木戸佑兒グッホー日記

小豆島愚放塾の暮らし・・・感じるままに、心のままに、生きるがままに

武富健治論(34)完

2014-07-29 10:34:21 | 日記・エッセイ・コラム

厖大な量になってしまった「武富健治論」も今回で幕を閉じる。その掉尾を飾って、観劇論を述べながら、「鈴木先生」における読者教育について論じていこうと思う。

まずは、いきなり過激な言葉から入ろう。

演劇における観客は窃視者である。

こう書くと、いささか驚く人がいるかもしれないが、劇場に芝居を見に行くということは、原理的には覗き見することなのである。

舞台の設定は、たとえば一幕物で家の中が場面の舞台とすると、その部屋の観客側の一枚の壁を取り払った部屋の中で行なわれている出来事を観客は覗き見るという構造になっている。

演劇はフィクションである。フィクションであろうが、見ず知らずの他人が仕出かした密室の悲劇を覗き見て、自分事のように感情を高ぶらせる。そのことをアリストテレスは「悲劇の快」と述べたが、それはカタルシス効果ばかりでなく、他人の不幸は蜜の味的な感情も交じっていないとは言なくもない。

映画はもちろん、テレビを見る行為も窃視といえる。ドラマばかりでなく、たとえニュースであっても、遠くで起きた出来事をテレビという穴から覗き見ているのである。

私たちの日常は、覗き見が常態化しているのだ。

「鈴木先生」においても、教室ばかりではなく、喫煙室、生徒指導室とか、出入りの限られた人のプライベートな会話を読者は覗き見ては楽しんでいる。

手軽にスマホで映画やテレビが見られる現代社会にあっては、私たちの視線はいつのまにか覗き見テクノロジーの影響下に置かれている。つまりは、知らないうちに私たちの視線は教育されているのだ。

演劇には演劇の、映画には映画の、漫画には漫画の、テレビにはテレビの視線誘導の文法があるのはもちろんだが、この中で一番厄介なのはテレビだろう。住居のいたるところ(各部屋一台、それにスマホ、タブレット)に「空いた穴」からのべつ幕なしに垂れ流される情報によって、私たちの物の見方はいつのまにか教育され、テレビ映像をお手本として、日常の諸風景をみているのではないだろうか。

それではテレビによって知らずのうちに私たちに染みついた視線とはどんなものをいうのか。

現在のテレビの見方は、リモコンを片手にチャンネルを次々に変えて、面白い番組に出会うとしばらく滞在し、飽きるとまたチャンネルを変えるといった、ザッピング方式が主流ではないだろうか。

番組欄を見たり、毎週お目当ての番組を見るという人もいるかとは思うが、生まれた時からインターネットが普及して小さい頃からインターネットに慣れ親しんだデジタルネイティブ世代はとりわけじっくりテレビを見ようとはしないように思われる。

ネットサーフィンのように、次から次へと視線が移り、テレビを見ていてもほとんど視座というものが存在しないかのような状態になっているのではないか。

まして、電車を待つわずかの時間でさえ、人々はスマホの小さな「穴」を覗きこんでいる。生活のいたるところで情報が溢れだし、いっときも休むことなく視点が入れ替わっている。確かな視座のもと、自分独自の視点でものを見るということはもはや失われたように思われる。

風景にしても、人にしても、テレビのチャンネルを変えるようにして、ちらちら覗き見して、正面切って相対するということがないのではないか。

喫茶店や飲み屋では、二人連れがスマホをちらちら見ながら、話している姿を目にする。会話さえこうであるのだから、対話などもう過去の遺物かもしれない。日本社会にはもともと対話など存在しないという見解もあるが、現代は会話を越えて、さらに視線の問題へと人間関係は新たな局面を迎えている。

冒頭に戻ろう。一巡して演劇の話。

演劇における覗き見は、しかしながら、確かな視座を要求される。フワフワした視線ではなく、どっしりとした見据える視線が観劇における視線のあり方なのだ。

観劇の作法が身についていない者にとって演劇はさぞかし苦痛だろう。ザッピングテクノロジーに毒された現代人にとって劇場は退屈以外なにものでもないにちがいない。

変わりばえのしない景色を見させられ、同じところでじっとしていなければならない。少々照明が変化したところで、暗転で場面が変わったところで、普段から刺激に溢れたテクノロジーの景色を見慣れたものにとっては、何とも耐えられないつまらな景色に映るだろう。終演を迎えた時には、這う這うの体で劇場を後にするに決まってる。

演劇をコントのようなものと勘違いしているものにとってはまさに悲劇である。「お笑い」ごときのエンターテイメントは演劇の本質ではない。

演劇の本質はまさしく悲劇である。

悲劇とは、その結末が死で終わるとか、悲惨であるとか、そういたものではない。それは通俗的な解釈。そうではなく、運命に操られ、先の見えない状況に陥った主人公が格闘して生きるさまを描いたものが悲劇である。

舞台上の悲劇を見る観客は、主人公の視点に感情移入しながらも、実のところ、主人公の運命を知っている。観客は神の視点で劇を見ている。ドラマティックイロニーってやつ、である。

同じ劇場で観るものでも、それが映画と違うところ。あらかじめ筋書きを知っていて見るのが演劇の醍醐味なのだ。

主人公の視点と神の視点を行ったり来たりしながら、観客は劇世界に入り込んでいく。そこには、劇世界を俯瞰する場所中心的自己と主人公の視点で世界を見る自己中心的世界を一致した確固とした視座がある。

その悲劇体験を繰り返し、ようやく観劇の作法が身についてくると、その確固とした視座も出来上がってくる。

演劇の世界には、見巧者と呼ばれる人たちがいる。

見巧者は初心者とはまったく違った劇の見方をする人たちのことである。

たとえば、演劇を見始めたばかりの初心者は、セリフを言っている俳優ばかりに目が活き、筋を追うことで精いっぱいである。

しかし、見巧者は舞台全体を見渡しながら、セリフを聞くばかりではなく、セリフを言っていない俳優の仕草でも見逃さない。

説明しよう。

初心者が自己中心的自己のパースで一杯いっぱいなのに対して、見巧者はまさしく場所中心的自己が開け、全体の流れを把握しながら、舞台上の好きな俳優に自己移入している。

自己移入とは、俳優の身体を借りて舞台上に自分を載せてしまうことにほかならない。

見巧者は客席から離脱して舞台上の俳優に乗り移るのである。

集中の度合いが増すと、場所中心的自己も現れる。劇の流れに沿って劇場を身体にして呼吸している。自己移入した俳優ばかりではなく、全体の俳優を見ながら、演劇を堪能するのである。

