こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

旅の意味

2015-12-31 | 日記
我が人生の旅はいつ、どうして、どこで幕を引くのか?

年の瀬 大晦日につくづく思う、今日この頃。

旅に意味?
登山しないものが、なぜ山に登る?と聞く。
登山家は答える。
「そこに山があるから」

その伝でいけば「色んな土地、人、食があるから」
とはいえ、それほど意味があるわけではない。

痴呆になると徘徊する、という。
人、本来出歩くのが本能といえないか。
勝手に解釈する。

ツアーでもない。
旅行でもない。
旅(たび)。
この言葉の響きが好きだ。
旅がいい

ノープラン。

旗持った人について歩く。
決められた時間に、決められたところに行く。
これは会社人生と同じだ。
リタイアして社会人生となれば、もうそこんところは卒業してもいい。
縛られるのは、真っ平ごめん、なのだ。
目の前にバス、電車、船があれば、飛び乗る。
どこだっていい。

好奇心だけで生きてきた。
その証が旅の魅力かもしれない。

人は逃避行だ、という。
現実逃避だ、という。

そうかもしれない。



旅ガラス寅さん映画には名セリフが散りばめられている。
寅さんも私と一緒で家庭破綻者。
家庭という枠組からはみ出している。

「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ

「見知らぬ土地を旅してる間にゃ、そりゃ人に言えねぇ苦労があるのよ」

「寂しさなんてのはなぁ、歩いているうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ

「いろいろ心配事もあるんだろうけど、そのときは「大丈夫、大丈夫、大丈夫」って三度唱えてみろ。大丈夫な気になるもんなんだよ。そしたらホントに大丈夫になっちゃうんだからな」



天に軌道がある如く人それぞれに運命あり」

狂気のない奴は駄目だ。それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」

「インテリというのは、自分で考えすぎますからね。そのうち、俺は何を考えていたんだろうって、わかんなくなってくるんです。つまり、このテレビの配線がガチャガチャに込みいっているわけなんですよね。ええ、その点私なんか線が一本だけですから」

人生は旅そのもの

谷あり、川あり、頂上あり、曲がりくねった道あり、細い路地あり、広い道路あり。

出会った旅人に声かける。
GOOD LUCK!








光陰矢のごとし

2015-12-30 | 日記
あと1日。
2015年平成27年羊歳66歳はもうすぐサルにタスキを渡す。

年の瀬に風邪をひいた。
風邪なんぞは気の緩みだ、とこれまで切り捨てていた。
ところが今年は何度ひいたか?
情けなくなる。

糖尿のせいか?
尿酸値も高くなった。
じんましんにも悩まされる。

薬嫌いが何種類も飲まざるを得なくなった。

いい年、とは胸張っていえない1年になった。
人生の中では最悪の部類に入る年ではなかったか。
不義理果たしてばかりで、やりきれない。

まあ、これまでが素晴らしい人生だったから、これも仕方あるまい。

そうそうは神も仏も赦してはくれまい。



来年はサル年。

これまでは「見ざる 聞かざる 言わざる」の正反対の生業だった。
好奇心の塊で根掘り葉掘りの人生だった。

リタイアして3年、もうサル三種盛りの人生が楽かもしれない。

異次元モンスター井上尚弥KO防衛

2015-12-30 | 日記
世界に通用する、と言えば誤解を生む。
世界チャンピオンに失礼かもしれない。
世界に通用するから、王者のはずだからだ。

実際には首をかしげざるを得ない。

世界王者が乱立するのが、その理由。
この日、3階級制覇した八重樫東。
ライトフライ級には田口良一、木村悠と世界チャンピオンが3人。
団体はWBA、WBC、WBO、IBFと4つもある。
お陰で日本の世界チャンピオンは12-人の大量生産。

同じクラスに日本人世界王者4人が君臨する可能性だってある。
昔なら東洋チャンピオンクラスが世界王者になる。
つまり世界タイトルマッチのレベルが落ちている。



この頃聞く言葉。
「ラスベガスの本場リングに立ちたい」
野球のようにメジャーの舞台に立って金を稼ぎたい、ということだ。

これっておかしい。
野球とは違う。

世界チャンピオンは世界で一番強いのだから、彼こそがメジャーでなければいけない。

(↑上は報知新聞12月30日付)

