-11 23:44:03
僕が強制という語を使った主たる場面は、単純に、このブログへ書くか書かないかの話、厳密には不特定多数の人に向けて書かれたくない「僕」のプライバシーについて書かれることに対してだ。それ以外にも使っているケースはあるが、君が強制の語義を辞書的に使うなら、確かにそれは、こちらのミスというか、不適切な表現だったことになる。しかし、そんなに引っ張る論点じゃないだろ?強いて言えば、確かに今回の「強制」という語義に対する君の姿勢は客観的だったともいえる。すべての語句をこのスタンスで用いていくなら俺も努力するが。前に話したとおり、君の方が本来の語義以上の意味を込めて使う度合いが広い。良し悪しの話で言ってるのではない。本来の語義という語句にさえツッコミが入るが、それも前にも辞書に書いている意味と説明している。改めて議論するような話じゃない。

ちなみに、僕の忙しさはレポートだけじゃない。僕らは本来毎日10+数時間の勉強時間が必要だといわれている。これは全国的に同じ境遇の人なら知っている話。もちろん、僕自身2月は守れてなかったわけですが。そういった忙しさを理由にすることも否定され、さらに対話するには再考が必要である=分岐点のときのような地獄に戻れ、のごとくいわれてると感じる。何度も言うが、対話をしないつもりでない。こちらの事情を考慮せず、怒らせてまで対話に引きずり出そうとしているのか?とさえ感じる点を指摘している。恩着せがましく言うつもりもない。君が他者を見れてない証拠じゃないか?という命題を提示している。

抽象的に、人間の弱い、強い、の議論をするのもナンセンスだ(これは僕の主観)。客観的に言えば、人間の中でも、ある部門は強いが、ある部門は弱い、とか、そんな話もありえるわけで。一例を挙げればアスリートの多くは自己を鍛えることには強いが、中には、恋愛や人間関係においてメンタル面が弱かったりするケースもある。もちろん、世間一般では人間の全体を強い、弱い、と表現することも多いけどね。

元に戻った僕としては、僕の客観的視点が他者から否定されようが、完全じゃなかろうが、はっきりいってどうでもいい。当時の僕はそれによって救われ、生きるという分野について弱さを克服する糧となった。それが事実だからだ。君が自殺する決意をもったまま、僕に再考を促すことに対して、僕は強烈な違和感を覚えるんだ。僕は自殺したいと思わないし、君に自殺して欲しくない。(もちろん、客観的には将来どうなるかは分からないけどね)この気持ちを伝えたところで君には届かないこともよく分かってきた。ただ前にも言ったが、君が自殺すれば、僕が分岐点で悩み選んだ道が正しかったことを君が証明するに等しい。君は僕に再考を促したい、というが、君は僕の考え方を本心で考慮してるか?興味を持ってるか?僕は疑問だ。それでも僕は、君に僕の考え方をもて、とまでは言うつもりはない。それは君自身が僕と違った選択肢を選びながらも自殺しない結論にたどり着く可能性も感じてるからだ。その代わり、君と同レベルで再考するつもりはなくなってきている。僕が再考することがあるとすれば、君自身が儲けたタイムリミットを、君が再考する中で乗り越えるか、タイムリミット自体を排除してからじゃないかな?そんな気がしてきた。対話はできても、僕自身に付き僕が再考することはしばらくないと思う。


>不確定性原理
確かに理解していないが、これを理解しろといわれてもかなり理系知識がいるみたいだし、君自身でさえ、「よくわかっていない」と言ったじゃないか?理系の君が分からない理系理論を僕が分かるまでには相当な時間や労力が必要になるが、そんな時間は僕にはない。期待には応えられない。もし、これが多数の国民が常識として知っている話だというなら、もっとわかりやすい説明があるはずだ。じゃなければ、僕は君と対話などできないアフォってことで終わらせてもらってかまわない。分かりやすい説明をしてもらえたなら、考えてみるつもりはある。しかし、あの記号だらけのページでは無理。
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胸の痛みで察するんじゃないか? (はにゃ)
2008-03-12 00:46:43
いや、そこは改めて議論する話のように感じます。
というか、議論じゃなくて対話のつもりなんですが。
なんでかと言うと、
「辞書の意味をわかってくれてるかも」
という期待が感じられるからです。
僕は、辞書の意味でさえ、考えながら解釈します。
全部、僕が咀嚼した、僕の意味になってるんですよ。