観劇することを教育だといったのは、あの有名なブレヒトであるが、演劇はテレビを見るようにチャンネルを変えることができないばかりか、映画を見るように、カメラのフレームワークに視線を誘導されることはない。確かに演劇好きはいる。演劇のストーリーに感激したという話を聞く。しかし、先に述べたように演劇の醍醐味はそこにあるのではない。

同じ演目の芝居を何度も観ている見巧者は、舞台上に視点を這わせ、舞台全体の流れを俯瞰しながら、舞台上に視点を這わせ、ストーリーよりも、俳優の言い回し、しぐさに面白みを発見する。見巧者は劇に同化して感激するだけではなく、自分から離れ批評的に劇を見ている。

いわば、自己中心的自己と場所中心的自己の一致したところに視座を置き、演劇を見ているのである。

武富健治論の最後に観劇論という観客の立場から演劇を論じた文章を書いたのには相応の意味がある。

「鈴木先生」の読者は、「鈴木先生」を読み進めていくうちに、コマからコマへ視線を這わせるばかりではなく、逆戻りしたり、コマの中の脇にいる人物の表情が気になったりするようになるのではないか。それはとりもなおさず、通常の漫画では見られない情報の過剰によるものであり、読者はその情報を自主的に選択しながら、全体の流れを構成しているのではないだろうか。

たしかに読み始めたころは、コマからコマへと誘導させられる。たしかに文字の過剰にうんざりする。しかし、いったん「鈴木先生」の世界に入ってしまった者は、除法の過剰に巻き込まれながら、その世界に没入していくのではないだろうか。

演劇における見巧者のように、舞台上の俳優のセリフ、しぐさ、動きにくまなく視線を這わせながら、その劇を楽しむように、「鈴木先生」の読者も文字、表情、線の過剰を主体的に消化しながら、いつのまにか自己から離れ、「鈴木先生」の世界を楽しんでいる。

いみじくも、読者は、そのとき、見巧者と同じように、視座が確立している。

「鈴木先生」は学校教育でもなしえない、視線教育を読者に施している、と言ったら言い過ぎだろうか、いや、まんざら、間違っているとも言えまい。

読者の観点から「鈴木先生」を論じ、武富健治論を締めくくることにする。

「武富健論1~34」、長い長いお付き合い、本当にありがとうございました。

「武富健治論」をしたためながら、「鈴木先生」の奥深さに触れるとともに、自身も数多くの気づきを与えられ、10月に開校する「愚放塾」の教育指針になるような確固たる柱を築くができたことは、なによりの収穫でした。


武富健治論(33)

2014-07-21 12:32:48 | 日記・エッセイ・コラム

以前、以下のような文章を書いた。2005年6月1日付のこのブログである。

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昔は店頭に立って勢いよく売り声を上げている魚屋さんとか八百屋さんがいたものだ。
近頃はさっぱり目にしなくなった。
相も変わらず縁日で店を出してる香具師でさえも、いまや寅さん風の口上をまくし立てることはない。
もっとも魚河岸の競りなどには威勢にいい言葉が残っているだろうが、昔なつかし街頭の売り口上はデパートの実演販売の話術にすっかり取って代わられた。

売り声には勢いとリズムがあった。風情さえ感じさせる。
そのあけすけで澱みない言葉に道行く人の足をとめる何かがあった。
わざわざ詩の朗読会や劇場に足を運ばなくても、昔は素朴な「命の言葉」に触れる機会も多かった。
酔っ払いの喧嘩ひとつとっても、無骨で品性の欠片も見当たらないが、身体を空っぽして言葉を投げ出すような元気なやり取りがあった。

魚屋さんにしても八百屋さんにしても、虚心坦懐、巧まずして客の心を掴むコツを心得ていた。
それは自分一人で作り上げた技術ではなく、客とのやり取りから生まれた調子であり、生活の中で磨かれ築かれた語り口である。

人々の「あいだ」にリズムが生じ、そのリズムが人々を巻き込んで、生活という場のなかで生き生きした言葉を生成する。
言葉は個々の身体に宿るのではなく、人々の「あいだ」に生まれ独自のリズムを弾ませていく。
心臓の鼓動のリズムが心臓の動きだけからなるのではなく、生体の諸器官はもちろん隅々の細胞に至るまでそのひとつひとつが関係し合っているように、言葉のリズムも「人の間」に起こった営みから生まれるものなのだ。

生活の「あいだ」から生成されるものこそ、「いのち」のリズムであり、「個性」という鼓動である。

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だが、これではまだ足りない。

確かにリズムで人を巻き込んでいくのだが、「武富健治論」から分かったことは、「いのち」のリズムだけでなく、「いのち」の場の重要性である。

「武富健治論(32)」の到達点は、語り手と登場人物の心内語の一致、すなわち場所中心的自己と自己中心的自己の一致であった。

先日、諏訪大社を参拝した時、境内の中で不思議な身体感覚を経験した。

太鼓の連打とともに体の底から何か浮かれたものが湧き上がって心が舞い上がった。境内=結界に身体が感応して場所中心的自己が立ち上がったのだろうか。自己中心的自己は維持したまま、場所中心的自己が起動したのだろうか。聖地ゆえの貴重な体験だった。

もっともこれは僕の思い込みすぎないかもしれないから、。冒頭の例に戻ろう。

魚屋さんや八百屋さんの売り口上の巧みさ、そのリズムは道行く人を思わず立ち止まらせるだけの「いのち」に溢れているが、ここで見落とされているのが場所=結界の意識である。

魚屋さんや八百屋さんの売り場にはすでに結界が織り込まれている。つまり、店舗があり、魚屋さんや八百屋さんは無意識のうちにエリア感覚を持ち、場所中心的自己が起動している。

自己中心的自己から巧みな売り口上が繰り出され、そのリズムが場所中心的自己に響き合い、道行く人を巻き込む、そういった方が正確である。

ここでバナナのたたき売りの場合を考えてみよう。

いまはほとんど見かけなくなったが、昔は寅さんよろしく巧みな口上で縁日の花形スターだった。

そんなバナナ売りも、ただ呼びかけただけではなかなか客は寄り付いてくれない。

そこで彼らがまず行なうのが場所づくり。つまり「結界」を設定することから始めるのである。

バナナ売りはバナナの載った叩き台を中心にして、棒やチョークで円を描いながら、
「お客さん、ここから中に入らないでくれよ、大事なバナナに触られると困っちまうんだよ」
と、きっぷのいい声を響かせる。

