駒澤大学「情報言語学研究室」

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かたじけなし【可多自氣奈之】⇨「猥」『新譯華嚴經音義私記』上卷

2024-06-12 07:01:20 | 日記
2024/06/11  更新
かたじけなし【可多自氣奈之】⇨【猥】
                              萩原義雄識

『新譯華嚴經音義私記』上卷
【醜陋】「下猥也謂容貌猥悪也猥可多自氣奈之」〔上卷四三頁左割注6〕
〈訓読〉下字は猥なり〈也〉。容貌の猥悪なりを謂ふ〈也〉。猥は、「可多自氣奈之」
として、「猥」字のあとに真名体漢字表記「可多自氣奈之(かたじけなし)」を記載する。
白川静『字通』にて、標記字「猥」を検索しておくと、
□小学館『日国』第二版【猥】(ワイ)犬がほえる。転じて、いりみだれている様子。まじりあっていること。みだれちらかっていること。「猥雑」「猥多」《古みだりがはし・みだる・かまびすし》
□『名義抄』の和訓「➊ミダリガハシ・❷マグ・❸マガル・❹イヤシ・❺モロシ・❻アツマル・❼イヌノコ・❽ニハカニ・❾オソル・❿ヲツ」の訓が見えているのだが、「かたじけなし」の和訓が未収載となっている。
□「陋」字も、
〔名義抄〕陋 ➊イヤシ・❷イヤシム・❸ヒキカクス・❹ツタナシ・❺セハシ 
〔字鏡集〕陋 ➊アヤシ・❷ツカフ・❸セハシ・❹カクス・❺カタクナナリ・❻ヒキ・❼ツタナシ・❽ミニクシ

とし、茲にも「かたじけなし」の和訓は未記載にある。本書の巻末に、「竺 徹定」文久辛酉嘉平月吉旦書於佛類古經坣芸窗下」による識語があり、茲に⑴「石山寺収棄、玉篇廿卷其躰稍類、盖神亀天平間冩經生名匠所住也。音義與宋元諸夲不同。」⑵「此夲亦有此類註脚中往々附和訓與和名鈔稍有異同所以名私記也」とするので「私記」の二字を添えたとする。言わば、何を以て、「可多自氣奈之」とした南都東大寺の学僧が個人の立場で選び附した和訓とみておくことにする。
 そのうえで、本来の「かたじけない【忝・辱】」の語を以て見ていくとき、「醜陋」の「しゅう(しう)ろう」の意味「 ①下品な心。②顔かたちのみにくく、品のないこと。」と「猥」とが連結する接点を見出せるかが鍵ともなろう。
□「恥辱」の「辱」字
〔名義抄〕辱 ➊ハヅ・❷ハヂ・❸ハヅカシ・❹ハヂシム・❺ハヅカシム・❻カタジケナシ・❼マネク・❽ケガス 
〔字鏡集〕辱 ➊ハヂ・❷ハヅ・❸ハヂシム・❹ハヅカシ・❺ケガス・❻マネク・❼カタジケナシ・❽チノム

 ほぼ同時代の『続日本紀』宝亀三年〔七七二〕五月二七日(七七二)五月丁未(二七日)の宣命に、
○丁未。廃皇太子他戸王為庶人。詔曰。「天皇御命〈良麻止〉宣御命〈乎〉百官人等天下百姓衆聞食〈倍止〉宣。今皇太子〈止〉定賜〈部流〉他戸王其母井上内親王〈乃〉魘魅大逆之事一二遍〈能味仁〉不在。遍麻年〈久〉発覚〈奴〉。其高御座天之日嗣座〈波〉非吾一人之私座〈止奈毛〉所思行〈須〉。故是以天之日嗣〈止〉定賜〈比〉儲賜〈部流〉皇太子位〈仁〉謀反大逆人之子〈乎〉治賜〈部例婆〉卿等百官人等天下百姓〈能〉念〈良麻久毛〉恥〈志〉賀多自気奈〈志〉。加以後世〈乃〉平〈久〉安長〈久〉全〈久〉可在〈伎〉政〈仁毛〉不在〈止〉神〈奈賀良母〉所念行〈須仁〉依而〈奈母〉他戸王〈乎〉皇太子之位停賜〈比〉却賜〈布止〉宣天皇御命〈乎〉衆聞食〈倍止〉宣。

