自分が新たに監督する学校に赴任した学校に「青い目の人形」があった。
それもかつては自分が児童として通っていた学校である。
自分が児童として尋常小学校に通っていた頃に、まだ児童であった自分に当時の正しい世界情勢が把握できていなかったのはやむを得まい。
ただ、その学校の校長となり、当時ことを若き教師に語り継ぎ、ギューリック夫妻の願いはどんな状況下で大勢のアメリカ人の共感を巻き起こしたのかを、その生き証人とし、教育者として学んで教職現場の監督者の者として、正確に把握していなければならない。
なのに、昭和54年4月に白人小学校に着任した校長にはそのかけらもなかった。
教師である前に人としてギューリック夫妻の願いを人道的に理解できない愚か者であったのだ。
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