これで結界ができるわけである。

バナナ売りは自らの場所を設定してその場所に巧みな売り口上のリズムで「いのち」を吹き込むのである。結界が立ち上がれば、道行く人は「いのち」溢れる場所に感応する。

数人が立ち止ったところで、バナナ売りはさらに小さな結界を拵える。

「ちょっとそこのお客さん、もっとこっちへ寄りな」
と言いながら、今度は前の円の内側にそれより小さな円を描く。

「通る人の邪魔になっちゃあいけないから、まあ、ここまでならいいよ。でも、これ以上は入らないでおくれよ。大事なバナナに触られたら困っちゃうからねぇ~」
と声を潜めて話しかける。

お客は新たな境界線までにじり寄り、バナナの叩き台の周りに数人が取り囲む形が出来上がるのだ。

こうして、バナナ売りは舞台と観客席を拵え、ここで初めて役者としての演技が始まるのだ。

後はお手のもの、流ちょうな語り口、お客の反応を見てのアドリブ、「いのち」のリズムが観客と呼応する。

彼は、このとき、もちろん役者である。しかも同時に、語り手として全体を構成するストーリーテラーでもある。。

場所中心的自己と自己中心的自己が一致しているからこそなせる業である

お客の反応を先取りするかのように、「いのち」の言葉として状況に応じて変幻自在に形を変えつつ、お客の心を捉えていく。

日常の言葉に「いのち」が吹き込まれて言霊に変わるのだ。

バナナ売りにすれば、二重の円の中は聖地である。聖地感覚が身体が場所中心的自己と自己中心的自己の二重性を獲得するのである。

ちょうどそれは、生徒を前にした鈴木先生。

鈴木先生にとっても、教室が聖地であったにちがいない。その聖地で、場所中心的自己と自己中心的自己の一致が起こり、語り手でありながら登場人物として漫画世界を、バナナ売りよろしく機転の利いたアドリブを交えて生徒たちの心をわしづかみにしていく。鈴木先生の言葉も言霊として「鈴木先生」の世界を変幻自在に渡り歩いていったのだ。

とりもなおさず、それはそのまま武富さんの精神構造であり、漫画世界を聖地としたクリエイティビティーにほかならない。


武富健治論(32)

2014-07-20 11:31:11 | 日記・エッセイ・コラム

「鈴木先生」の出てくる登場人物は、主人公の鈴木先生ばかりでなく、少なからず心内語を発する。

心内語は、文字通り、その場では口に出して言えないことをあれこれと考えている心のつぶやきであるが、この心内語を「視点」として考察してみると、自分がその場にいる自分を見ている位置にある。

普通、小説にはまず地の文があり、登場人物の発話があり、さらに心内語がある。地の文は語り手によって述べられ、ナレーションのような働きをする。

小説の語り手は地の文を語ることで小説全体を俯瞰しながら、登場人物に寄り添って、あるいはその心の中に入り込んでその人物の目で世界を見るといったように、小説のいたるところに視点を移しながら、小説を構成していく。

ところが、漫画には語り手が存在しない。しかし、武富さんは心内語を多用することによって、語り手の不在を補ったのではないだろうか。そこが文芸漫画と称される最大のポイントではないのだろうか。

武富文芸漫画「鈴木先生」の読解の可能性の中心として、僕は文芸用語の「うつり詞」との接続を考えてみたい。

「うつり詞」というのは語り手と登場人物の視点が響き合って、心内語が地の文と融合してしまう現象のこと。「鈴木先生」で言えば、鈴木先生の心内語がいつのまにか語り手としてこの漫画世界のナレーターとなっていく。

そういえば、東京(n-1)公演「画の描写」において、武富さんは語り手を演じた。

演出の僕はこの劇において、語り手にある仕掛けを施した。つまり、幕開けでは舞台のほぼ天井に近い場所からナレーターとしてこの劇の説明を行いながら、途中からは語り手が登場人物として舞台に降り立ち、演技する、そんな役どころを武富さんに与えた。

本来ならば世界の外にいる語り手が舞台の中に入り、登場人物として語り出す。「うつり詞」の手法を演劇にアレンジして取り入れたのである。

「鈴木先生lにおいても、鈴木先生の心内語が語り手の言葉として、話の道筋をつけていく。

すなわち、鈴木先生は語り手のように漫画全体を俯瞰しながら、登場人物として漫画世界を動かしている。当初は鈴木先生だけがその任務を負っていたが、次第に他の登場人物にまでその方法論は波及していく。そこにドストエフスキーとは違った武富漫画のポリフォニーが現出するのである。

10巻でクラス劇「ひかりごけ」の稽古に入る前に2-Aの生徒たちを前に鈴木先生が演劇論を一席打つ場面がある。そのなかでこう言っている。

「何をどうすれば何がどうなるか…自分がどう動けば全体にどんな影響を及ぼすのか…こうしたあらゆる関係に敏感になること!これこそが演劇に取り組むにあたっての最も重大な訓練なんだ!」

この鈴木先生の説明は、武富さんが「鈴木先生」において実験した試みを演劇論として語り直しているようにも聞こえる。要するに、語り手と心内語の融合が鈴木先生のみならず、生徒たちにも波及してすでに「鈴木先生」のポリフォニー世界を構築してきた、その後付けの説明とも読めるのである。

武富さん自身も「鈴木先生」は演劇的漫画であると述べているが、「鈴木先生」は「画の描写」で武富さんが演じた役柄の方法論を創造的に変容させたものと言っていいだろう。

その限りにおいて、「鈴木先生」は前衛演劇的な漫画である。

もっといえば実験小説的な漫画なのだ。その意味において、武富さんは、当初から名乗っているように文芸漫画家にほかならない。

ちなみに小説家中上健次が「千年の愉楽」で同じような実験を試みている。主人公の「オリュウノオバ」の言葉がいつのまにか語り手の言葉と重なり、次第に誰とも限定でない言葉となっていく。読者は小説を読みながら、視点があまねく散在しているような不思議な感覚にとらわれる。


武富健治論(31)

2014-07-18 11:57:12 | 日記・エッセイ・コラム

「鈴木先生」を見ると上から俯瞰して描くシーンがよく出てくる。そのとき、作者の武富さんは文字通り「場所中心的な自己」で世界を見下ろし、そしてまた一人ひとりの登場人物の中に入って「自己中心的な自己」として世界を見ている。

作者はその「自己」の入れ替えによって、つまり、メタレベルとオブジェクトレベルといった階層の違う目によって、ひとつの世界を見ているのだろうか。

これは世界に遍在する「いのち」の営みといっていいだろうか。

いきなりの極論。論理飛躍。申し訳ない。先を急がないようにしよう。

説明しよう。

昨日、心の在り処を指し示そうとしても、そういった仕方では心は捉えられないという風なことを述べたが、命も全く同じである。

命の存在を確かに感じていても、その命がどこにあるかというとはっきりしない。

たしかに心臓は命の象徴としてポスターなどに描かれるが、命そのものではない。たとえば、細胞一つにも命は宿っている。60兆ともいわれる人間の細胞は1秒間に50万個が死に同じ数だけ生まれている。その生き死にの中で人間の身体活動は営まれている。

