駒澤大学「情報言語学研究室」

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いわし【鰮・鰯】─古辞書『和名類聚抄』から『倭名類聚鈔箋注』へ─

2024-02-03 13:22:49 | 日記
  いわし【鰯】
                               萩原義雄識
  はじめに
 二月三日は「節分(せつぶん)」季節の分かれ目として、「豆撒き」(=邪鬼祓い)、「恵方巻」などが主流だが、邪鬼祓いに玄関軒下に「鰯」の頭と柊(ひいらぎ)の葉を餝る風習(諺に「鰯の頭も信心から」と云う)を行って来た。近ごろなかなか見ることのないものとなっている。腥い鰯の匂いを鬼が厭がり近づきにくくなる。庶民にとって手軽な安値で入手する魚でもあった。
 一月まえのお正月の御節料理にも素干しの「片口鰯(かたくちいわし)」を其年の田作り豊年を願う意味を込めて重箱に添えてきていた。此の魚名「いわし」について、平安時代の宮廷でも女房ことばで「むらさき」(色あい)、石清水(いはしみづ)八幡宮の「いはし」に懸けて密かな食味魚として知られている。『源氏物語』作者、紫式部がその女房名「むらさき」につながりこよなく食したとも云う。此の「いわし」は、傷みやすく鮮度が落ちやすい難点もあって、都人にとって素干し魚の代表格だったのだが、紫式部が父為時の任国に暮らしたことも幸いして、新鮮な刺身や焼き魚として食する機会を得ただろうと思うと、彼女が大好物だっただろうという説も満更ではなかろう。

  本邦古辞書と魚名「いわし」
 本邦古辞書にはどう表記されているかと云えば、昌住編『新撰字鏡』〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)年頃〕巻九第八十七魚部〈次小學篇字卅三字〉に、
天治本 享和本
𩺮 𩺮 伊和志 〔巻九、五、ウ〕 ※天治本「波」字疑うべしとあり。
とし、標記語「𩺮」で真字体漢字表記(=万葉仮名)「伊波志」「伊和志」と記載する。

 さらに源順編『倭名類聚抄』〔九三四(承平四)年頃・内閣文庫蔵補訂本〕にも、
十巻本巻第八「 楊氏漢語抄云鰯〈伊和之 今案夲文未詳之〉←棭齋は此字とする。
廿卷本卷十九「(イワシ) 漢語抄ニ云鰯ハ[以和之今案本文未タレ詳]〔鱗介部第30竜魚類第236・五丁裏五行目〕」林羅山手沢本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵〕

とあって、万葉仮名表記で「伊和志」「伊和之」と記述されていて、藤原宮木簡、平城宮出土址木簡なども此に倣う。藤原宮跡から発掘された木簡に「伊之」と記載する。
続いて、平安時代末の橘忠兼編、三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕に、
イハシ/云未詳 〔伊部動物門五ウ6〕
※和訓「イハシ」で、注記「云未詳」(云ふに未詳)としているが、『和名抄』の典拠資料とする『楊氏漢語抄』(十巻本)、『漢語抄』(廿巻本)が検証できない佚文資料となっていることを示唆するか。