とあって、「天の下の百姓(おほみたから)の思へらまくも恥づかし、賀多自気奈志(カタジケナシ)」と形容語の重複連続形が見えている。茲では「恥辱」の「恥」字と真名体漢字表記の「賀多自気奈志」の第一拍が「賀」字と「可」字などの表記は異なるが、このような語形が同時代のなかで、同筆者までとは云わないまでも何等かの影響しあっていたのかと推定しておくことにした。

《補助資料》
小学館『日国』第二版に、
  かたじけな・い【忝・辱】〔形口〕文かたじけな・し〔形ク〕(高貴なものに対して下賤なことを恐れ屈する気持を表わす)(1)高貴なものが、いやしいものに接していることがもったいない。おそれ多い。恐縮だ。申しわけない。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕神代下(水戸本訓)「今者(いま)、天神之孫(みこ)辱(カタジケナク)吾処(あがもと)に臨(いでま)す。中心(こころ)の欣慶(よろこび)、何の日か忘れむ」*竹取物語〔九C末~一〇C初〕「忝なく、きたなげなる所に、年月をへて物し給事、きはまりたるかしこまりと申」*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕藤原の君「かく一人住みし侍るを、かたじけなくとも渡りおはしましなんや」(2)尊ぶべきものと比べて恥ずかしい。わが身が面目ない。*続日本紀-宝亀三年〔七七二〕五月二七日・宣命「天の下の百姓(おほみたから)の思へらまくも恥づかし、賀多自気奈志(カタジケナシ)」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕明石「まづ追ひ払ひつべきしづのをの、睦ましうあはれにおぼさるるも、我ながらかたじけなく、屈(く)しにける心のほど思ひ知らる」(3)分に過ぎた恩恵や好意、親切を受けて、ありがたくうれしい。もったいない。*宇津保物語〔九七〇(天禄元)~九九九(長保元)頃〕蔵開中「『さて、かかる物をなん給ひて侍る』とて、帯を見せ奉り給ふ。これはさ聞く御帯也。いとかたじけなくたまはせためるは」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕桐壺「身にあまるまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥ぢをかくしつつまじらひ給ふめりつるを」*寸鉄録〔一六〇六(慶長一一)〕「諸さぶらひも、かくの如くおもひやりのあることはかたじけなきとて、この御恩ををくらんとおもふぞ」*南蛮寺物語〔一六三八(寛永一五)頃〕「いつぞやおやど申せしより、をりをり御つかひ、いろいろおくりくだされ、かたじけないとれいいふてつれだち」*咄本・軽口御前男〔一七〇三(元禄一六)〕四・二「われらが法がかたじけなければこそ、こちのまねをする衆がおほい」*浪花聞書〔一八一九(文政二)頃〕「かたじけない 忝也 按に浪花の言葉に目上のものへむかいても忝といふてありがたいと云言葉もんくはつかわず」【語誌】(1)『源氏物語』では、上位者への恐縮や感謝の気持を表わすが、「かしこし」ほど畏敬の念は強くない。この語は「かしこし」ほどには、時代とともに敬意の程度が低まることはなかったが、狂言では、「ありがたい」がより敬意の高い語として用いられるようになる。(2)(3)に挙げた『浪花聞書』によれば、近世、大坂では、「ありがたい」という言い方はあまりなく、「かたじけない」を上位者に対して使っていたが、江戸では下位者に対してだけ使われたという。【語源説】(1)「カタ(難)ンズル気ナシ」の義〔南留別志・名言通・燕居雑話・和訓栞〕。(2)「カタシケ(難気)ナシ」の義〔貞丈雑記〕。(3)「カドシキケ(廉気)ナシ」の転〔言元梯〕。(4)「カ(勝)タジ-ケ(気)-ナシ(甚)」の義〔大言海〕。(5)「カタシケナシ(偏無審)」の転〔紫門和語類集〕。【発音】〈なまり〉カタジキナイ〔信州上田〕〈標ア〉[ナ]〈京ア〉[ケ]文「かたじけなし」〈標ア〉〈ア史〉鎌倉「かたじけなき」●●●●●◎江戸●●●●●○と●●●●○○の両様〈京ア〉[ナ]【上代特殊仮名遣い】カタジケナシ(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)【辞書】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【忝】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・易林・書言・言海【辱】色葉・名義・和玉・文明・易林・書言・ヘボン・言海【叨】色葉・名義【尊・惶・朕・貴・懼・恐】色葉【昌】名義【埓】文明

