こんにちは。
今回は後藤浩輝騎手についてご紹介したいと思います。
以下、Wikipediaから抜粋します。
後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19- 2015年2月27日)は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手である。
少年時代に空手や体操を習っていて、のちにそれらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。相模原市立清新中学校卒業。
母はいわゆる「手に職をつけるべき」という考えをもっており、後藤自身もサラリーマンにはなる気はなかったと述べている。進路を考え始めたときの後藤の考えは自分が好きであった料理を生かしてのフランス料理のコックになることであったが、それを伝えると母はたまたま過去に見ていた競馬学校のドキュメンタリー番組を見ていたことから競馬の道に進むことを薦める[8]。しかし競馬の知識や興味もなかったがとりあえず、高校や専門学校の試験の前に不合格でもいいから受験することとなり見事合格することになる。競馬学校に入るまで乗馬経験もなかった後藤は落馬回数がトップになるほど一番下手であったと述べている。そうしたなかスティーブ・コーゼンのビデオを見たことで「惚れた」と称するほど感銘を受け、意識や取り組みが変わったという。
1992年2月、競馬学校を卒業。
同期には小林騎手横山騎手などがいるようですね。
初騎乗では6着とあまり成績は良くなく初勝利も同期の中では遅いほうでした。
主な成績についても見ていきましょう。
■成績
・1994年:1994年の福島記念にて騎乗したシルクグレイッシュで重賞初勝利
・1995年:1995年に師匠の伊藤との考えの相違からフリーの騎手となる。4年目にして初の21勝を挙げる
・2000年には、年末の最後まで岡部幸雄や横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には101勝)をマーク。
・2002年6月2日、安田記念をアドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬のGI初勝利
・2007年、9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した
・2010年6月6日、安田記念をショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる
上記のように間違いなく日本を代表する騎手の一人であります。
度重なる怪我の中でもなんとか復帰しようとがむしゃらに走ってきた
この騎手の生き様は若い世代の騎手にもおおいに参考になるはずだと思います。
ブレがなくしっかりとした騎乗スタイルはファンの間では有名です。SNSでもトレーニング姿を投稿したり、リハビリの姿を投稿したりと常にファンへのサービスも忘れない、非常に温かい騎手であったと思います。
一度、落馬した時に「わざと落馬したんです」という言葉がかえってきたこともありました。
馬の状態を分かっているのと、自分への自信がないと言えることではありません。
勝負にこだわる姿勢、プロフェッショナルとしての姿勢は若手に受け継がれているでしょうか。
できれば、またレースを見たいものです。