若者が櫂伝馬で大崎上島から宮島まで6月4日出船、
呉市で泊~5日音戸の瀬戸を漕ぎ継ついで
宮島の大鳥居くぐり到着した。
達成感に大きな歓声をあげたと思う。
夏潮や灘へ漕ぎ出づ櫂伝馬
今日NHKで6時こ゛ろ報道される。
話は変わるが、昔、昔、沖浦の内海では、
農船を日常は農家の藻場採りに使い
10月10日には農舟3ぱいで
櫓の代わりの舟板と一帳櫓で漕ぎ、
お祭りの賑わいを作りあげたようだ。
現状は木江の櫂伝馬を4はい借り、
漕ぎ手の応援も得てようやく祭りの形を保っています。
青嵐の昭和の世代を生き抜いて
小学校卒業の同級生は男女合わせて120人いたが、
今は何人になっているだろう。
13歳で金の卵と大事に育てられて
小鳩が大きく成長した。
高度成長の荒波に揉まれながら、負けません、
勝つまではの精神で自己を積み上げてきた。
青嵐や 灘へタンカー 擦り抜けし
努力と健康のたまもので、
10人のささやかな喜寿の喜びを
わけあうことがおかげさまでできました。
部屋の床には 看脚下 のお軸が掛けてあった。
まさに私どもの行方にぴつたりの教えに感銘した。
看脚下とは
本来履き物を揃えなさい、という意味なのですが、
あれこれ頭で考えるよりも、まず自分の今していることをきちんとせよ。
靴を脱ごうとしているのであれば、まず靴を揃えることから。
ただ今現在の行い、それが大切である。
と言う意味である。