たうみ【唐箕】←「たうみの」

2024-06-10 09:24:23 | ことばの溜池(古語)
2016/11/29 ~2024/06/10更新
たうみ【唐箕】←「たうみの」     
                            ck6145 北村美帆
                            萩原義雄 再識

 唐箕【とうみ】〔1.4540-06〕『分類語彙表』道具 〉農工具など

【ことばの実際】
長塚節『土』に見える「トウミ【唐箕】」語例〔三例〕
1、「さうだつけかな、それでも俺(お)ら唐箕(たうみ)は強(つよ)く立(た)てた積(つもり)なんだがなよ、今年(ことし)は赤(あか)も夥多(しつかり)だが磨臼(するす)の切(き)れ方(かた)もどういふもんだか惡(わり)いんだよ」とお品(しな)は少(すこ)し身(み)を動(うご)かして分疏(いひわけ)するやうにいつた。
2、彼(かれ)は秋(あき)の大豆打(だいづうち)といふ日(ひ)の晩(ばん)などには、唐箕(たうみ)へ掛(か)けたり俵(たはら)に作(つく)つたりする間(あひだ)に二升(しよう)や三升(じよう)の大豆(だいづ)は竊(ひそか)に隱(かく)して置(お)いてお品(しな)の家(うち)へ持(も)つて行(い)つた。
3、俺(お)らやあつち内(うち)にや打(ぶ)ん投(な)げつちやあだから、あゝ、俺(お)ら腕(うで)ばかしぢやねえ、そらつ位(くれえ)だから齒(は)も強(つえ)えだよ、俺(お)ら麥打(むぎぶち)ん時(とき)唐箕(たうみ)立(た)てゝちや半夏桃(はんげもゝ)貰(もら)つたの、ひよえつと口(くち)さ入(せ)えたつきり、核(たね)までがり〱噛(かぢ)つちやつたな、奇態(きたい)だよそんだが桃(もゝ)噛(かぢ)つてつと鼻(はな)ん中(なか)さ埃(ほこり)へえんねえかんな、俺(お)れが齒(は)ぢや誰(た)れでも魂消(たまげ)んだから眞鍮(しんちう)の煙管(きせる)なんざ、銜(くうえ)えてぎり〱つとかう手(て)ツ平(ぴら)でぶん廻(まあ)すとぽろうつと噛(か)み切(き)れちやあのがんだから、そんだから今(いま)でも、かうれ、此(こ)の通(とほ)りだ」爺(ぢい)さんはぎり〱と齒(は)を噛(か)み合(あは)せて見(み)せた。
□長編小説『土』の文章に見える「唐箕」だが、3の一文脈が長いなかにあって、茲には象徴語表現がふんだんに用いられているのがその特徴の一つとも言える。

