私は新国『ばらの騎士』開催をこう思います。

2011年04月03日 12時40分50秒 | 2011年2月2日~4月27日とにかく編
開催にこぎ着けるまで時間がかかり、それゆえ3月末日に、ようやく開催とその内容変更の発表があったということでしょう。
お役所的顧客ないがしろさを訴えた人もいたような気がしましたが、お役所だったら、これは中止ですよ。
だってマエストロと、目玉の歌手が来ないんだから。
それを開催に持っていったのは、芸術監督尾高忠明の執念だと思います。

わたしは今まで知らなかったのですが、チケット購入者に送られた尾高忠明さんの文章には、それが肉声となって響いてくるものがあります。昨日のニムロッドの前の挨拶でも、歌手も来ない、指揮者も来ない、とばらの騎士開催に頭を悩ましたことを話していました。

わたしは花見の自粛論者!ですが、この『ばら』は見たいです。
なぜなら、東京に来たくない、という人々に東京にもばらは咲いているぞ、とメッセージを発することができるからです。

大輪ではないかもしれない、そう野ばらのようなものかもしれない。しかし、駆け付けてくれる外国人アーティストと日本人アンダー(アンダーとはこういうときのためにいるんだからね、そういうことを噛み締めてね。)で、ばらをお見せする!というメッセージは、わたしは地震発生のお悔やみモードから、今や日本は近よりたくないわ本音モードが蔓延している海外に、日本人の耐力、底力を見せつけるいい機会になると思うからです。

上野の花見もそういう意味では底力かもしれないけど、震災後初の桜です。今回だけは慎みましょうよ。追悼のために。今回だけは。

新国は3月を喪中にしたわけです。
そして4月から新しい年度も始まる季節だし、公演開催をなんとしても行い、国立、唯一の日本国立のクラシック音楽公演を実行していくのだ、という意志がわたしにはすごく伝わってきてます。

オペラどこではない。
という話にはこう思ってます。

わたしはメトには関心がまったくありません。
前にも書きましたが、あれはあまりにも華美すぎる。
空気。

わたしの中ではメトやボローニャはどうしても華美すぎる。一般の人から見て、なにそれ、と絶対思われる、と感じます。
(招聘元には俺たちの商売だって経済活動の一部だ!と反論を食うのはよく分かっていますが。)

しかし新国や、二期会や、藤原や、さまざまな国内歌劇の団体は、私たちの日常の一部に恒常的に根差しているんですから、復興の道のりの中でできうる限り開催をしていって欲しいです。