とし、標記語「鰯」で、訓みを「イハシ」とし、第二拍の表記「ハ」としている。語注記は、『和名抄』(村田正英「三巻本色葉字類抄における和名類聚抄和訓の受容」鎌倉時代語研究に詳しい、但し当該語については未載)を継承する。
鎌倉時代の観智院本『類聚名義抄』僧下十四に、
 ⑴いはし【鰮】× 〔古辞書には未記載表記〕
 ⑵いはし【鰯】
イ(上)ハ(上)シ(上) 未詳 〔僧下五ウ6〕
 ⑶ひしこいはし【鯷】
音題 ヒ(平)シ(上)コ(上)イ(上)ハ(上)シ(平) アユ フク
クソナメル 音鼓
 ⑷いはし【𩺮】
𩺮 イルカ イハシ〔僧下八ウ・十四4〕
 ⑸いわし【𮬏〔魚扁+「集」旁〕
𮬏 イ禾シ〔僧下八ウ・十四8〕
 ※離合字とし、「魚」が「集まる」意の国字欤
  K1001484𮬏イワシ
とあって、第二拍のかな表記に「は」⑴⑵⑶⑷と「わ」⑸とユレが生じはじめている。茲で表記漢字⑸について触れておく必要がある。これ以前の資料には未収載の標記語であり、これ以後の聯関資料にも未収載という当に『名義抄』単独収載の語例となっているからだ。そして、『名義抄』が如何なる原資料から抽出収載したものなのかも検証されて行かねばなるまい。
 こうした語例を纏めて検証していく時代が今や到来し、北大の池田証壽代表による古辞書グループが成し得た『類聚名義抄』データベースでの連繫抽出作業が重要不可欠なものとなってきたと言える。近時、池田さんは『日本辞書史研究─草創と形成』〔二〇二四年一月、汲古書院刊〕をご発表なされている。基礎的な判断を求めるうえで重要な役割を果たすご論と云えよう。机上近くに置いて語の端々を知る標べとなろう。
 室町時代の古辞書になると、先ずは東麓破衲編『下學集』〔一四四四(文安元)年〕に、
(イワシ) 〔氣形門六十四頁4〕
とする。次ぐ広本『節用集』〔文明年間〕には此の語を欠く。だが、飛鳥井榮雅編の増刋『下學集』には、
(イワシ) 〔伊部畜類門五ウ4〕
の語を収載していく。『伊京集』・明応本『節用集』にも収載する。
刷版系の天正十八年本・饅頭屋本・易林本も同様に収載する。
印度本系『節用集』系のA黒本本・弘治二年本、B永禄二年本、尭空本、両足院本、経亮本、高野山本も同様に語注記を記載せずに収載する。その一本である経亮本の図絵を記載する。
(イハシ) (同) (同) (同)〔伊部氣形門、巻五・四十、三八二頁7〕
 『和名集』廿六魚類部〔亀井本・有坂本〕にも、標記語「鰯」で「イワシ」を記載する。
慶長十五年板『倭玉篇』には、
(テイ) ヒシコ イハシヒシコ イハシ 〔四〇五1〕
(ジヤク) イワシ 〔四〇八4〕
という標記語は、なぜかこの字書にあっても「いはし」と「いわし」にかな表記が二分して所載する傾向にある。此れも、寛永版『倭玉篇』になれば、「鯷」「鰯」の両語とも、「いはし」で処理するものへと変改していたりする。
江戸時代の惠空篇『節用集大全』には、
(いはし)鰮 (同)鰯 順カ和名ニ漢語抄ニ云鰯ハ/以和之今按スルニ本文未タ詳ナラ (同) 鯷 (同)鰣 (同)鱹 (同)鮻 〔伊部氣形門十九頁4・5〕
とあって、はじめて標記語に「鰛」字を先頭に「鰯」「鯷」「鰣」「鱹」「鮻」の標記語を記載する。そして、語注記は「鰯」字にあって『和名抄』を再び継承し、引用するが、この文字がどのような本文資料に依拠しているかは定かでないとしていて、その原拠には辿り着けていない。所謂、国字と称する標記語であって、平安時代には既に用いられていて、その表記が世話字として通用していたことを知るものとなっている。
 江戸時代中期には槇島編『書言字考節用集』〔一七一七(享保二)年刊〕に、
(イハシ) 〔伊部氣形門、巻五・四十、三八二頁7〕
とだけ記載するに留まる。それ以前の江戸期資料、中村惕斎編『訓蒙圖彙』〔一六六六(寛文六)、一六九五(元禄八)、〕には、
(をん) いわし
○鰛(いわし)は五臓(さう)を利(り)しよく湿熱(しつねつ)をたすけかさを發(はつ)すをゝく食(しよくす)へからす
(じやく)同
と林羅山が招来した『本草綱目』に触発され、茲に「いわし」の食材薬効を述べている。その意味から「鰯」字を「同」とし、世俗字を単簡に所載している。
 寺島良安編『和漢三才圖會』〔一七一二(正徳二)年刊〕巻第四八では、
〔巻四八〕
         鰛
(いわし) 俗字
和名 以和之
 聞書云鰮似馬鮫而小有鱗大者僅三四寸
 △按鰮俗云鰯四方皆有之形似小鯯而其鱗細易脱
 背蒼黒腴黄白而脂多小者一二寸大者五六寸群行
 至時海波稍赤漁人預知下網采之鯨好吃鰯爲所逐
 者數万爲群浪如樓取之作膾可熬可炙又取脂爲燈
 油
(ヒシコ)和名比之古以和之用一二寸許小鰯爲醢造法鮮鰯一升不洗
 鹽三合三日而後以石壓之如自初日置壓則腹破出不隹或同茄
 子生薑穗蓼番板等漬。亦佳鯷字未詳
 五万米(コマメ)(イハシ)正字未詳一名田作又云古止乃波良漁家海邊石上或簀上
 擴乾小鰮也阿波之産爲上野之耐久無脂臭和諸物
 煮食亦佳常爲嘉祝之供與鮑熨斗並用
 干鰯(ホシカ)保之加 與五万米同乾時不撰地不論大小數万覺
 乾盛莚運送市中用爲田畠培糞諸國多出房州最多
