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法隆寺の謎
(
ツジツマ
)
2006-08-20 14:48:01
>梅原センセーはここで、橘三千代が法隆寺に深くかかわっていたということは、不比等が関わっていたはずだという・・・
梅原センセーが想定する再建年代は近年明かになった建築用材の伐採年などから、全くツジツマの合わないことになってしまったようです。
橘三千代や不比等が関わっていたとしてもそれは再建活動の後半からであったことを最近出た武澤秀一『法隆寺の謎を解く』が指摘しています。
この件に限らず、法隆寺の全く新しい全体像を緻密に組み上げていて、とにかく大変面白い本ですよ。
なるほど
(
旅猫
)
2006-08-26 23:47:02
ツジツマさん
ありがとうございます・・・
それはさっそく読まねば(笑)
梅原センセーは、その後の著書で
「私も若かった・・・」みたいなこと
いっちゃってたりしますね・・・
もーーー
ホメ殺し
(
ツジツマ
)
2006-08-27 00:16:22
旅猫さん、御返事いただき有難うございます。
>梅原センセーは、山背王子一家を惨殺した張本人とされる蘇我入鹿をそそのかしたのが、実は中臣鎌足(藤原鎌足)で、藤原氏はずっと聖徳太子の祟りを恐れたと・・・
ご紹介したちくま新書『法隆寺の謎を解く』では、法隆寺再建において聖徳太子は怨霊として封じ込められたのではなく、昇華されホメ殺されたといっています。
その理由? それは読んでみてください。
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梅原センセーが想定する再建年代は近年明かになった建築用材の伐採年などから、全くツジツマの合わないことになってしまったようです。
橘三千代や不比等が関わっていたとしてもそれは再建活動の後半からであったことを最近出た武澤秀一『法隆寺の謎を解く』が指摘しています。
この件に限らず、法隆寺の全く新しい全体像を緻密に組み上げていて、とにかく大変面白い本ですよ。
ありがとうございます・・・
それはさっそく読まねば(笑)
梅原センセーは、その後の著書で
「私も若かった・・・」みたいなこと
いっちゃってたりしますね・・・
もーーー
>梅原センセーは、山背王子一家を惨殺した張本人とされる蘇我入鹿をそそのかしたのが、実は中臣鎌足(藤原鎌足)で、藤原氏はずっと聖徳太子の祟りを恐れたと・・・
ご紹介したちくま新書『法隆寺の謎を解く』では、法隆寺再建において聖徳太子は怨霊として封じ込められたのではなく、昇華されホメ殺されたといっています。
その理由? それは読んでみてください。