それでは私たちは命をどのように感じているのだろうか。

感覚の総体が命といってもよいだろう。

目を閉じて静かにしているとあらゆる感じが体の中で生じているのが分かる。すなわち、命とは指し示すものではなく、作用そのものなのだ。その作用を感じることでしか、命を捉えることはできない。

この作用としての命を「いのち」と呼ぶことにする。

同じように見ることもただ目の感覚機能に収斂されるものではない。

視線とかまなざしとかという言葉がごく普通に使われている。実際、視線を感じたり、まなざしを投げかけたりしている。しかし、視線とは何か、まなざしとは何かと問われても、決してそれ自体を指し示すことはできないだろう。視線やまなざしの先には目があるだけである。

目も、視線とかまなざしといった作用として、 「いのち」と同じように世界に遍在している

この作用としての目を「まなざし」と呼ぶことにする。

「いのち」も「まなざし」も人間独自の感覚であり、精神的な営みではないだろうか。

「鈴木先生」は、「まなざし」に溢れている、そして「いのち」を感じる。

個々の視線が飛び交い「まなざし」が外部から注がれ、さまざまな命が一生懸命に生きて漫画世界がひとつの「いのち」のように脈動している。


武富健治論(30)

2014-07-17 12:57:16 | 日記・エッセイ・コラム

自己中心的な自分というのは、見るものとみられるものとを区別して自他分離した状態のこと。

もっとも、舞台でも基本はそうだ。俳優同士が相対し、視線を交換しながらセリフのやり取りが行われる。

それに対してもう一つの眼、すなわち観の目が現われた俳優は、自他の区別なく観客と同じ視点で自分の演技を見ながら舞台全体を見ている。それを可能にするのがザ・俳優である。一種のトランス状態に入るテクニックを会得した稀有な俳優である。

しかしながら、この点まで上り詰めなくとも、子供のころに立ち戻ってみれば、誰しもそんな全体性の世界に遊んでいた。

「私」の来歴を振り替えてみればいい。

いまの「私」はいつからこの「私」になったのか。

おそらく誰しも子供の頃は万能感にあふれていたに違いない。何でもできる、何だってなれる、自分は素晴らしい、もちろん、子供だからそんな風には思っていない。しかし、あらゆるものに興味を持ち、好奇心に満ちていたはずだ。

少し大きくなると、目標を持つようになる。ほんの思い付きであっても、絵描きになりたい、歌手になりたい、ピアニストになりたい、ダンサーになりたい、俳優になりたい、と思った人は山ほどいるだろう。誰もが小さい頃は芸術家なのだ。

子供頃に顕著に現われる、このプリミティブな精神。その働きは、心の動き、湧き上がる感覚を形にしないではいられないこと。なにか目的があるわけではない。それ自体が喜びなのだ。

たとえば、ラスコー洞くつの壁画。雄渾なタッチで描かれた彩色鮮やか動物群。

クロマニヨン人は何のためにこんな手の込んだた絵をたくさん描いたのだろうか。

従来の説は 狩りの成功を祈るための呪術的な営為、儀礼な意味合いで描いたとされていた。

しかし、20世紀のフランスの思想家バタイユによれば、そんな宗教的な行為ではない、絵を描くこと自体が人間本来の喜びなのだという。

僕もバタイユの説に同意する。

ところで、心、はたしてどこにあるのか、この空間のどこにあるのか。

心はどこどこにあると指し示すことはできない。

しかし、空間の中には見出されない心も時間軸の中では捉えられる。時間とともに変わっていく。こころじっと見つめていると、現われて消え消えて現われ、言葉で捉えようとするそばから零れ落ちてしまう。

しかし、子供はへっちゃらだ。心のままに無邪気に絵を描き、歌を歌い、踊り、瞬時の情動を形にして、喜ぶ。それ自体に喜びを見出し、そして、形にしたものを素直に見せ、その喜びを分かち合おうとする。

原初の人間たちも、湧き上がる思いを何とか捉え、心を形にする喜び、そしてその喜びを分かち合っては、互いに絆を深めたのではないのか。一体感を得たのではないだろうか。

そもそも芸術には、その成り立ちからして、心と心、人と人を結びつける力があるのだろう。

芸術によって結ばれるとき、私たちはお互いの区別を越えてひとつの心を共有する。その意味においても、子供の無邪気な欲求は、純粋に芸術行為である。子供は無垢な心はお互いが一つなることを究極求めているのともいえるだろう。

オーケストラの演奏が佳境に入ると、演奏者は自分が演奏しているのか、それとも全体の流れに埋没して弾かされているのか、分からなくなるという。その主客融合の境地が芸術の醍醐味である。

セザンヌは絵を描いているとき、対象の木に没入するあまり、自分が木を見ているのか、木に見られているのか分からなくなり、キャンパスにそっと赤い色を措いたという。キャンパスのなかの小さい赤、この点にしか見えない、緑のとなりの赤こそ、木から見られた自分なのだと説明する。

子供は生まれながらにして、オーケストラの演奏者であり、セザンヌなのだ。自然の中で駆け回り、ダンスをし、歌を歌い、絵を描きながら、自然の一部としての自分を見出している。

しかし、子供は成長してしまう。いろんなことを学んで成長する。学べば学ぶほどプリミティブな精神は失われていく。立派な「私」を手に入れた時、子供は原初的な喜びを忘れてしまう。「私」と「あなた」と「それ」、そんな風にして世界を分断して、いつのまにか主客融合の全体性を喪失してしまうのだ。

成長するにしたがって万能感もなくなっていく。

何でもできる、なんだってなれるというは幼稚な性格だとして矯正される。もっと大人になりなさいと教育される。

「絵描きになる?」

「無理よ、なるの大変なのよ、絵を描いてどうやって生きていくの?そんなことより、一生懸命勉強して、いい会社に入るのよ」

現実の厳しさを現実の厳しさを経験する前から教えられ、溢れる心を形にすることの喜びを否定され、子供だの、幼いだの、甘いだのさんざんに打ちのめされる。プリミティブな、人間本来の精神は嫌気がさしてふて寝する。そうして、心の奥底にひきこもって、いびきをかいて眠り呆けてしまうのだ。