【語解】
小学館『日国』第二版の見出語「とうみ【唐箕】」の意味は、①「穀物の実と、粃(しいな)・殻(から)・塵などを選別する農具」、②「箱の内部に装置してある風車様のもので風を起こし、上から落とす穀粒を粃・殻などと実とに吹き分けるもの」と二段階にして意義説明する。吾人が小学校低学年の比まで、近隣の農家庭先でよく見掛けた木製農具だが、今は郷土博物館に置かれている農耕機具として見るくらいになっている。
 此の「唐箕」は、江戸時代の浮世草子、井原西鶴『日本永代蔵』〔一六八八(元禄元)年刊〕卷第五・第三「大豆(まめ)一粒(りう)の光(ひか)り堂(だう)」に「たうみの」の語例として登場する。

 此((この))外、唐箕(たうみの)・千石((せんごく))(どを)し。麦こく手業(わざ)もとげしなかりしに、鉾(とがり)竹をならべ、是((これ))を後家倒(ごけだをし)と名付(な(づく))

とあって、農具「唐箕」と「千石通し」が描かれている。標記語「唐箕」に「タウみの」と付訓する。此が槇島昭武編『和漢三才圖會』〔一七一二(正徳二)年刊〕卷三五に、

  颺扇(タウミ) 唐箕。俗太宇美、以礱揄穀、用颺扇桴也

とし、標記語「颺扇(タウミ)」にして「唐箕」の語をも示し、真名体漢字表記を「俗」として「太宇美(たうみ)」、次に「礱揄を以て穀し、颺扇を用いて桴を去るなり〈也〉」と説明する。既に、「たうみの」から「たうみ」へと変容するか たちが見えていて、此が上方と江戸との地域差も影響しているとも見て取れる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
とう‐み[タウ:] 【唐箕】〔名〕穀物の実と、粃(しいな)・殻(から)・塵などを選別する農具。箱の内部に装置してある風車様のもので風を起こし、上から落とす穀粒を粃・殻などと実とに吹き分けるもの。とうみの。*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕三五「颺扇(タウミ) 唐箕。俗太宇美、以礱揄穀、用颺扇桴也」*俳諧・八番日記‐文政二年〔一八一九(文政二)〕九月「蛼(こほろぎ)のとぶや唐箕のほこり先」*田舎教師〔一九〇九(明治四二)〕〈 田山花袋〉「農家の広場に唐箕が忙はしく廻った」【方言】箕(み)。《とみ》山形県西村山郡139【発音】トーミ〈なまり〉トーミー・ドミ・トン〔鳥取〕トミ〔 飛騨・ 紀州・ 和歌山県・ 鳥取〕〈標ア〉[ト] [0]〈京ア〉[0]【辞書】ヘボン・ 言海【表記】【唐箕】ヘボン・ 言海【図絵】唐箕〈老農夜話〉

とう‐みの[タウ:] 【唐箕】「名〕「 とうみ(唐箕)」に同じ。*浮世草子・日本永代蔵〔一六八八(元禄元)〕五・三「此外唐箕(タウミノ)、千石通し、麦こく手業もとけしなかりしに」【発音】トーミノ〈標ア〉[0] [ト]

・デジタル『大辞泉』
とう‐み 〔タウ‐〕 【唐×箕】穀粒を選別する装置。箱形の胴につけた羽根車で風を起こし、その力を利用して秕(しいな)・籾殻(もみがら)・ごみなどを吹き飛ばして、穀粒を下に残す。
・大槻文彦編『大言海』
た(ト)う-み(名)【唐箕】穀ノ粃(シヒナ)ヲ分クル具、圓キ匣ノ中ニ風車ノ如キモノアリ、稻ノ穗ヲコキオトシタルヲ、上ヨリ落シテ、風車ヲ廻ハセバ、精ナルハ下ニ落チ、粃ハ一方ヘ飛ビ去ル。又、磨リタルヲ落セバ、米トもみがらト相分ル。扇車 颺扇 〔五九五頁上段〕

【評価寸言】此の語から貴方自身が気づいたことをまとめて報告下さい。〔萩原義雄識〕