今、世界で出色のボクサーは誰か?
そう、私が聞かれれば井上尚弥を真っ先に挙げる。
29日にWBO世界スーパーフライ級戦を行った。
素晴らしいボクサーだ。
取材した中で出色だったのは辰吉丈一郎だ。

クラスは違うが全盛期の辰吉とやらせても勝つだろう。
スピード、パワー、攻防のリズム、パンチの角度どれをとっても一級品。

井上は初防衛戦を1位のワルリト・パレナス(32=比国)を2回1分20秒TKOで葬った。
24勝のうち21KOの強打の挑戦者を2度のダウンを奪った。
子供扱いだ。

「一番強い相手とやりたい」
大橋会長にデビュー前から言ってのける頼もしい22歳だ。
◆バレナス「強かった。いい調子だったが、スピードが上。どう対処していいか分からなかった」

井上は本物の世界チャンピオン。
惜しいかな軽量級は本場では前座扱い。

次の世界戦が早く見てみたいボクサーの一人だ。

究極のダイエット

2015-12-29 | 日記
また、ガン話で恐縮です。

胆管がんの手術をしたIM、TY両カメラマンの話は前回記した。

特にTYは胆管がんが発見する前は膵炎と診断。
そのために、食事は脂質を極端に減らした。
揚げ物などである。

食事を減らすより、脂質を取らなければあっという間にダイエット出来る。
TYはそう断言した。
もともとスリムなTYが数ヶ月で7~8キロ体重が落ちた、という。
「チョコレートでウイスキー。これが旨いんです。でも、チョコレートは脂質多くてアカン。脂質省いた食事で痩せました。脂肪の多い尻の部分もやせて、座るとき痛いけどね」
何でも食べれるようになった、というTYは飲みかつタバコプカプカ。
大丈夫かいな。とこちらが恐る恐るだ。
さすがに肴に天ぷらはNG。
「やめときます」
病は千の意見よりも忠告よりも、効き目万全のようだ。

糖尿病だったIMは食道がんで、流動食しか喉を通らない。
更に度重なる抗がん剤で質はトモカク、量は激減。
カロリー制限、食量を減らさないといけない糖尿の見本的な生活サイクルだ。
皮肉なもので糖尿の数値は正常になった。
IMも半年で一気に10キロ近く落ちた。



人は無理に痩せなくとも、いい!
病気で痩せてしまうのだから、その時のために脂肪を貯めている。
これが持論である。

闘病中の戦友らに学んだ。






がん癌ガン

2015-12-28 | 日記
羊の年も後がない。
寒さが、やっと師走らしく厳しくなってきた。

喪中ということで、早々挨拶状を出したので賀状の気忙しさが解放された。
いつもこの時期、バタバタしている。

こんなにもガン患者が身近にいるものか、年の瀬が身に染みる。

やるせない。

「ガンを平気で公表する時代になったからやないですか?」

言葉を発したのは、ほぼ四半世紀ぶりの再会となった自動車教習所仲間TYだった。

私は40歳の時に自動車免許証をとった。
遅かった。

当時の教習所教官は偉そうにしていた。
今は違うらしい。
少子化の影響で、そんなことをしていたら生徒が集まらない。

ままならぬ向上に互いにイライラしていた。

自然に数人の仲間が集った。
「あの教官、態度大きくないか」
「言葉使いがゾンザイや」
「ブレーキの踏み方か悪い?教えるのが教官やろ」
「ちゃんと右左、首を振って見てるんか!いいよる」
「そないに首振ったら、ハンドルとられるで」
「金払っとるんや。偉そうに言うなよな」
終わると喫茶店や居酒屋で互いにストレスを発散した。

