嗜好を志向する思考系ブログ。

私の音楽遍歴(~中学生)

(リンク先はYoutubeです)
最近、メタル、メタル書いてますけど、ちょっと昔を思い返して、これまでどんな音楽聞いていたか書いてみます。
今回は、40年~35年くらい前の話なんで、若干記憶が前後しているかもですが、ご了承下さい。


ヒットソングに興味を持ち出す小学校中学年頃に、周りの皆が歌ってたのは、寺尾聰「ルビーの指輪」とか、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」あたりですね。
ちょっと前か同じくらいが、ピンク・レディ全盛期だったかと。
因みに、ピンク・レディはアメリカ進出して、シングル総合トップ37位とかになってるみたいです。
当時は、”なんでピンクなんだ?”と言われていたというラジオネタがありました。
(米国でのピンクのイメージが、”反社会的”といった感じだったかと。)
個人的に一番古い記憶で、衝撃を受けた曲は、久保田早紀「異邦人」

小学校高学年になると、プロ野球の好きなチームが、大きく巨人派と西部派に分かれていた様に、男子は、松田聖子派と中森明菜派に分かれていました。
その後、アイドルと呼ばれる存在がドンドン出てきますが、まだ子どもだった私はほとんど覚えてません。
同時に、たのきんトリオに始まり、シブがき隊や少年隊などの男性アイドルグループも登場。
私はというと、安全地帯「ワインレッドの心」が好きだったんですが、もしかしたら私のワイン好きの原点はココなのかもしれません。


中学校になると、日本の音楽シーン(?)は、バンド音楽が主流みたいになって行った気がします。
チェッカーズに始まり、ボウイに終わるみたいな。
レベッカ、バービーボーイズ、米米クラブ、爆風スランプ、そして聖飢魔Ⅱ。
ちなみに、聖飢魔Ⅱは「白い奇跡」と「バッド・アゲイン」で2回、紅白歌合戦に出ていますので、悪しからず。
全然関係ないですが、小泉今日子の「木枯らしにふかれて」って曲が好きだったなぁ。
あと、おにゃん子クラブは全く見てません。
正直、国生さゆりくらいしか知らないです。

その頃音楽に目覚めたコアな男子は、ザ・モッズとかを聞くようになって行きます。
が、私は何故か洋楽に走りました。
日曜日の16時~だったか、「アメリカン・トップ40」とかいうラジオ番組があってまして、たまたま聞いたのを切っ掛けに、毎週楽しみに聞いてました。
ちょうどラジカセが流行った時代で、タイミング図りながら録音ボタン押してたのは良い思い出ですね。
・デュラン・デュラン「リフレックス」(1984)
・スティービー・ワンダー「バートタイム・ラバー」(1985)
・バナナラマ「ヴィーナス」(1986)
・バングルス「エジプシャン」(1986)
・アーハ「クライ・ウルフ」(1986)
・ファルコ「ロック・ミー・アマデウス」(1986)
・コリー・ハート「好きにならずにいられない」(1986)
・マドンナ「ラ・イスラ・ボニータ」(1987)
・マイケル・ジャクソン「バッド」(1987)
・グロリア・エステファン&MSM「リズムでゲットユー」(1987)
・スティング「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」(1998)
当時を思い出して、パッと出てくる曲はこんな感じですが、80年代中期のいわゆるポップス全盛期ですね。
(ちなみに紹介を兼ねて、1アーティスト1曲の好きな曲チョイスです。)
中でも特に衝撃を受けたのが以下の2曲で、今でも私が好きな曲トップ10に入るかも。
・ハワード・ジョーンズ「オール・アイ・ウォント」(1986)
・ハート「アローン」(1987)
どっちも哀愁ただよう感じの曲なんですが、そういうのが好きなんだと今気付きました。


そして、いよいよ私の音楽人生を決定づけて行く曲が現れます。
それが、この2曲。
・ヨーロッパ「ファイナル カウントダウン」(1986)
・ボン・ジョヴィ「リビン・オン・ア・プレイヤー」(1986)
(需要は無いと思いますが、つづく)


日々の出来事ランキング

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「趣味の日」カテゴリーもっと見る