 鰯䱒(シホモノ) 豫州宇和島常州水戸之産爲上肥前松浦丹後
 由良之産頭畧大扁亦得名炙食脂氣酷烈以賤民爲
 食用痰咳痞滿人忌之産婦小兒不可食其味美有頭
 凢ソ鯨ト與本朝海中寳也其利用不可計フ
とある。
 江戸時代になると、第二拍を「は」で表記するようになる。だが、『和漢三才圖會』や『訓蒙圖彙』は、平安時代の『和名抄』の和訓表記を遵守して記載する方針をとっていることになる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
いわし【鰯・鰮】〔名〕(1)ニシン科の海魚、マイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシなどの総称。《季・秋》*平城宮出土址木簡〔七五六(天平勝宝八)頃〕「青郷御贄伊和志腊五升」享和本新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)頃〕「𩺮 伊和志」十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕八「鰯 楊氏漢語抄云鰯〈伊和之 今案本文未詳〉」中外抄〔一一三七(保延三)~五四〕久安六年一一月一二日「鰯はいみじき薬なれども不公家*御伽草子・猿源氏草紙〔室町末〕「和泉式部、いわしと申す魚を食ひ給ふところへ、保昌来りければ、和泉式部はづかしく思ひて」*料理物語〔一六四三(寛永二〇)〕一「鰯は、 なます、しゃか汁、すいはし、くろつけ、やきて、かすに」(2)マイワシ。全長三〇センチメートルに達する。背は暗青色で、他は銀白色。体側には円い黒斑が数個一列または二列に並ぶ。大きさにより大羽、中羽、小羽と区別する。各地の沿岸に多量に生息し、産業上重要な魚の一つだが、その漁獲量は年による豊凶がはなはだしい。塩焼きや煮付けなどにするほか、丸干し、目刺し、缶詰などに加工する。(3)切れない刀。鈍刀。赤鰯。*浄瑠璃・義経千本桜〔一七四七(延享四)〕三「此鰯(イワシ)で切るか、此目でおどすか、前髪を一筋づつ抜くぞよ」*雑俳・柳多留‐二三〔一七八九(寛政元)〕「本阿彌は鰯は見れど鯨見ず」(4)節分の夜、鬼を避ける呪(まじない)として、柊(ひいらぎ)の枝と共に門口にさした小型の鰯の頭をいう。*夫木和歌抄〔一三一〇(延慶三)頃〕二九「世の中は数ならずともひひら木の色に出でてはいはしとぞ思ふ〈藤原為家〉」*談義本・根無草〔一七六三(宝暦一三)~六九〕後・一「去年と今年の堺町、節分の夜のにくまれ役も、いやとの臭さをこらへ、狗骨(ひいらぎ)で目をつくづくと、路考に見とれし贔屓の証拠」(5)看守をいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{一八九二(明治二五)}〕【語誌】(1)(1)に挙げた『新撰字鏡』の例、天治本では「𩺮 伊波志」とあって仮名づかいが違っている。(2)(1)の『中外抄』の例から、平安期の貴族が食さなかったことが知られる。また、『古今著聞集』巻第一六には、藤原師長が、言いつけにそむいて祗候しなかった弟子・藤原孝道に「麦飯に鰯あはせ」の食事を供した話を載せるが、これも鰯が下賤の食するものと考えられていたことによる。(1)の挙例『猿源氏草紙』も同様。(3)鰯が秋の季語として定着したのは一八世紀の末ころからだが、「鰯引く・鰯雲」などはそれ以前から季語として扱われていた。【方言】養子。《いわし》新潟県中魚沼郡062語源説(1)死にやすい魚であるところから、ヨワシ(弱)の転〔滑稽雑談所引和訓義解・東雅・大言海〕。イヲヨワシ(魚弱)の義〔和句解〕。(2)賤しい魚である意から、イヤシの転〔日本釈名〕。(3)イワシ(祝)の義〔紫門和語類集〕。【発音】〈なまり〉イアシ〔栃木〕イバシ〔富山県〕イワス〔石川〕イワヒ〔NHK(鹿児島)〕イワヒ〔鹿児島方言〕エワシ〔栃木・富山県・鳥取〕シワシ〔岩手〕ヤシ〔八丈島・静岡〕ユアシ〔栃木〕ユワシ〔津軽語彙・岩手・仙台音韻・秋田・山形・山形小国・福島・茨城・埼玉・埼玉方言・千葉・八丈島・福井大飯・静岡・志摩・伊賀・大阪・大和・和歌山県・和歌山・紀州・NHK(和歌山)・島根・島原方言・鹿児島〕ユワス〔NHK(岩手)・秋田〕ヨワシ〔岩手・秋田〕ヨワス〔千葉〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安●●●〈京ア〉[0]【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・下学・和玉・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【鰯】和名・色葉・名義・下学・和玉・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【𩺮】字鏡・名義【箙】名義(僧下十四)【鯷・陀】和玉【図版】鰯(2)((https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=2002005701aeUpdx8SKl 参照 2021年3月18日)