「あなた、ギターの才能あるの?」

「ギター、弾いたことないよ」

「じゃあ、無理ね。才能ないわね」

「そうじゃない、弾いたことがないんだから、弾いてみないと才能があるのかないのか、分からない。ギター面白うそうだね、習ってみるよ、俺、才能があるかもしれないよ」

いまからでも遅くはない。常識的な判断に負けるな。好奇心こそが才能だ。

眠り呆けているプリミティブな精神を叩き起こせ。この精神こそ先ほど挙げた「観の目」の原型なのだ。

まずは自分の心に素直になればいい、どれだけのことだ。

形のない心の動きを素直に表現するだけでいい。ギターを弾きたければ弾けばいい。心の音色をギターの弦にに託す、戯れに爪弾いて楽しむ、それだけでいい。上手いまずいは関係ないのだ、無邪気に楽しみ好きになれば、技術は後からついてくる。

毎日毎日心に素直に行動するだけいい。

まあ、これが難しいのだが・・・。

心に素直になる、そうしていると、きっと「私」が脇に退いて、空間のどこにいるのか分からない「こころ」が主権を取り戻してくるにちがいない。そのときはじめて、全体性を回復する子供に返ることが可能になる。ワンダーチャイルドが目を覚ます。クリエイターになるための、とば口に立ったことになるのだ。創造力の扉が開かれるのではないだろうか。

演技をしていて最高の状態は私が私でなくなった時、もう一人の私が観客の方から私を含めた全体を見ている、この全体性が回復された状態にあった時、俳優は無上の喜びを経験する。のみならず、観客も一体となって歓喜の渦に巻き込まれて至福の時を迎えるのだ。


武富健治論(29)

2014-07-16 12:32:15 | 日記・エッセイ・コラム

演劇的身体とは自己中心に落ちた視点が舞い上がって自分自身を他人と一緒に見る視点に高まり、そしてまた自己中心的な視点に落ちる、その繰り返しを営む、生けられた身体のことである。

舞台上の俳優は自己中心的な視点だけではつとまらない。当然、舞台上では様々なルールがある。他の役者のセリフや動き、効果音、照明の変化などに反応して、自分のセリフや動きのきっかけ、立ち位置などが決まってくる。その一つひとつに意識を配しながら、自分の役に入り込む。

このように書くと至難の業のように思われる人も多いに違いない。でも、これは慣れ!誰でもできるようになる。決して難しいことではない。

分散集中法。

演劇の訓練は「注意集中」の訓練から入り、集中を保ちながら次第に意識を外に広げて、分散させていく訓練を行う。

本当に誰でもできるようになる。

そのプロセスで脳の配線のつなぎなおしが行われ、いままで持ち得なかった才能が発現するようになる。

これも本当である。

演劇訓練を僕が能力開発に使う理由もそこにある。

でも、今日は思い切って話を前に進めよう。

冒頭に書いた演劇身体とは、このレベルの能力開発の話ではない。さらに先がある。

私事を書くのは気が引けるけれど、まあ、ごく稀に、実際、2回しか経験したことがないが、演じている自分を見ているもう一つの眼が上方に寄り添いながら、自覚としては実際目で見て耳で聞いて体で動いている自分がある。

自己中心の目と演じている自分を見ている目、このバランスが微妙に保たれているとき、まさしく世阿弥のいう「離見の見」の状態なのだろう。おそらく、意識下ではこの二つの位相の違う目、すなわちオブジェクトレベルとメタレベルの目は激しく交替を繰り返しながら、バランスを保っているのではないだろうか。

自己中心に落ちながら舞い上がって自分を見ている。その繰り返し。舞台とは究極、自己分裂と統合が絶え間なく起こる場所なのではないだろうか。

分散集中を入り口にしてその非日常的集中が展開していくと、分裂と統合を繰り返す想像的な身体をえることができる。

これが武富健治論を締めくくる僕の仮説である。

ここでいう想像的な身体とは、演劇を例にとれば、劇場そのものということになる。劇場空間が自分自身の生ける身体として機能し始めるのである。

これは推測にすぎないが、武富さんは演劇を通過することによって、この身体を手に入れたのではないだろうか。この身体感覚が創造の源泉となったのではないだろうか。

近いうちに武富さんと会うので、そのあたりのことをじっくり聞いてみようと思う。僕としても、演劇体験が創造的な淵源にコミットしてそこから物語が紡ぎだされてくるとしたら、これは事件である。

日常的な身体が全体性を獲得した時、非日常的な空間開かれる。平行線はいつまでも交わらないユークリッド空間ではなく、平行線が交わる非ユークリッド空間であり、その交わったところから創造的な淵源が顔を覗かせる。

この一件を捜査し犯人を割り出すことが、数多くの迷宮入りの事件を解決する糸口になるはずである。武富さんとお会いするのが楽しみである。


武富健治論(28)

2014-07-09 13:16:39 | 日記・エッセイ・コラム

諏訪大社の鳥居を潜ると、細長い廊下のような建物が拝殿まで続いている。冷気が流れている。山の樹木を潜った湿った風が気持ちいい。

諏訪大社には本殿がない。裏の守屋山がご神体となっている。

拝殿のまえに立つ。7年前のことが思い出される。感謝と神妙な気持ちがないまぜになって思わず胸から喉元が熱くなった。

僕が諏訪大社を参拝するにはわけがあった。

それはちょうど7年前、癌が発見され手術を拒否して自力で治そうと決意した時、諏訪に知人がいてその知人の案内で諏訪大社の上社を参拝した。先日の検査で異常がなく、一応の治療プロセスを終了し、今回はその願解きで訪れた。妻が陶器に興味があり、松本の陶器屋さんに行くというので、僕も同伴し、念願だった諏訪大社へのお礼参りを決行したのだ。

奥に鎮座している金色の鈍い光を放つ鏡に向って礼拝する。お礼の言葉を唱える。期せずして右手にある社殿から太鼓が鳴る。打ち鳴らす音が境内に響き渡った。そのとき僕の体の中から得体のしれないなにかが立ち上がったような気がする。もちろん、自覚があったわけではない。

なるほど、この地は日本列島の中央部から九州に至る大断層である中央構造線と、本州を横断するフォッサマグナの交わる場所であり、大地のエネルギーが凝縮されている聖地と言われている。

身体という穴から神霊が噴き出す。そのせいで漫ろな気分に包まれて浮足立ったのかもしれない。もちろん、そのときはそんな風には微塵も感じない。

拝殿を降りて、ご神体の御柱のある庭に茅で作った輪があった。説明書きを読むと、茅輪をくぐり無病息災を祈るという風なことが書いてあった。ただ潜るだけではなく、8の字に何度かくぐって、そのくぐるたびに「払えたまえ浄めたまえ」と唱える。

6月30日に大祓の神事がどこの神社でも行われるが、この行事の一環として茅輪を作ってそこを潜ることで穢れを除き心身を清めることらしい。

いい巡り合わせに、僕は子供ようになんどもなんども茅輪をくぐった。それだけではない。諏訪大社を後にしてバス停に向うまで、ずっと僕は年甲斐もなく妙にはしゃいでいた。

もちろん念願だったお参りを終え、感謝で溢れた心が浮かれて思わず調子に乗ることだってあるだろう。僕の変調を妻も別段気に留めることはなかった。いつものことだと思っていたのかもしれない。僕の浮かれ調子を咎めることもなく、知らんぷりている。

