邯鄲の夢

趣味は妄想。稲葉さんと徳ちゃんが好物です。

大震災その後。

2011-04-09 21:45:43 | Weblog

震災当日の夜、一帯が停電。

一帯というか宮城県全部か?

実家のある盛岡でも一帯が停電との事。


停電なのにテレビを見ようとしたり、トイレに入る前に電気のスイッチ入れたりと無意識に出でしまう行動にちょっと苦笑い。
幸いなことに1ヶ月ほど前に懐中電灯を買い、電池を入れて分かりやすい場所に置いていた。
虫の知らせでもあったのだろうか。
そんな話をいっぱい聞いた。
いつもは買い置きなんてしないのに。
いつもならここに居たのに。
いつもなら、いつもは。。。。

その懐中電灯のおかげで真っ暗闇からは逃れたけど、逃れたのは闇だけで、そのほかは不便極まりない。
暖房ももちろん使えない。
水は出るけどガスが使えない。

寒さと恐怖に震え、靴のまま洋服のままコートを着たままカーペットの上に寝転がった。
布団が汚れるかも、とか思い掛け布団ではなくタオルケットのみを靴にかからないように掛けた。

。。。ぜんっぜんあったかくない。

時間はまだ午後7時。
お腹も空いてきたけど食べるものがない。
炊飯器の中に入ってたご飯はキッチンの床に見事にぶちまけられていた。
もちろんご飯だけではなく、炊飯器も電子レンジもコップも土鍋も醤油も砂糖も塩も。
キッチンのありとあらゆるものが狭い床に落ちていた。

冷蔵庫の中はそのまま食べられるものもあったけどキッチンに行くとあまりの惨事に滅入りそのまま部屋に戻った。
食パンでもつまもうと思ったけど小さくちぎった欠片三つくらいでなんだか喉を通らなくて食事は終了。

懐中電灯の電池がいつまで持つのかわからないので消して横になった。

パソコンは少しは使えるはずだったのに立ち上げてみると残り電池があとわずか。
なんでだよ~。
しばらく使えると思ったのに10分少々で切れた。

また闇に包まれる。

地震直後はメールだけは送れてたのにそれも今は出来ない。
電話なんてつながる気配すらない。
充電も出来ない今、いつまで使えるのかわからないのでいじるのをやめた。

時々届くメール。
運よく返信できたのもあったけど、すぐ圏外になったりしてイライラ。
やっぱり寝ようかと横になって数分後、エリアメール(緊急地震速報)が。
飛び起きてあわてて外に出るも揺れない。
何分たっても揺れない。

ちなみにその時のメール内容↓

緊急地震速報
福島沖で地震発生。強い揺れに備えてください(気象庁)

というものでした。
日時は3/11 19:36 でした。

仙台では揺れは感じなかったけど福島ではどうだったのか、テレビもラジオも聞けないでは知る由もなく。


携帯の電池の残りも怪しくなってきたので古い携帯を出してそっちにFOMAカードを入れてみた。
電池はフルに入ってた。
前使ってた携帯電話は使ってないけどたまに充電してました。
これも虫の知らせ、というのでしょうか。

携帯に来るメールで多かったのが遠くに住む友人達。
そして家族。
同じ仙台に住んでる友人達からも何通か届きました。
そして一番多かったと思われるのがツイッターでつぶやく吉本くんのツイを知らせるメール。

宮城を心配する内容。
津波がくるから逃げるように促す内容。
各地の震度。
被害状況。
重要な事は拡散して欲しいという内容。
回線がパンクしないように電話をしないでという内容。
携帯等での災害用伝言板のURL
全国避難所一覧のURL

これはほんの一部。
本当にたくさんの情報を知らせてくれました。

ちょっと心配だったのは津波。
あたしの育った盛岡は津波が野を越え山を越えやって来る事なんて万に一つもない内陸の盆地。
ここ仙台はそこに比べたらはるかに海に近い場所。
でも津波がここまでやってくることはないだろうとは思ってましたが少しだけ不安でした。
それに沿岸に住んでる友人達が今どうしているのかも気になりました。