冒頭の彼TY君もその仲間だった。
免許取得後も、数回飲み会をした。

以来、遠く離れた、ということもあって会っていない。
賀状などで交流をしていた。

TY君は来年、還暦の商業カメラマンだ。
十数年前、夫人が「酒の器」(HPあり)のギャラリーを始めた、との案内をもらったままの不義理だった。

別の飲み会の用件あって京都・伏見へ。
伏見といえば寺田屋の龍馬を訪ねたくなった。

何度も行っているが、今さらというなかれ。
龍馬好きから言えば、通り過ごせない所だ。

酒蔵群を縫うように、歩いていると『toyoda』のロゴのあるギャラリーが目に入った。
「ん?ひょっとしたら」


まっすぐ駅へ向かっていたら、見つけられなかった。
縁とはかくも不思議。
ドアを開けて「ひょっとしたら、あのTY君の・・・」
中にいた婦人に声かけた。

すぐに自宅にいたTY君に電話をしてくれた。
TYの奥さんだった。

15分ほどで大型の左ハンドルの赤のシボレーでやってきた。
教習所であたふたしていたTY君の姿は、いつの日のことか。

ご夫婦から衝撃の話を聞いたのは、このときだった。
「実は胆管がんを手術したんです。ええ、今年の春」
「なんだか腹が痛くて、町医者に行ったところ膵炎か、と」
「くすりもらったっりして、よくはなったんですが、またぶり返した」
「で、自分で運転して日赤へ行きました。ええ、即入院といわれた」
検査には2週間ほどかかった、という。
結果はがん宣告

TY君も医者嫌いで、とんと検査をしていなかった。
手術は4時間に及び胃の三分の一と十二指腸、小腸など内臓をがっぽり摘出。
映像を見せてもらった。
両手に余るほどの量だった。

おなかの中は空っぽになってるんじゃないか?と思える量だった。
がんが肝臓に達していなかったので、事なきを得た。
TY君と夫人は口そろえる。



「がん宣告を受けて奥さんはショックだったんじゃ?」
「いえいえ、覚悟してましたから。実は私も大腸がん宣告されたんです。ええ、細胞を摘出して、今は大丈夫」

こともなげにいう。

医者嫌い、注射嫌いの臆病者の私なら、ショックで別の病で倒れるかもしれない。

もう一人、戦友の報道カメラマンIMも壮絶な抗がん剤治療をしている。

日常が「がん宣告」で一変する人物を今年ほど出会ったことはない。
がん死した古巣の会社同僚2人は5月、11月には仕事仲間。
いずれもごく近しい、親しい人らだ。

やりたいことが瞬時に消えうせる。
命が消える前に「がん」との壮絶な闘いが始まる。

生きているだけで丸儲け
明石家さんまも珠にはエエこという。












ルーツの反響

2015-12-27 | 日記

「我が家のルーツ」は関心の高いことがわかった。
自分だけか、と思っていたがそうでもなかった。

考えても見よう。

もともと人類は「女性の肋骨から生まれた」
りんごをかじったところからアダムとイブが存在した。
いずれにしても、ほんのペアから、地球上には、いまや60億とも70億とも人類が存在する。

もとをたどれば血はつながっている。
そう思ってもいい。

とは、いえ、よほどの由緒ある家系でもなければ、そうは遡れない。

せいぜいが江戸時代。
名字帯刀の許された武家なら、姓をたどれば、どこかで行き着く。
商人、一般人ともなれば苗字は明治以降だ。

「俺の家系はボートピープルじゃないか」
そう冗談めかして、伝えてきたのは北陸在住のKK。
「生まれた村にも数軒しかない名前だ」
「俺の顔もどちらか、といえば日本人離れしとろう?」
「甲子園に台湾から出場した高校の名前で、はたと思った」
「いつかは台湾を訪ねてみたい」



また、元大相撲力士からの反応もあった。
同姓の「室」が本名の地車(最高位3段目)。
武蔵川部屋に所属していた力士だが、4年前の31歳で廃業。
今は大阪府下で実家の手伝いをしている。
「室駅なんてあるんですね」
「うちは八代将軍・徳川吉宗公の家庭教師役であり、相談役だった室鳩巣(きゅうそう)の家系らしい」

室鳩巣の名は会社の面接などで、よく聞かれたことがある。
当初は知らなかったが、そんなことで知るようになった。

調べてみると鳩巣の父・室玄樸は岡山県英賀郡生まれ。
鳩巣は東京台東区谷中で生まれ、神田・駿河台で育った。
余談だが、初めてノロウィルスにかかったのは谷中の名店で食べたボイルド牡蠣だった。
先祖のたたりだったか。

中学の同級生Kからも知らせが来た。
「私のルーツも岐阜 大垣です」
「父の墓、親戚、96になる母の本籍もそこです」
「最寄り駅は関ヶ原。年に3回は墓参しています」
「山奥の農民だった、と聞いてます」
50年ぶりの同窓会でKは、幼稚園も同じだったことが分かった。
人はどこで、どうつながっているのか。