確かに言えることは僕の体がふわふわして、妙に軽佻な感じにとらわれていたということだ。

その反動で、まだ今日も体調が悪い。諏訪松本旅行の後遺症は意外に後を引いている。

このことが「武富健治論」の掉尾を飾る全体性の問題とどうつながっていくのか、お楽しみ、である。


武富健治論(27)

2014-07-08 11:52:28 | 日記・エッセイ・コラム

前ブログで試みた武富流「カミングアウト」創作技法、はたして成功したであろうか。読者のご判断に任せよう。

心に鬱積していながらなかなか言えないことを自己道化して語ることによって、自己中心性の軸をずらし、他者中心へ、さらには全体性への高みへと昇華させる。ある種の心理療法だが、もう一歩進めると創造力開発教育として活用できる。

漫画や小説はもちろん演劇にも応用が効くし、もしかしたら美術作品の創作手法になるかもしれない。そういう可能性をもった創作技法である。

さて「武富健治論」もそろそろまとめの段階に入るが、最終段階で上でも述べたが全体性への高みに昇華させる方法について言及しようと思っている。

その前にちょっと・・・・その全体性に関わるちょっとした出来事を紹介しておこう。

昨日は一日中体調がすぐれなかった。まだ毒が吐き出されてないようだ。だるい、からだが打ちのめされたように重い、ずっと寝ていた。ゆうべは夜中に3度ほど目が覚めた。夢のなかで目が覚めたのか、目が覚めて夢を思い出したのか、今朝はうつろな目覚めであったが、10時ごろになってようやく気持ちだけは持ち直してきた。

実を言うと、おとといは長野の松本にいた。朝、ホテルを出ると青空が広がっている。玄関口に停車していたタクシーで中町通りに直行。昨日目をつけておいた喫茶店に入る。なまこ壁の蔵を改造した喫茶店である。同行の妻はモーニングセットを取るとそそくさと立ち上がり、タクシーで民芸館見物に行ってしまった。取り残された僕は、黒塗りの広いテーブルに一人で昨夜痛めた左足を投げ出して、コーヒーをすすっている。情けないことに歩けないのだ。よちよち歩くのが精いっぱいなのである。

店内は重々しい空気が流れている。中央に大黒柱がどっしり構え、天井には太い梁がいくつも渡してある。低音のベートーベンがずしり響いてくる。僕はバッグからPCを取り出し、メールをチェックするとグッホー日記を書きはじめた。

ブログに興じていると、女店員がなんども水を注ぎに来る。丈の長い白シャツを着た清楚な感じな中年女性で愛想がいい。眼鏡からやさしいまなざしが零れる。

広い店内には僕と2,3人の客がいるだけ。東京の喫茶店のように、コップに水を注ぐのは帰れの催促ではないらしい。松本はいたるところに湧水がある。そのおいしい水でコーヒーを淹れていることのアピールか、単純に観光客においしい水を飲んでくださいという思いやりか、そんなところだろう、別段気にすることなく、その都度、僕も首を突き出してお礼のあいさつ。

右足が疼く。きっと罰が当たったのだろう。

前日は上諏訪で下車して諏訪大社に参拝した。駅のすぐ前の道路の停留所からバスに乗った。

降車して駅の裏手にでる。ロータリ-がある。屋根つきの停留所があるのでそこへ行くがよく分からない。要領を得ないで行ったり来たりしていると、若い女性が声をかけてきた。おそらく高校生だろう。あどけない表情をしている。時刻表をつぶさに探している。どうやらここではないらしい。鼻の頭に汗をかいて一生懸命話してくれる姿に、僕は思わずかつての教え子を姿とダブらせしまった。駅の反対側に出た方がいいと言うので、ふたたびエレベーターに乗って反対側にでる。

目印のデパートを頼りに通りに出ると停留所がある。二つほどあった。目の前の写真屋さんの奥さんが表に出てきたので尋ねた。奥さんと言ってももうお年を召された品のいいおばあちゃん。小雨の降るなかを傘もささずに停留所まで連れてってくれた。それだけでない。おばあちゃんわざわざ時刻表を取りに戻ると、諏訪大社からの帰りの便宜まで心配してくれた。

あの高校生と言い、なんて長野の人は親切なんだと妻と二人で感激していたところへバスがやってきた。かりんちゃんという愛称で親しまれている市内循環の小型バスに乗り込む。この愛らしいバスは諏訪湖を右手に眺め半周ほどして山の方へ入った。

約50分ほど揺られていると上社のアナウンスが流れる。料金は150円。田舎のバスでは破格の値段だ。ちなみに故郷の甲府から実家に帰るのにバズでいくと、時間はほぼ同じで1000円以上取られる。

たんなる値段の問題ではない。

地域の人たちが諏訪大社を地元の神様として畏敬する心の表れであろう。諏訪大社を参拝する観光客へのおもてなしが隅々にまで行き届いているのだ。厚い信仰心が諏訪の人たちの生活に浸透している。そんな感慨を抱きながら、バスを降りる。バス停から前方を眺めると、鬱蒼とした緑の森に社の屋根瓦が覗いていた。

大きな鳥居を潜る。

まさに聖地の趣。いや、趣ではない。異様さと言った方がいいかもしれない。身体がどうもすわりが悪い。漫ろな感じ。落ち着きがなくなる。かといって、浮かれている感じでもない。いや、事実は浮かれていた。この感覚を真摯に受け止めなければいけなかったのだ。だが僕をそうすることを怠ってしまった。だから、罰が当たった。


武富健治論(25)

2014-07-04 11:26:57 | 日記・エッセイ・コラム

麻布die pratzeで行われた本番の舞台、俳優武富健治は堂々としていた。ハイナー・ミュラー作「画の描写」、役どころは語り手、ほぼ満員のなかで、深い集中と落ち着き払った所作で冒頭の長ぜりふをよどみなく語り切った。

どっしり立っていた。

初舞台とは思えない。舞台前面に立って語る場面も、前を開いた無防備の姿勢で観客と正面切って向かい合った。

この姿勢、出来るようでなかなか出ない。どうしても片足に体重を賭けたり、前かがみになったり、腕を組んだり・・・・日常においても、人と向かい合うことは知らず知らずのうちに防御の体勢をとってしまう。

「胸襟を開く」という意味がお分かりいただけるだろうか。

若い時の僕は、人と向かい合うことができなかった。人の目を見るのが怖かった。いつもうつむき加減で、ぼそぼそしか話せなかった。するとますます相手の視線に射すくまれて押しつぶされそうになってしまう。

人と向かい合うのが本当につらかった!