不安で不安でもう泣きたくなってどうしようもなくなってきた時、握り締めてた携帯が鳴り響いた。
その時は古い携帯にFOMAカードを入れて使えると確認したばかりだったので、着信音がメールなのか電話なのかすぐにはわからなかった。
画面を見るとチャリで行ける距離に住んでいる友人の名前が表示されていた。
しかも電話だった。
震災後初の電話。
あわてて電話を開いて通話ボタンを慎重に押した。
まちがって終了ボタン押したら二度と繋がらないかもしれないしね。

よかったらうちにおいでという内容でした。
食べるものもあるよ、ガスコンロもあるし、ポータブルテレビもあるし、車もガソリンもあるよと。

あたしは自分の荷物をバッグに詰め、真っ暗で寒い部屋にムタさんひとり残して家を出た。

これは今思い出しても自分に嫌気が差す。
なんて非情な行動。
世界一ムタさんを可愛いと言ってたのは嘘だったのか?
家族じゃなかったのか?

あたしサイテーだ。

あたしは自分だけが可愛いサイテーな飼い主だ。


信号機も街灯も家の灯りも全て消え、車のヘッドライトだけが頼りの暗い街中をチャリで泣きながら走った。
むんむんゴメン。
ごめんなさい。

途中の街並みは暗いだけでさほど変化はなかった。
歩行者用の信号機が落ちててそれが意外と大きくてびっくりしたくらい。
ただあまりにも暗くて道に迷いそうになった。


友人宅は3人家族。
友人と旦那さんと小さい子供がひとり。
が、ほかにもここに避難してる人が二人。
あたしは知らない人だった。
あたしを入れて6名。

着いたその日はとりあえず寝ることに。

翌12日土曜日、男3人は水汲みやらガソリン調達やら動き出した。
あたしと友人は二人でチャリで食料品等をこのアパートに取りに来た。
友人は小さい子供をチャリに乗せて。

友人宅よりうちは被害が大きかったようでほとんど片付けてない部屋を見て絶句してた。

うちのアパートは水が出てたので二人で顔を洗いトイレに行き、いざ食料物色。
米やらパンやら冷凍食品やらありとあらゆる食べ物を詰め込んだ。

ムタさんにゴハンをあげ、すこし戯れていざ出発。
1時間居たか居なかったか、くらい。
またムタさんを置いて家を出る事に凹んだ。

夜になると真っ暗で寒くなるというのにまた置いて友人宅に行く自分。

むんむんごめんね。明日また来るからね。
そう言って玄関を閉め鍵を掛けて歩き出したら鳴き声が聞こえた。
思わず引き返し玄関を開けるとすぐそこにムタさんが居た。

いつもはお見送りなんてしないのに。
あたしが出かけるときでも寝てて起きないことなんかザラなのに。

頭をなで、ごめんねむーちん、明日また来るからねといい玄関を閉め鍵を掛けたらまた鳴いた。
あたしも号泣。
友人も泣いていた。

「明日ムンムンも連れて行こうか?」と友人が言ってくれて、うんと頷いたけどそこまで甘えちゃいけない。
何よりトイレもないし友人宅には犬も居るのでイロイロ大変だろう。

そうまでして友人宅に行く理由は、ひとりで不安だから。
テーブルコンロもないし食料もあまりない。
電気もガスもないこのアパートでできる事はごくごく限られる。
闇の中、静寂の中で食べるものもなく過ごすなんて考えられないほどの不安。
テレビも見れないラジオも聞けない、情報源がないというのはこの上ない不安。
意外と何でも揃ってる友人宅の方がはるかに快適だ。


