@fukuebisu_tao →この鬼道→神道→真道→聖道を、先程述べた洞神→洞玄→洞真の三部に配当しますと、鬼道はおおざっぱにいって、洞神部と考えていいと思います。その具体的な内容は、お祭りとお祈りとおまじない、祝詞とお札と神がかりとお告げの宗教文化です。→
@fukuebisu_tao →(*1鬼道の道教→2神道の道教→)新しいものが成立しても古いものは依然として残っていくと云うのが中国文化の特徴です。第3番目に真道の道教、
最後に(*4)聖道の道教となりますが、
親鸞さんは仏教の聖道門に反発して自然法爾の浄土門を説かれました。→
→(*『道蔵』と呼ばれる道教の一切経の具体的な内容が、洞神部、洞玄部、洞真部と云う3つの大きな部立てになっている。これを中国の思想史の中に組み込んで整理し直せば‥)
まず鬼道の道教から神道の道教に展開します。しかし神道の道教が成立しても古い鬼道の道教はなくなりません。→
→さて『道蔵』と呼ばれる道教の一切経の具体的な内容が、洞神部、洞玄部、洞真部と云う3つの大きな部立てになっていることはすでに申し上げましたが、これを中国の思想史の中に組み込んで整理し直しますと、拙著『道教思想史研究』(岩波書店)で詳細に論証しましたように、→
『「馬」の文化と「船」の文化‥‥古代日本と中国文化』福永光司著
(人文書院1996年刊)
神僊・楼閣・渦巻文
1‥神僊信仰から道教教理の形成へ
p162~3
(*以上ここまで200ツイートくらいしてきた[1神僊信仰から道教教理の形成へ]‥の章のまとめの部分を、以下に抜き書きする)
@fukuebisu_tao →この『新撰姓氏録』によると、古くから外国とくに中国の呉越の地区から渡来した医師を初めとする各種の技術者たちが持ってきた文化によって、日本文化の基層が構成されている面が非常に多いと見られます。→
@fukuebisu_tao → それを最もよく証明するのが、9世紀の初めに書かれた『新撰姓氏録』という当時の渡来人たちの戸籍調べをした書物の諸蕃「漢」部(中国からやってきたと申告した渡来人たちの略歴を記した部分)です。→
@fukuebisu_tao →。『春秋秋穀梁伝』(哀公13年)という儒教古典の中では、呉の国は野蛮な夷狄の国だと書かれていますが、その呉の国の文化が朝鮮経由で、あるいはストレートとに日本列島にやってきて日本文化の基層的な部分を構成していることは間違いありません。→
→古事記神話全体の構成も、天つ神と国つ神と海の神(わだつみのかみ)は、道教の天と地と水の「三官」の哲学原理をそのまま使っています。人間の生命の起源も死後に赴く世界とされている「根の国」、「妣の国」、「常世」もみな『老子』の哲学ないし初期の道教の宗教哲学に基づいて説明されています→
→日本は5世紀の応神天皇の頃までは圧倒的に海軍の強い国でした。神武東征も代表的な「船」の文化で武装船団で瀬戸内海から熊野に上陸し、吉野を越えて樫原で即位したとされていますが、『古事記』の記述によるかぎり、神武天皇はまぎれもない西からのボートピープルです。→
@fukuebisu_tao →p161
しかし、日本の関西とくに大阪を中心にした「船」の文化、海原の文化では、お日様もお日様の赤い色も女性です。NHKの紅白歌合戦も、紅といえばはっきりと女性ですから、『古事記』の天照大神と同じで、「船」の文化が根付いているわけです。→
@fukuebisu_tao →儒教の立場からは左を邪としますが、南の方の「船」の文化を代表する『老子』第31章の中では、「君子、居ればすなわち左を貴ぶ」教養ある人間は日常生活の中で左上位の生活をすると、全く儒教と反対のことを言っています。→
@fukuebisu_tao →ところが儒教の文化は対の文化です。騎馬民族国家では、2頭建ての馬車、4頭建ての馬車が基本です。騎馬民族の文化と結合した儒教の文化は右が上位ですから、右を上位とする支配階級のいうことを聞かないものは「あいつは左巻だ」と言われます。→
→戦争中から終戦後もマカオから広東、汕頭の海岸地区にいて、いわゆる蚤民(たんみん)と呼ばれる水上生活の少数民族と親しく付き合う体験を持ちましたが、彼らの中には、お日さまを女性と考え、左を右よりも上位だとし、七五三行事のように偶数より奇数を重んじる人々が確かに存在していました。→
@fukuebisu_tao →私は最近、中国南の海岸地区をずっと学術調査してきましたが、福建省から浙江省の海岸地区、温州みかんの温州から寧波(にんぽー)のあたりに住む少数民族もそうでした。→
@fukuebisu_tao →(*アマテラスは)しかし『古事記』や『日本書紀』でははっきり女性となっていますし、沖縄の『おもしろそうし』の創生神話の中でも、お日さまはテダコオオヌシ(天道子大主)、つまり女性になっているわけです(「大王」は皇帝の姑・おば)。→
@fukuebisu_tao →同じ日本人でも江戸時代には幕藩体制の末端を担った庄屋や名主の子孫の人々の中には、儒教の影響で太陽は男性だと信じ込んでいる人が現在もいます。→
→(*古事記神話は全体として「船」の文化を基調としており、「お日さま」すなわち天照大御神は女性‥)それに対して、北の方の騎馬民族にとっては太陽が女性だというのはとんでもないことで、『易』の哲学では太陽ははっきり男性ですから、儒教や騎馬民族でも「お日さま」は明確に男性です。→
@fukuebisu_tao →その南船と北馬の文化が次々に日本に入ってきます。
私が最近いろいろな出版物で書いているように、古事記神話は全体として「船」の文化を基調としており、「お日さま」すなわち天照大御神は女性とされています。→
@fukuebisu_tao →p160 中国の文化は、西暦前2世紀の中頃に書かれた『淮南子』という書物に南船北馬という考え方が見えていて、北の方の民族を代表する胡人は馬に巧みだ、南の方の民族を代表する越人は船に巧みだという文化類型を記述していますが、→
@fukuebisu_tao →(*関西では伝統的にお雛様も女性が上位で左になっていました。関西特に大阪は海原の文化、全国的に「船」の文化が基調です)
ところが、関東は武士と将軍の文化ですから、騎馬民族の右上位となっています。→
@fukuebisu_tao → 私の郷里の宇佐八幡の三つの御殿も、一の御殿が一番右になっていますが、これは騎馬民族の文化で、海原の文化ではその反対の左が上位です。
関西では伝統的にお雛様も女性が上位で左になっていました。関西特に大阪は海原の文化、全国的に「船」の文化が基調です→
@fukuebisu_tao →天皇は北極星を神格化したもので、北極星は騎馬民族の信仰対象ですから、現在の日本の天皇家でも右が上位とされています。ジャーナリズムで騒がれた小和田雅子さんと浩宮のカップルで取られた写真をご覧になった方は多いかと思いますが、浩宮が右になっています。→
@fukuebisu_tao →それに対して初期の道教では左が右より上位とされ、
養老令の職員令では左大臣が右大臣より上になっています。
私は1992年の9月に天台斬の国清寺(こくせいじ)を訪ねましたが、天台山のお坊さんたちも左襟を上にした着物の着方をしていました。→