同じように、君の言葉は君の意味空間で使われている
極めて個人的な比喩に過ぎないと思っています。
それを辞書と同じだと言われても、わかりません。
辞書に書かれている言葉は、すべて外で作られた記号で
うちなる響きで生成されたものじゃないからですよ。
英語の発音がわかりにくいのと同じで、
知ろうとしない限り、それはずっとわかりづらいままなんですよ。

辞書を引くことが嫌なんじゃないです
辞書を引いても、結局君の言いたい事がわからないという、
もどかしさについての言及です。

君が僕の主観的な目線に対して、
これくらい書けばわかってくれるんじゃないか?
と長文で展開するとき、客観を基準にして書かれると、
ますますわかりません。

で、そのコメントは、僕のその弱さを配慮して、
なるべく主観的に書かれたのではないか?
と考えながら読み解きます。

これは、おそらく、今のところ僕が推察している原因は、
僕は具体的な用語に対して、抽象的理解によって解決を試みます。
これに対して、君は抽象的用語に、具体的説明をしようとする。
これは、互いに曲線の沿っている向きが逆です。
合わせようとしたとき、二つの曲線が平行線に近づくんです。
だからお互いに苦痛を伴うんだと思う。

そして、互いに自分が壊れそうな予感がする。
これが、省察による対話です。

だからもし、僕に本当に理解してもらいたいのであれば、
君はもっと抽象的に書くべきなんじゃないか?
と思ったりします。
なぜなら、この世界でもっとも抽象的なものを、
僕が心を追いかける事によって、追いかけているかもしれないからです。

というのは、人が生まれつき持っている観念空間は、
脳の個性によって、全く異質なバラバラのものである可能性があって、
あるいは心臓の形によって、
脈拍数によっても、考える事は乱れるんじゃないかと思うからです。

その場合、互いに想定している空間があまりにも違いすぎて、
すべての用語、比喩について、一つ一つ精査していかないと、
ますますもって、理解が遠ざかるからです。

それとも君は、そもそも理解など、期待していない、
ということなんでしょうか?

単に、気持ちがわかって欲しいというだけなら、
あんまし話し合う必要はありません。
たぶん、同じような場で、似たような苦労をすれば、
きっとあやふやなりに、ある程度察する事ができるでしょう。

それと、再考せずに対話が可能、というのも
意味がわかりません。
省察をしない状態で行われるのは、対話じゃなくて、
単なる会話じゃないですか?

僕と会話がしたいだけなら、それはそれで、
一つのコミュニケーションなんでしょう。
もっとも、その場合、根深い問題は何も解決せず、
表面的に上滑りしていくか、次第に飽きて、
エネルギーをほとんど使わなくなっていくでしょう。

そもそも僕が求めているのは、理系の理解なんですか?

僕が求めているのは
>君が自殺する決意をもったまま、
>僕に再考を促すことに対して、
>僕は強烈な違和感を覚えるんだ。
>僕は自殺したいと思わないし、
>君に自殺して欲しくない。
この部分に対する再考だとは、思わなかったんですか?

これが君から君への強制力を伴わない、正しさが微塵も無い、
偶発的な価値観によって書かれた記号であるなら、
君の精神に過度な苦痛は与えないはずだと思うのです。
さらっと目を通して「ふ~ん」と通り過ぎるかもしれません。
もちろん、推察の域を出ていませんし、
これが客観視なのかどうかさえ、
書いている自分自身で疑わしいです。

将来どうなるかなど、誰にとってもわからない。
なのに君は、「強烈な違和感」で自分をごまかすのか?
僕はその強烈な違和感を乗り越えて対話しようとしていると、
君はまだ、感じていないのか?
だとしたら、なんのために僕はいちいち
自分のアイデンティティの崩壊を気にしながら、
ぎりぎりで君と対話しようとしてた?

僕の痛みと君の痛みが、
僕の笑いと君の笑いが、
どれくらい、共通のものであるか、
どれくらい、違うものであるか、
それを知りたいんじゃないのか?
それを感じたいんじゃないのか?

だったら、主観に偏るのも、客観に偏るも、
おかしいじゃないか。
僕でもなく、君でもなく、もっと自分を見るってのはどうだ?
それとももしかして、
【僕】を【自分】の中からしか、発見できないのか?
それは、新しい選択肢とは、呼べないんじゃないか?

僕は相手の心を、自分の胸の痛みでわかろうとする。
それがどうしてもつらくなった時には、
僕は、「会話」すらしない。
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