ホント身勝手。
ムタさんだって真っ暗で寒くて色んなものが散乱した部屋にひとり残されるのは不安だったはずなのに。


この事はこれから先もずっとずっと背負っていくんだろうな。


13日(日)水が止まった日

・・・何をしてたのかもう記憶にない。
覚えているのはこの日もアパートに戻ってムタさんとの時間を過ごしたという事。
ああ、ちょっと思い出してきた。
前日まで出ていた水道がこの日から止まってしまっていた。
水が出ていたことに安心してたため、浴槽にもどこにも水を溜めてはいなかった事を激しく悔やんだ。
トイレに行けないという事はあまり長居も出来ないという事だ。

自分が飲むための水をムタさんにあげ、ゴハンも準備。
友人からお昼に食べてとおにぎりを握ってもらってたのでそれを食べつつ片付け。
片付けもなかなか進まない。
何から手をつけていいのやら、という感じ。

友人宅へ戻るとき小さい居酒屋が開いててテイクアウトも出来るという事だったのでご飯のおかずになりそうなものを買い、職場のビルはトイレが使えるという事だったのでそこでトイレを済ませ、自販機で友人の子供が飲みそうなジュース類を買って行った。

夕方、だんだん薄暗くなってきた頃、買い出しに行ってた友人達が帰ってきた。
号外をもらってきたというので窓辺に行って読もうと広げたその時、部屋の中がパッと明るくなった。

え?

顔を上げるとなんと電気が点いてる。

声も出ず口をあんぐり開けたまま見渡すと、友人とその旦那さんが並んで立っててニヤニヤしてこっちを見ている。

それでも声も出さずポカンとしてるあたしを見て笑い出した二人。

え!?何?電気来たの!?と訊くと、どうやらお昼くらいから来てたらしいとの事。

頑張ったねと言いながら泣きながら友人と抱き合った。
電気が点いて泣いたのは初めて(笑)



14日(月)電気復旧

この日は何をしてたかな。
大雪が降る中友人とふたりでチャリで買い出しに行ったのはこの日だったかな。
たぶんこの日だな。
三越での買い物。
意外と並んでない。
15分くらい並んだだけて入れて、魚や肉や野菜やらたくさん買えた。
中心部のお店やオフィスが立ち並ぶ場所にあるため、どうやら穴場だったと思われる。
普通は近所のスーパーとかに買い物に行くからわざわざ街まで来ないのかもしれない。

この日もお昼くらいに一旦アパートに戻った。
前日まで消えていた近所の信号機が復活しているのを確認。
これはもしや、、、。

下げていたブレーカーを上げ、全て外していたコンセントを入れ、(←これ順番があるんだよね。今は忘れちゃったけどこの時は正しい順番でやりました。)
はじめに入れたスイッチはお風呂場の換気扇。

入った!

部屋に戻り、テレビをつける。
点いた~♪
エアコンも電気ももちろん点いた。

パソコンはなぜかつかず。。。

電気がつくだけでまるで今までの不便な生活から全て抜け出せたような錯覚に陥るほどの喜びがありました。
でも相変わらず水も出ないしガスも使えない。
うちの近所のスーパーは長蛇の列。
でも夜が明るいだけでそれだけで元気が出る。
エアコンで部屋をあっため、タイマーで12時間後に切れるようにセットをしてアパートを出たのは5時過ぎだったかな。
むんむん、済まないね、でも今日からはあったかいよ!
小さい電気もつけていくからね!


15日(火)水道&ガス復旧

この日もお昼ころにアパート着。
消えていたエアコンを入れ、ムタさんの世話をしてテレビを見る。
となりのキッチンからコボコボという音がしたので行ってみる。
ニオイもないし特に変わったことはなし。
何の気なしに蛇口レバーを上げてみたら、ゴボゴボと音がして水が!!!
いや、なんか茶色いぞ。
とりあえずこの茶色の水を洗面器でトイレタンクにせっせと運ぶ。
トイレに入ってレバーをひねるとちゃんと水が出た。
お風呂場も出た。
また止まっちゃかなわねーと思い浴槽に水をためた。
都市ガスはまだまだ復旧のめどがたっていない頃だったけどうちはプロパン。
まだかなと思ったけどなんとお湯が出た。
それでもやっぱり不安なのでガス会社に電話したら大丈夫ですと。
早速した事はお風呂!
何日ぶりでしょう。
すっきりさっぱりしました。
でも余震に怯えながらでシャワーだけなのであったまる事はなかったけどそれでも気持ちよかった。