全くもって、ルーツの追跡は面白い。

◆室鳩巣(むろ きゅうそう)1658年(万治元年)2月26日、東京・台東区谷中(武蔵国谷中村)生まれ。~1734年(享保19年)8月12日に77歳没。江戸中期の医師で岡山・上房(じょうぼう)郡)出身の室玄樸の子。鳩巣は14歳で金沢藩に仕えた。藩主・前田綱紀の命で京都の木下順庵の門下生になる。53歳のときに新井白石のバックアップで江戸幕府の儒学者。徳川家宣、家継、吉宗の将軍三代に仕えた。吉宗時代はブレーンとして享保の改革に尽力。討ち入りした赤穂浪士を擁護したことでも知られる。門下生にも室勿軒がいる。










世界戦ラッシュの前にボクシング映画見た

2015-12-26 | 日記
ロッキーといえばボクシング娯楽映画の代表的なもの。

テーマ音楽も元気の出る筆頭だろう。
夜明け前にテーマ音楽をバックにフィラデルフィア美術館前の階段を駆け上るシーンは鮮烈だ。

今回はロッキーと死闘を繰り広げた宿敵アポロ・クリードの息子の話。
すでにアポロは死んでいる。

簡単にいえば、ボクシング界から一線を画していたロッキーの元へ、クリードの息子がやってくる。
「強くなりたい。コーチをしてくれ」

宿敵の息子のセコンドにつく、というストーリー。
いつもながらのシンプルさ。
肩のこらない仕立てがいい。

それでも、ウルッとくるのは齢のせいか。

今回、試合を終えてフィラデルフィア美術館の階段をクリードジュニアと二人で上がる。
だが、ロッキーは途中で息が上がる。
「あれ?こんなに階段があったっけ?増やしたんじゃないか」

市街に向かって、ジャンプし雄叫び上げるロッキーの雄姿。
77年のヒット作品と比較しての老いの場面。

心憎いシーンだった。

ボクシング映画には、これまでもいい作品がある。

「チャンプ」
ジョン・ボイトが子供のために再起する。
「レイジングブル」
ロバート・デニーロ主演のミドル級王者ラモッタの実話。
「ミリオンダラーベイビー
クリント・イーストウッド主演の女性ボクサーとの交流。

日本映画でも赤井英和主演の「どついたるねん」も傑作だった。
比較してみるのもいい。

映画で刺激された後、ボクシング好きにたまらない年末がやってくる。

史上初めてだろう。

東京、大阪、名古屋の主要3都市で同時世界タイトルマッチが開催される。



よりによって同じ日にやらないでも、と思うけれど。
まあ、世界王者がいなければそうも、開催できないのだから。

29日は若手の生きのいい井上尚弥が、大晦日は井岡一翔、名古屋の20歳の怪物・田中恒成、中量級のKOパンチャー内山高志らが登場する。
TBS、フジ、テレ東の視聴率争いも見逃せない。








ラップで反戦デモ 時代は回る

2015-12-23 | 日記
町歩きしていると、たまたまデモに出くわす。
我が学生時代は珍しくも何ともない風景だった。
70年安保で学園闘争が、吹き荒れていた。

今では「おっ!」とビックリする風景だ。
やってるんだ。

前後を歩くお巡りさんは、さしたる緊張感もない。
ゲバ棒もヘルメットも投石もない。
もちろん、火炎瓶や催涙弾が飛び交うこともない。

何より驚かせたのがリーダーの呼び掛けがラップでやっていたこと。

「ヨー!ヨー!安倍政権!憲法変えるのやめようヨー、ヨー!ヨー!」
ハンドマイクを手に拳の代わりに、指先を踊らせる。

行進する老若男女もリズム合わせて、ラップする。
歩道の市民にも参加を呼び掛ける。
だが年寄りには気恥ずかしい。

反戦を叫び(歌い?)ながらの反戦デモ。
ある意味、ニッポンが平和だ、と実感させる。

か、と思えば上の写真。

「憲法と人権」

日本酒にこんなお堅い「ラベル」がしてある。
企画した酒屋さんには悪いけれど。
何だかネーミングで味が不味くにりそう。

もっとも味が美味くても、右翼の皆さんは飲まない。
それだけは間違いない。

それにしても、何でもあり、の世の中。
頭を柔らかく、は、嫌いではない。







塩たたき塩サウナ

2015-12-22 | 日記
土佐の鰹のたたきは美味しい。
それも藁の火で焼いた鰹のたたきは、雰囲気がブラスされて、なお旨い。
我が青春の味でもある。

「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)を読んで、すぐ土佐を巡った。
そこで出会ったのが、屋台の鰹のたたき。
もうもうと上がる白い煙におびき寄せられた。