それほど極端でなくとも、内気な人ならだれでも経験があるのではないか。

人を前にすると、なんとなく襟元が寒々としてきて、つい両手で胸を覆いたくなる。両手で庇わなくても、思わず胸をすぼめ固くしてしまう。そんな感じ、誰でも経験があるのではないか。リラックスして胸元を開くことがどうしてもできない。胸の筋肉が強張ると、心理的にも閉じて表情も硬くなってしまうのだ。

武富さんとて、最初はそうだった。まっすぐに立つことができなかった。腰が引けて、いわゆるへっぴりこ越しになっていた。膝が曲がって前かがみになった姿勢でセリフをしゃべっていた。

演技指導で、まず最初に直される点である。

僕はあえて矯正しようとしなかった。形だけ直したところでどうしようもないと感じていたからだ。

すでに書いたが、僕は武富さんをほったらかしした。

僕は彼の中に子供を見つけた。そして、その子供が出てくるのを待っていた。

もちろん、この放置プレイに武富さんは明らかに苛立っていた。怒りさえ覚えたにちがいない。彼は舞台に立つことの居心地の悪さを何とかしようと自ら人形を制作し、人形を抱いて稽古を始めた。

このあたりもすでに書いたので詳細は省く。

すったもんだがあって、人形を手放してもらってから、本格的な演技指導に入ったのだ。

僕は、演技においても、教育においてもこの過程が非常に重要だと感じている。

いまの教育ははじめから手取り足取り教える。先生が、先回りして優しく丁寧に教える。子供は一方的に受け身にされる。ある意味、被害者ではないだろうか。

たしかにほったらかしにされるのは一種の暴力である。右も左も分からない演劇の世界に飛び込み、劇団の事情で俳優になり、役だけ与えられてほったらかしにされる。武富さんにとっては、泳ぎ方も教えてもらわずに、いきなり海に放り込まれるも同然だった。

そのうえ、舞台に立つ怖さから逃げようと苦肉の策で拵えた人形を取り上げられる、これでは、激高するのも無理はない。演出家としての僕が未熟だった。当時は本当に済まないことをしたと反省したものだった。

しかし、結果的にはこれが功を奏したのだ。

「啐啄同時」(そくたつどうじ)という言葉がある。
卵中で成長したひなが卵の内壁つつく、その音を聞つけて母鳥が即座に殻とついばみ破る。ひなが孵る。

この言葉は本来は禅で用いられる。機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くことらしい。

武富さんが試行錯誤しながら苛立ち、まさに殻を破ろうとしている、そのタイミングで、奇しくも僕は演技指導を始めたのだ。

武富さんは乾いた砂が水を吸い込むような感じで、むさぼるように演技を習得していった。武富さんの持ち味である素直さ、柔軟性、情熱が一体となり、みるみる上達した。そのなかから3番目の子供が顔を出し、演技をリードし、ついには漫画家として復帰するための創造的なツールまで探し当てたのである。

「啐啄同時」教育について「鈴木先生」10巻「@神の娘その4…2-A始動!!」の最初のあたりに鈴木先生が2-Aの生徒の前でクラス劇「ひかりごけ」の稽古開始に当たり、訓辞を垂れるシーンがある。その個所を引用しておく。

「演劇においては普段の生活指導や授業などより一層一人ひとりの伸ばし方が異なる! たとえ同じようにヤル気に燃えている2人にしてもーーほめる方が伸びる奴にはほめ、けなさす方が伸びるヤツにはけなし倒す…! 放置プレイすら辞さないこともあるだろう…『嫉妬』『不安』…『苛立ち』…こうした複雑でヘビーな感情を心に強いることもあるかもしれん」

ともあれ、武富さんは演劇の稽古を通じてクリエイターとしての自己形成はもとより、教育のなんたるかを身をもって学んだようだった。


武富健治論(24)

2014-07-03 11:42:31 | 日記・エッセイ・コラム

地下で地上の様子をうかがっているゲリラ戦士。ゲリラ戦士とは武富さんに内在する3番目の子供のことだ。僕は彼のことを幼いゲリラ戦士と呼ぶ。ジャイアンの傘下のスネオ的存在と同様、演出家の直感で命名した。

この幼いゲリラ戦士、人間関係の外圧を要領よくかわして生き延びるだけのしたたかさを持ち合わせているばかりではない。実に好戦的だ。僕は俳優武富健治と演技を通じて付き合いながら、武富さんの温和な表情の裏側に激しいものを見ていた。

この幼いゲリラ戦士、演劇を経験することによって地上に躍り出たばかりではない。「カミングアウト」という艱難辛苦と闘いながらクリエイターとして成長していたのである。その意味合いにおいて、いま執筆中の「武富健治論」は言うなれば教養小説である。教養小説といっても知識教養を得るための小説のことではない。

教養小説とは、主人公がさまざまな体験を通して自己形成していく過程を描く小説のことで、ドイツ語のBildungsromanの訳語である。

幼いゲリラ戦士が穴から躍り出て視線の飛び交う舞台を駆け抜けながら、ついには「カミングアウト」を創造的武器にしてクリエイターとしての自己を形成していった。

クリエイターとしての自己形成、この記念碑的出来事は武富さんにとって本番の舞台ではない。もちろん、「鈴木先生」第一作「げりみそ」である。

「察してよ!」というクリエイティブキーワードと出会ったのは、個人稽古のエチュードだった。武富さんは、舞台経験を生かして、この「察してよ!」を「カミングアウト」という創造的なツールに作り変える。そして漫画家として復帰する。以前と同じモチーフが第一作「げりみそ」としてリニューアルされる。新たな漫画となって読者の前に登場したのだ。

振り返ってみよう。

武富さんがずっと押し殺してきた思いがある。

ほんの些細なことを気になるが、この気持ちは言葉にならない。いや、言いたいのだけど言えない。言ったところで、一笑に付されるに決まっている。そんな鬱屈した思いから無力感に陥る。気になってしまう自分が悪いと自分に言って聞かせ、その思いを封印してきた。ずっと押し殺してきた。

その卑屈な思いが、演劇のエチュードの中でふとして「察してよ!」と言葉となって甦った。

「察してよ!」は演劇トレーニングを通して、また舞台経験から「カミングアウト」という創造的ツールに昇華される。

教養小説風に言えば、「言いたいけど言えなった」主人公が、演劇という未知の荒野を旅してその艱難辛苦の経験から「言いたいけどあえて言わずにその思いを漫画に描く」カミングアウトという創造的表現方法を身に着けてたくましく成長していったのである。