この日は夜は雨で、雨の中チャリで友人宅に戻りました。
ここで生活できるけど食料とか必需品とか全部友人宅にあるので。


16日(水)帰宅

自分の物と米等の食料をもらってアパートに帰宅。
この時はとりあえず、って感じだったんだけど結局この日から自分のうちに戻りました。
ムタさんと久しぶりに一緒に寝た。
ベッドではなく、カーペットの上で洋服のまま寝た。
テレビと電気を点けっぱなしで。
電気を消すのがこわくて、布団で熟睡するのがこわくて今もずっとこういう感じで寝てます。
最近はあったかくなってきたけど、3月中旬のこの頃はまだまだ寒い日が続いてた。



こんな感じです。
17日は近所のホームセンターに2時間半くらい並んでムタさんのトイレの砂とエサをゲット。
エサはいつもはネットで買うんだけど、今は無理だから同じのは売ってないけど近いものを買いました。
知ってる方もいるかと思いますが、ムタさんは一度結石を患いましてゴハンは療法食じゃないとダメなんです。
特に猫の結石は再発率が高いそうなので、もう石(砂)が出来ないようなゴハンしかあげられません。
普段食べてるものに少しずつまぜながらあげています。

18日は今度はスーパーに並んで食料調達。
前日から降り続いた雪のせいで並んでるのがキツかったです。
しかも早朝から並んでたのでホント寒かった。
で、なんとココナッチ♪さんが近くに並んでたので一緒に並んでおしゃべりしながら、妄想話をしながら3時間半を過ごしました。
ココナッチさんがいてくれて本当によかった~。
ひとりじゃきつかったもん。
やっと中に入れたものの、ひとり10点までと制限があり選ぶのが難しかった。
もちろん欲しいものがあるとは限らない。
欲しいものほどないのが現状で、それでもせっかく並んではいったので10個ゲット。
そのあと向かいにあるこの近辺では有名なケーキ屋さんでケーキ4個とクッキー数枚購入。
とにかく甘いものが食べたくてしょうがなかったの。
もちろんひとりで全部食べましたよ。
2日間で。


そんなわけで一週間会社を休んでいろいろ調達したりしてました。
会社は15日火曜日から動いてたんだけど、あたしは一人暮らしだし誰もやってくれる人もいないので休んでました。
チャリもあるしライフラインも全面復旧してるのになんで来れないの?と言いたげな上司に、今日も休ませてくださいと毎朝電話するのが苦痛だった。
うちの会社で一人暮らしの人ってあまりいないんだよね。
あたしは誰も居ないから自分でやるしかないんだよ!
3時間並んで買い物しなくちゃいけないんだよ!
欲しいのは食べ物だけじゃないんだよ!!



震災後の一週間はこんな感じですごしてました。

まだまだ苦難は続く。。。


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6 コメント

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Unknown (アヤ)
2011-04-10 20:20:22
TVの報道でみたり、想像したり、はしていましたが、実際にお話しを聞くと言葉がありません…。こんなに苦労して頑張ってきているハルさん達がいるのに度重なる余震には「神も仏もないのか…」と思ってしまいます。
ムタさんに自宅でお留守番してもらったのはやはり正解だと思いますよ。猫は自宅が一番ですよ。別の場所ではストレスになってしまいますからね。犬は別の場所でも飼い主と一緒にいることで多少は落ち着けますけど、猫はそうもいかないですよね。
我が家の愛猫も尿石症なので療法食しかあげられないんですよ。ストックしておかないといけませんね…(^^;)。
多分、私は被災された方の想いの半分も理解できていないと思いますが、こうやってハルさんのブログを読ませていただくことで少しでも気持ちを分かち合えたら…、と思います。
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記録に残す事 (ちょび)
2011-04-11 13:20:58
11日から数日間はあの音が頻繁に鳴ってたのは今でも覚えてます。
ハルさんが書いてくれたやつは・・・地震そのものがあったか今となっては記憶が薄いけど・・・。