その屋台風景で高知に来た、と実感した高校時代。

巡り巡って、同じ塩でも塩サウナに出会った。
太平洋に面しているので、深層海洋水などは知られている。

また、サウナ通には「そんなものは昔からある」と叱られそうだが。
日常、それほどサウナ利用は稀有なのだが塩サウナは気にいった。

大きな木桶に真っ白な塩と木の大きなスプーンが入り口に用意されている。

あら塩を全身に両手で擦り付ける。

因幡の白兎が聞いたら卒倒するだろう。

塩の発汗作用か、すぐに汗が噴き出す。

サウナには1分と居られぬたちなのだが、全身くまなく擦り付けるのに。時間が結構かかる。
出て水風呂に入る。

洗い流したあとがこれまたいい。
お肌ツルツルなのだ。

塩は食べるだけでなく、健康にもひと味つけてある。







過剰期待に辰吉ジュニアつぶれるな!

2015-12-21 | 日記
宿命とはいえ偉大なる親を持つと可哀想。
カリスマボクサー辰吉丈一郎の次男の寿以輝のことだ。

19日、辰吉ジュニアが3戦目の試合をした。
3-0の判定勝ち。
デビューから3連勝2KO。
何の文句があろうか。
で、ある。
であるけれど、カリスマ辰吉の息子ということで過剰な期待をされる。
ボクサーにはDNAは見当たらない。
日本で親子で成功したボクサーは見当たらない。
拳聖ピストン堀口や「一瞬の夏」のカシアス内藤のジュニアもボクサーになつたが父を超えられない。

受け継ぐ素質を敢えていえば、動体視力と反射神経か。

悪いけれど、ジュニアにはどちらも非凡さは感じない。

相手も3戦2勝1敗の並みの選手。
「盛り上がりなし。全くの凡戦。手数が出ない。これからキツイですね」
現場の記者から落胆の声が伝わった。
にらみ合いが多く4回戦が、長く感じた。

オヤジと決定的に違うのはフアイティングスピリット。
攻め込めない。
厳しい言い方をすれば、技術以前の課題がある。
ジム側はこの時期、勝てる相手、KO出来る相手をマッチメークする。
つまりデビュー3連続KOを飾らなければいけなかったのだ。

