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このBLOGは、ひぃの大好きな『サントリーサンバ-ズ』と『越川優選手』をメインとした日記ですヾ(・∀・)

越川優選手の生い立ち

2006年01月01日 20時35分20秒 | ♪volley ball
           越川優選手の生い立ち

父・恭明さん(51歳)、母・裕美子さん(48歳)の長男として金沢に生まれた。3つ上には、元Vリーガーの姉・瞳美さんがいた。優の名前は恭明さん方の祖父母が、優しい子になってほしいという願いを込めてつけた。

~裕美子さん談~
『外で遊ぶのが好きな子でしたね。家にいるタイプじゃない。友達と遊んだり、お父さんとキャッチボールをしたり。それと、あんまり親にくっついていない子でした。買い物に連れて行っても、ちょっと目を離すといなくなる。好奇心が強かったんでしょうね。小学校時代はサッカーや野球、剣道、水泳もやりましたし、合唱団に入ってコンクールにでたりもしていたんですよ。ただ、好きなことをやっていると、時間を忘れてしまうんです。買い物に行って、いなくなったと思ったら、電気売り場でずっとパソコンをいじってたいたりして・・・』

登校中に田んぼの生き物を見たり捕まえたりしていたら、知らないうちに時間がたっていた。1限分遅刻したそうだ。
裕美子さんの言うとおり夢中になるとのめり込み、時間を忘れてしまうのだろう。

自転車で友達とレースをしては、溝にはまってスリ傷をつくり、ザリガニ取りに熱中して用水路に落っこちた。

生まれたときは、とりたて大きいというほうじゃなかったが、小学校に入ると常に一番後ろで、運動神経もよかった。体育の成績は、常に5。運動会になると、いつもリレーの花形だった。


越川家はバレー一家だ。恭明さんは、地元の高校から金沢市役所でプレーし、全国大会の経験もある。裕美子さんはずっと、ママさんバレーをやっており、瞳美さんと越川選手を練習のたびに連れて行った。遊び半分でバレーに親しんでも不思議ではないのだが、恭明さんも裕美子さんもバレーをやれと強要したことはなかった。

越川選手が小4なったとき、瞳美さんが森本中に進み、バレー部に入部する。その姿を見るうちに、越川選手自身も興味をもった。

~越川選手談~
『例えば、父親の試合を見に行ったり、両親がプレーする姿は見ているんです。家の居間にはトロフィーがあったり、手の届くところにボールが転がっている。すごく身近にはあったんですが、まさか自分がバレーするとは思わなかったですね。ただ、姉がバレーを始めて、家の前の道とかでパスとか対人をよく一緒にやるようになりました。』

ちょうど森本小にはクラブチームがあった。4年生の時、越川選手は友達とそこに入った。本格的とはいっても、週に2回、2時間。まだまだ遊び程度である。

その4年生の時ちょっとした事件があった。急に視力が落ち、視野が狭くなったのだ。眼科に通い、大学病院にも足を運んだ。検査入院までしたが原因はわからない。一ヶ月したら視野は戻ったが、2.0あった視力は極端に落ちてしまった。原因は不明だが、仮性近視になりかけたのかも?と裕美子さんは言う。だから越川は現在もコンタクトが欠かせない。


両親譲りの運動能力と、瞳美さんとこなした練習の下地。さらに、ずっと枕元にボールを置き、寝転んではトスをあげていた越川選手は、すぐに目立った選手になる。

小学5年生の12月。元全日本選手で恭明さんの後輩でもある岩田稔さんが創った「金沢クラブ」に移る。6年時には金沢市で優勝した。

『中学に進んだら、もっと本気でバレーがやりたい』と思っていたが、姉のいた森本中には男子バレー部がなかった。バレーをやるには、バレー部のある中学を探さなくてはいけない。そこで、小学6年の時に金沢市の中学生大会を見に行った時優勝していたのが、後に越川選手も通う「野田中」であった。

野田中・川合監督の練習は厳しかった。練習は3時半から8時近くまで。越川選手の中学進学時、姉の瞳美さんは入れ代わりで森本中を卒業し、大阪国際滝井高校に進んでいたから、越川家は野田中の近くに引っ越した。


バレー一家とはいえ、越川の両親はずばぬけて大きいというわけではない。恭明さんが176㌢、裕美子さんが166㌢。まぁ一般的には長身の夫婦だがバレー選手としては十分と言えないだろう。後にシーガルズでプレーした瞳美さんにしても、171㌢だった。

中学入学後、どこからか身長を伸ばすには牛乳が良いと聞いた越川選手は、自分から牛乳をたくさん飲むと宣言した。それまで好んで飲んでいた炭酸飲料は、ぷっつりとやめた。このあたりの意志の強さは、のめり込むと夢中になる越川選手の性分なのか。小学校時代に、自分から行きたい中学を探すパッションといい、好物を絶つストイックさといい、やはりナミの少年ではない。

~越川選手談~
『毎日牛乳は2㍑くらい飲んでいたんじゃないかな。さすがに3年間の最後には辛くなってきたんですが、朝起きたらビールジョッキみたいなのに牛乳がなみなみ注がれていて(笑)それを飲まないと学校に行けないみたいな感じでした。』

入学時に170㌢ほどだった身長は1年間で180㌢に。垂直跳びも46㌢だったのが飛躍的に伸びていった。それとともに徐々に試合にも出始め、2年の時(98年)にはセンターで北信越に優勝し、全中にまでコマを進めた。3年時(99年)には、北信越まで進んだものの、全中には届かず。ただ、石川県選抜として全国に出場し、オリンピック有望選手として名を連ねている。


全中、そして県選抜の経験。全国レベルを感じたことで越川選手はさらに上を目指したいという思いを高めていく。さらに上とは。日本一だ。それには石川県に留まっては難しい。県外でもいい、強い高校にいこう・・・。

~越川選手談~
『県外に行くと、15歳で親元を離れる生活になるわけですが、不安はなかったですね。姉も高校から大阪に行っていましたし、姉にできたことが自分にできないわけない、と思っていましたから』

そこで出した結論が、壬生義文監督率いる長野の強豪・岡谷工業高校だった。

高校在籍中には、インターハイと国体2回、3度の全国制覇を果たした。そして、3年時には、大古誠司に見出され高校生としては史上初の全日本入りを果たし、アジア大会を経験し、銅メダルを獲得した。これが越川選手のバレー人生を大きく帰ることとなる。

卒業後、大学進学を断念し、サントリーへ入社。1年目からレギュラーを獲得し、優勝。新人賞も獲得した。

植田ジャパンでは昨年のワールドリーグから起用され、今年のアジア選手権ではチーム最年少でベストスコア賞を獲得し、優勝に貢献した。







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1 コメント

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越川君凄い (ミキティ)
2013-12-31 20:18:33
先日、jtの試合見て、越川君のプレイ初めて見て、凄いなって思いました。と、同時に、今まで以上に、大大大フアンになってしまいました。これからも応援しますし、広島である試合、見に行きます。頑張ってくださいね。
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