猫や犬を飼われてる人にとっては家族の一員。
色んな思いが交錯するのも無理ないです。
ムタさん家で留守番して正解だったと思います。
別の家、そして環境でストレスになるし。
ハルさんのムタさんへの想いは、ちゃんとムタさんに届いています。

記録に残すという事は結構勇気が必要です。
ウチはハルさんみたいに細かく書けていないけど、書いてて感じます。

今日で1ヶ月。
約1時間20分後にはあの時間・・・。

ハルさん、くれぐれも無理しないで下さいね。
返信する
Unknown (めめこ)
2011-04-11 20:42:18
読んだよ、長かったけど!!(笑)

とってもありがたいです。
色々と書いてくれてありがとう。

ムタさんのことは、行動としては正解だと思う。
でも一生考えちゃうよね。
でもそれでいいと思う。ムタさんの為に一生
考えて行こう。

私も一生忘れちゃいけない事をした事があります。でも時間が経ってきて気持ちは軽くなってきた。時間が解決してくれる部分もあると思います。

あ、犯罪じゃないからね?!

一人暮らしの独特の苦労は、分からないかもね…。でも仕方ない!みんな余裕がないだけだよ。
ハルさんは頑張ってると思います。
ハルさんはいい子です。
元気出してね。
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アヤさんへ (ハル)
2011-04-19 20:29:57
返信が遅くなりましてすみません
震災から一週間のこの頃が一番つらかったです。
それでも何も失っていないあたしはきっと幸せなんだと思います。

>ムタさんに自宅でお留守番してもらったのはやはり正解だと思いますよ。
そう言ってもらえると心が少し軽くなります。
ただ、自分がこのアパートを出たのが不正解だったと思います。
ここでムタさんと過ごすのが正解だった。
ムタさんをもらって飼うと決めたとき幸せにすると誓ったのにそれができなかったと後悔してます。
アヤさんちのニャンコちゃんも結石なんですね。
コンビニやスーパーでは売ってないのでストックは大事ですね。
心配していただいて、気持ちをわかっていただいて本当に嬉しいです。
アヤさんいつもありがとうございます
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ちょびさんへ (ハル)
2011-04-19 20:39:30
返信遅くなりました。すみません
本当にあの緊急地震速報とやらには寿命を何年か持ってかれたような感じですね。
携帯とテレビがダブルで聞こえた日にはただただ怯えるだけです。
電気が通るまでは携帯を満足に使えなかったのでエリアメールの受信はあまりなかったです。

ムタさんはあの日以来甘えん坊になった気がします。
地震の時もひとりでそれから何日も夜はひとりで恐かったと思います。
どんなに恐かっただろうと思うと可哀想で可哀想で・・・。
あたしはアパートに残るべきだった。
でもひとりで恐くて恐くて我慢できませんでした。

ちょびさんもまだまだ大変な事もあるとおもいますが
お互いがんばりましょーね!!
無理しない程度に
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めめこさんへ (ハル)
2011-04-19 21:15:42
ありがとね、長~いのに読んでくれて(笑)

いつも明るいめめこさんに救われてます。
ホントだよ(笑)(←だったらなぜ笑う)
ムタさんの事、みんなからそう言ってもらえたのはありがたいことです。
でもやっぱり自分を責めてしまいます。
あたしがここを離れたことはやっぱり正しくなかったと。
ひとりがこんなに寂しいと思った事はなかったです。
闇と静寂がこんなに恐いものだったとは知らなかったです。

めめこさんも自分を責めたことがあったんですか?
犯罪じゃないとわかって安心しました(笑)
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