ジュニアは試合後、不甲斐なさに号泣した、という。
自分を一番分かっているのは、ジュニアとオヤジだったろう。

カリスマの子供というだけで、メディアに取り上げられる。
チケット売り上げにも貢献。
オヤジの名声が重くのしかかる。

特に関西のファンは辰吉と言う名前に、過剰な反応をする。

長嶋一茂らを筆頭にジュニアの世界は大変だ。








ルーツを訪ねた

2015-12-19 | 日記
冬将軍がやってきた。
と、いっても例年通りなのだそうだ。
今までが暖かすぎた。
あれやこれや、齢重ねると動きたくなる。
大した家系ではない。
けれど気になる。
離職して暇ができたのでルーツを訪ねた。
岐阜県大垣市室村。
JR大垣駅から養老線に乗り換え一駅目が室駅。
ラッシュ時でも1時簡に3本、ほぼ1時間に1本のローカル線だった。
わが両親はすでに他界している。
年老いた親戚もすでに鬼籍に入った。
今になって思う。
もう少し聞いておけばよかった。
NHK「ファミリーヒストリー」という番組が好きでよく見ている。
人に歴史あり。
痛切に思う。
で、我がファミリーヒストリー。
有名人でもないので、探してもらうわけにはいかない。
祖父母からは断片的には聞いたことがある。
「もともとは岐阜の大垣。そこに室村というのがある」
「大垣城下にあって、江戸時代は水売り商人をしていた」
「水は貴重で、大名屋敷に出入りしていた」
「その後、商人のまち道修町に出てきて文具商をしていた」
「トンボ鉛筆を作ったのは祖父(曽祖父?)やった」
「飲む打つ買う、の三冠じぃさんが身上つぶし権利を手放した」
嘘か誠か、調べてはいない。
本籍はまだ大阪・東区(現中央区)横堀にある。
「不便だから、エエ加減に移したら?」
家人は冷たく言い放つ。
面倒なのもあるが、何か離れがたい。
新しもん好きではあるが、そこら辺りは古いのかもしれない。
死ねば好きにすればいい。
どうして水売り商人が文具商に転じたのか?定かではない。
確かに祖父の実家に親戚が集まると「いとはん、なかはん、こいさん、ぼん」など商人の愛称が飛び交っていた。
幼心に変な呼び方するな、と思った記憶がある。
すでに文具商を廃業していた祖父。
孫から見た祖父は怖かったが、遊び人風情には見えなかった。
幼かったからわかるはずもないけれど。
家族がいう。
「あなたは、おじいちゃんのDNAをきっと受け継いでる」
父は終戦後、租界先の中国・上海から帰国後、大阪キタ梅田で玩具商を営んだ。
上海租界で警察官僚上がりのまじめを絵に描いた人だった。
商売人の血はまるでゼロ。
私がDNAを受け継いでいるとすれば隔世遺伝か?
我が家は男兄弟2人。
兄も私も娘二人ずつ。
だから我が代で「室」は途絶える
途絶えたところで、どうということはない家系(と思う)。
けれどもルーツを探るのも悪くはない。
現地の図書館を訪ねた。
郷土史課にいき、事情を話すと資料を引っ張りだしてくれた。
古文書、大垣城下の古地図などあるわあるわ。
この手の話は多いようだ。
資料によればこうだ。
平安の頃、すでに室の地名。
鎌倉時代には室村。
江戸寛延年間には『室村庄右衛門』と言う名が記されていた
また、水商人を裏付けるように、この辺りは冷たい湧水が有名。
室清水と呼ばれ、当地の三大清水の一つだったことがわかった。
水売り商人から水運業。
川を下って浪花に出てきた。
そんな想像がふくらんだ。



