Born Free

もっと、先へ…


今月一杯で、日本野球機構に於ける
支配下選手登録が締め切られる。

っちゅうコトで、この日二人の育成選手の
支配下選手登録昇格が発表された。

まず、ホークスの二保旭投手。

育成選手契約期間満了で
昨年オフに一旦、契約が切れたモノの
育成選手として再契約し
今年は二軍でローテーションに加わり
八勝を挙げたコトが評価されたそうである。

こないだ北神戸で観た時はまだ
"123"のユニフォームを着てたんやケドも
明日からは"13"のユニフォームに袖を通す。

二保選手は昨季、三軍で結構観る機会が多かった。

線が細く、結果的に抑えてたモノの
タマ数を要し、ムダなランナーを結構出し乍ら
どっちかっちゅうたら、"のらりくらり"
っちゅうカンジのピッチングで
観てて結構イライラしてた(苦笑)。

せやケドも、こないだ北神戸で見た時に
足腰がガッチリしてて、放たれる直球にチカラが増し
かなり鍛えたんやろうなぁと感じてた。

こうやって、三軍で頑張ってた育成選手が
支配下登録されるっちゅうのはホンマに嬉しいモンである。

次に、ジャイアンツの岸敬祐投手も
育成登録から支配下選手登録への昇格が発表された。

2009年、大阪ゴールドビリケーンズのエースとして
関西独立リーグの前後期完全優勝に貢献し
気迫溢れるピッチングで、リーグを代表する選手として
ビリケーンズファンだけや無しに
リーグのファン全体に愛される好青年やった。

シーズン終了後、ビリケーンズ退団を決意し
愛媛マンダリンパイレーツへ入団。
2010年、活動の場を四国アイランドリーグに移す。

先発としてローテーションに加わり乍ら
更に、中継ぎやワンポイントっちゅう役割もこなし
ピッチャーとしての"幅"を広め乍らチカラを蓄えた。

その結果が身を結び、同年秋の育成ドラフト二巡目で
讀賣ジャイアンツに指名される。

2011年、育成一年目は二軍でも先発で投げるモノの
"第二の二軍"や"フューチャーズ"に派遣されたり
"上のレベル"の厳しさも味わったみたいである。

ぢつは、ジャイアンツ入団後の岸投手を観れて無い。
観たいとは思いつつも、なかなか実現させれんかった。
コレはホンマに申し訳無いと、今でも後悔してる。

ビリケーンズの時もそうやったんやケドも
マンダリンパイレーツに行ってからでも…

「こんにちわ!」

っちゅう風に、岸投手の方から声を掛けて来てくれた。
"いちファン"やし、四国に行ったさかいに
もうカオを忘れられてるやろうと思てたさかいに
ホンマに嬉しかった。新居浜では短い時間やったケドも
立ち話の相手になってくれたりもした。

2010年にマンダリンパイレーツの一員として
ビリケーンズとの交流戦(住之江)で凱旋登板した時
試合終了後、我々ファンとわりかし長い時間
いろんなハナシに付き合ってくれた。

その時に…

「絶対に帰って来んなよ!」

っちゅう風に声を掛けさせて貰った。

「ハイ! 頑張ります!」

この約束をホンマに守ってくれた。

せやケドも、あくまでもスタートラインに
やっとこさ、立たせて貰たっちゅうカンジである。

どうせやったら、我々がおいそれと
クチを聞けん様なトコまで行って貰いたい!

いやぁ、ホンマに嬉しい日になったなぁ…。
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