Born Free

いつまでも…


 なにわのシンボルである"通天閣"
明日で再建50周年を迎える。

今日、NHKで特番があった。

再建に携わった"七人の侍"のハナシや
通天閣で結婚式を挙げた夫婦のハナシとか
さまざまなエピソードが紹介された。

ワシにとっての通天閣は…

「近くて遠いトコ」

ワシがガキやった頃
通天閣がある新世界は子供には
お世辞にも教育上、好ましいとは言えん町やった。
近付いたとしても、その側にある
"天王寺動物園"に行く位やった。

通天閣の展望台に上ったんは
9年前、北海道で知り合うた"ウメちゃん"が
帰りに大阪に立ち寄った時に上ったんが最初やった。

最初に新世界界隈を歩いたんは
小学校6年の時やった。

5年から6年に上がる時に当時のクラスメートで
今は切手も切れん縁になってる"yoshi乙山"が
その近くのとある町に引っ越して行った。

しばらくして、遊びに行った時に
帰りに同じクラスの"K"と初めて歩いた。
その時に、目に飛び込んだ光景は
未だに忘れられんショッキングなモンであった。

一人のオッサンが血を流し乍ら
必死の形相で走って来た。
その後ろから三人のオッサンが何やら大声を上げ乍ら
必死の形相で走って来た。

「なんやろう?」
「そらぁ、ヤ○ザの追っ掛けっコやろう!」
「……………」

あれから、乙山氏の家には行くコトがあっても
新世界を歩くコトは成人するまで無かった。

ワシの家から、ムカシは通天閣が見えた。
夕刻になったらそれはスグに判明る。
ネオンがハッキリ見えるからである。
そのいっちゃん先には
時には白、時にはオレンジ色、時には水色の
光を放つ。天気予報になってるのである。

先の細かいトコまでは判明出来かねんケドも
大体のカンジで何色と何色の組み合わせかは理解出来た。

「白とオレンジ、明日は晴ときどき曇りやで!」

っちゅう風に、なかなか役に立つ存在である。

近くには近付けんケドも
あの建物を見たらやっぱり落ち着く。

学生時代の青春(死語)の総てをぶつけた大阪球場。
そのスコアボードの後方から強かろうが弱かろうが
勝っても負けても、暖かく見守り続けてくれてた。

こんなコトもある。

出先から飛行機に乗って
大阪上空まで戻って来た時に結構目に付く。
その時に感じるんが…

「おお~ 帰って来たなぁ!」

っちゅう安心感が生じる。

いつまでも、我々なにわっ子のココロの支えです。


コメント一覧

かつまる
>「強引に南海電車に乗る!」

コレ、いまだにやってます。

アチキの田舎から大阪ドームに向かう時。。
岸の里(あえて「岸里玉出」とは云いまへん。そういえば「岸の里」云う名前の相撲取りおったな。。。 関取には上がれへんかったけど・・。 勿論、西成の出身でした)から汐見橋線で、汐見橋から歩いて行くことが多いですよ。もうこれは意地になって・・・。
「南海電車以外の交通手段を使わずにホークス戦に行く!

コレがミソやねん!!
かつまる
アチキも新世界をまともに歩いたんは、ハタチ過ぎてからでした。通天閣の中に入ったんもほぼ同じ。
アチキは南海沿線にいたのに、ガチャから「天王寺支線」に乗るのも親から禁止されてた。。。 上町線も・・・。
だからいまだに上町線で天王寺から堺へ帰るときは「いけないことをしている」トラウマが抜けんのです。。。 三十ウン才にもなって・・・。

アチキも大阪城なんかより、南海電車に乗って通天閣を見るときがいちばん「帰ってきたでぇ!」となります。
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