「旅の宿」「襟裳岬」が逝く

2015-12-18 | 日記
昭和が消えていく。
作詞家・岡本おさみ、といっても若い世代は知らない。

北の町では もうぉ 悲しみの暖炉でぇ♪
「襟裳岬」
浴衣の君は尾花のかんざしぃ♪
「旅の宿」
いずれも吉田拓郎とのコンビでヒット曲。

70年代を代表する作詞家だ。

2週間前の11月30日、ひそかに亡くなっていた。
心不全、73歳。



特に「襟裳岬」は74年、森進一が唄い日本レコード大賞を受賞。
私が襟裳岬で昆布漁のバイトをした頃にはまだ、この歌が生まれていなかった。

あったのは島倉千代子の唄。
風はヒユーヒユー 波はざんぶらこ♪
の襟裳岬。

確かに夏でも朝晩は暖炉がいる寒さだった。
岡本おさみは襟裳岬に行ったのだろうか。

鉄道が通ってなく、旅するには時間をロスする。
当時でさえ、列車で同席した旅行者は行くと伝えたら驚かれた。
「あんな不便な所に?」

十勝連山の火山岩が、太平洋になだれ込む景観は絶景なんだがなあ。

故人の唄でも口ずさみながら、一度は襟裳岬を旅して欲しい。










ボウリング

2015-12-17 | 日記
友人らに誘われてボウリングをした。
飲み会ということで、やるということを知らなかった。

知らせてくれていたはずなのだが、目を通していない。
待ち合わせ時間も間違っていた。
現場に着いたら誰もいない。

「まっエエか」
15分ほどのんびり待っていたが誰一人来ない。
日にち間違えたのか、とさすがにしびれ切らせ連絡。
「知らせたやろう」
笑われた。
1時間違った。

ボタンの掛け違いは、いつものことだ。

で、ボウリング
友人らはそれぞれ自信がある。
でなければ、やろう!なんて言わない。

何年ぶりか?と思い巡らせた。
「自信ないなあ。体が動かんで」
口ではそう言ったものの自信はあった。

在職中の社内ボウリング大会。
確か30歳に成るか、ならない頃。
その大会で準優勝した。




運動神経には覚えある。
紳士は口には出さない。

わが娘の小学校の運動会。
リレーに父兄参加。
だが、とんでもない悲劇が待っていた。
頭の中は10代の走り、肉体は中年。
脚がつってよろめき、バタリ。

以来、大口は慎んでいる。

そもそも我々、団塊世代はボウリングブームまっただ中だった。
街中にはボウリング場が乱立していた。
最盛期には全国3600箇所、今じゃ1000に満たない。





肉体の衰えは待ったなし。

ハイアベレージ205の私が100超えやっと。
119と125がやっと。
途中、100を超えるか、ひやひやした。
わずか2ゲームだったが、プレー中も指先が疲れで震える体堕落。

情けなや、である。
思うに任せぬ友人らも、それぞれ首傾げっぱなし。

男はいつまでたっても少年。
負けず嫌いが、そこかしこで顔を出す。

久しぶりに違う筋肉を使って心地よし、である。











余命10年

2015-12-16 | 日記
生まれた時は余命80年。
女性なら、もう少しあるか。

66の今なら、さしづめ余命10年と言うところか。
もう少し生きるかもしれないが、健康で。と、ただし書きをつければそんなところ。

話始めると、必ず病の話、薬の話になる。
一番嫌いなことが、今では日常茶飯事になっている。

こないだ「歩くのが運動か?」と疑問を呈した。
このところ1週間、めたらやったら歩いた。
一日平均2万歩を超えた。

ベニスで夜中じゅうさ迷い歩いた3万歩超えはさすがになかったが、1週間で15万歩を超えた。

体重78キロからいま72キロ。
6キロ減量した。

別にダイエットなど意識はしていない。

戦友が一人ガンで亡くなった。
もう一人の戦友はガンと壮絶な戦いを挑んでいる。
彼は半年で10キロ減った。
病なら即刻ダイエット。

「声が出にくい」といいながら、酒を飲みかわした。
数日おいて病院に行くと、即刻のがん宣告。
それが今年の5月。
戦友は以来、一滴も飲んでいない。

人生は突然変わってしまう。

酒場で情報収集。
飲み代は嵩むが仕方ない。

「楽しんでるだけ」と理解できない人もいる。
違う。

どれだけの情報が酒場から持たされたか。

不規則で無茶な生活パターンが体をむしばむ。

「お互い、いろんなクスリ飲むなあ」
お互いの顔見合せ笑う。

齢重ねる、ということはこういうことか。

「ものが食えんから血糖値は下がってきた。もう使わなくてエエわ」
山のようなインシュリンの注射針。

私は糖尿だが、インシュリンを打ってはいない。

互いの糖尿病を嘆き、戦友はガンに負けじと奮闘する。
ある意味、強がるだけだが、気力が体を支える。

尿酸値が7.0から8.5に跳ね上がった。
その数値が悪いのか、そうではないのか。
跳ね上がったと記したのは、友人との会話の中てわかった。
「俺より悪いな」

病はどちらにしても「気」からであることは間違いない。

討ち入りの日

2015-12-14 | 日記
雪のはずがあったかーいんだから。
師走って、こんなに暖かかったか?

元禄年間、主君の仇討ちで吉良上野介邸に切り込んだ忠臣蔵。

数々の名場面は12月14日夜半の降り積もる白銀の世界。

隠密裏に全国から四十七士が集まる。
お江戸には白い雪がしんしんと積もる。
草鞋、地下足袋だからさぞや冷たかろう。

悔しさを爆発させ、仇を打つ。

何ともドラマがある。
歌舞伎、小説、映画。
日本人とは切っても切れない忠義、人情の忠臣蔵だ。

だが。美談仕立ての物語が就活としたら興醒め。




仇討ちは江戸の花。

成功すれば一躍ヒーロー。
就活も、勲章がつきやり易くなる。

美談に異義あり、と、唱えた学者がいる。
こんなひねくれ学者が好きだ。

結果はヒーローにはなったものの、切腹させられた。
就活ならぬ終活になる悲劇が待っていた。

ほんに浮き世はままならぬ。