さらに世間のモノサシにも果敢に挑戦していく。

「鈴木先生」においては、教師が教え子と性的に結ばれることを妄想する。夢に教え子との性交する場面が出てくる。いままでの「教師もの」ではありえない。もし金八先生が教え子と性的な妄想をした日には、即座に「アウト!」のコールが鳴り響くだろう。審判の右手が高く上がって、金八先生のドラマは崩壊する。

しかし、ゲリラ戦に長けている武富さんは、ものの見事に世間を味方につけてしまう。世の中のモノサシとは違ったところに教師像を創り上げたのである。


武富健治論(23)

2014-07-02 10:26:21 | 日記・エッセイ・コラム

舞台を経験することによって、武富さんの3番目の子供は、スネオ的奴隷身分とその欺瞞性を自覚し、自由を求めてジャイアン的傘下から脱出する。それは「カミングアウト」という形で成功するのである。

「鈴木先生」の登場人物は鈴木先生は無論のこと、多かれ少なかれ武富健治の分身にほかならない。例外なくカミングアウトする。

当初は鈴木先生だけしか描かれなかった心のつぶやき=心内語が巻を重ねるにしたがって、他の登場人物にも波及していく。「鈴木裁判」で際どい話を中学生がカミングアウトするのを見ても、作者武富健治の、無垢であり続けようとする試みを、僕は看て取るのだが間違っているだろうか。

武富さんにすれば、「鈴木先生」を描くことは舞台の延長上にほかならなかったにちがいない。観客の前に自分を放り出して演じる。技術のない素人が舞台に立つにはそれしかない。舞台という場所で武富さんはそのことを学んだのではないか。

「察してよ!」という3番目の子供の叫び声を舞台に上げるには、自分の外へ踊り出なければならない。そのことが舞台に立つことによって解ったのではないか。

ここで誤解を招かないように、注意を促しておこう。

いままで舞台で丸裸になるという言葉遣いをしてきたが、言わずもがな、言葉の綾である

そもそも舞台で丸裸になれるわけがない。言うまでもなく心を丸裸にすることだが、文字通り「ありのまま」にふるまうことではない。

「ありのまま」という言葉も注意を要する語である。字義通りに受け取ったら大きな間違いを仕出かすだろう。

「自己中な奴」として人から相手にされなくなるに決まっている。「ありのまま」とは他者との了解可能な限りにおいて「ありのまま」なのである。

もっとも「ありのまま」には自由の響きがある。もちろん人目を気にして何もできないこととは逆向きの言葉である。

「ありのまま」にふるまうとはとういうことか?

他者との了解可能性を探って他者に心を開き互いの信頼関係から、その合意ラインを世間のモノサシとは違った場所に引くこと。他者との関係の中で、「ありのままの自分」を創造する自由ではないだろうか。

観客は夢を見に劇場に足を運ぶ。舞台で繰り広げられる絵空事に騙される快感を求めて劇場空間を楽しむのである。もし舞台での喧嘩のシーンが「ありのまま」に演じられたら、どうだろう。観客は楽しむことができるだろうか。「ありのまま」の喧嘩はたんなる暴力沙汰でしかない。楽しめるはずもない。

名優は、観客とのこの自明の約束を前提に「ありのまま」の演技をする。あたかも本物の喧嘩のような演技で観客を魅了する。「ありのまま」の演技とはあたかもありのままであるような演技である。それが俳優の個性となり、たとえ極悪非道の悪役であっても観客から愛される悪役として観客を魅了するのだ。

そういう意味で舞台とは、観客との協働作業の場。素人が初めて舞台に立つ自体、何もしなくとも、観客から注視されすでに丸裸にされる。いやがうえにもカミングアウトを余儀なくされる経験なのだ。

武富さんにとって見られる=見る関係の渦中に立つ経験が、強烈に「ありのままの自分」を創造するきっかけになったことは想像に難くない。

「察してよ!」という心の叫びは、舞台に立つことによって、カミングアウトを促し、作品を創作するエネルギーと化していったのではないだろうか。

「鈴木先生」の登場人物はすべて「カミングアウト」としてると言っても過言でないだろう。武富さんは「鈴木先生」を描きながらカミングアウトし続けてきた。まさしく無垢であろうとし続けたのである。その俳優魂や、見上げたものである。


武富健治論(22)

2014-07-01 11:49:04 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、無垢の心を相手の前に差し出すと勢い余って書いてしまった。が、無垢な心などありえないのではないか。乳幼児ならまだしも、大人はすでにはじめから失っている。

いくら本当のことを言っているつもりでもそこにはなにかしら嘘が混じっている。本人も気づかない嘘がある。

自我が芽生えるとは、心が分裂する経験。顔こそ出さないものの、いつも寄り添うように「私」を監視しているもう一人の「私」が存在するようになることだった。

あるべき場所に存在しないで別の仕方で「私」に作用する、もう一人の「私」は捉えようとしても捉えられない。どこにいるかもわからない。

もう一人と書いたが、はたして1人かどうかも分からない。複数いるのかもしれない。

本当のことを言ったとしても、その言葉のなかに、その「私」が巧妙に嘘を滑り込ませてしまうから、厄介だ。もっとも、この嘘のおかげで、ほとんどの人は生活が破たんしないで済んでいるのもまちがいない。

ひょっとしたら、その捉えられない「私」自体が無垢なのかもしれない。無垢が言葉になったとたんに嘘になるのかもしれない。

いずれにせよ、無垢は、汚染され自覚のない嘘となって姿を現すしかないのである。

自己欺瞞ってやつだ。

このあたりに鈍感だと「善人」として一生過ごすことは可能かもしれないが、何も生み出さない。創造性豊かな人生は送れまい。

だからこそ、その欺瞞に敏感であれ、と思う。

ならば、ジャイアンの傘のもとで生きるスネオを自覚する、その欺瞞に敏感であることが、逆に無垢であることになるのだろうか。

スネオ的欺瞞=弱者の自覚だけではだめだ。ジャイアンにゲリラ戦を挑んでその傘下から脱出しなければないらない。そう、「エクソダス」たれ。

「エクソダス」とは旧約聖書の中の「出エジプト記」。エジプトの奴隷たちがモーセに率いられて、約束の地に向かう物語。同時に、かの地には永遠に着くことのない流浪の民になることでもある。

もちろん、無垢であるとは無垢になることではない。無限後退するかの地を目指して無限に近づいていくこと。無限後退する無垢を目指す営みそのものが無垢の証明になる。

だからこそ、「カミングアウト」がいつも必要なのだ。自分を明かすためにカミングアウトしつづけることがありのままの自分=無垢でありつづけることなのである。

「鈴木先生」は武富健治のカミングアウトである。そう言ってよいのだろうか。