ある企業での会議の通訳に行ったのですが、参加者のお一人の日本語がとても分かりにくいのです。まず、発音が不明瞭で消え入るようなか細い声。そして語彙の選び方がなんだか不自然。通訳をしなくてはならないので一生懸命聴くのですが、あまりに分かりにくくて脳に負担がかかってるわ~と疲労感がたまってきました。そして、白状してしまいますが…その方自身に対しいらいらした気持ちになってきたのです(通訳者としてこんなことはいけないのはよく分かっています。滅多にないんですよ…)。
ふっと、最初にいただいた参加者の名刺をみるとその方は日本人ではなかったのです。
そのことが分かったとたん、いらいらした気持ちが消えてそんな風に感じた自分が恥ずかしくなりました。
これはどういう心理なのでしょうか。「これって、逆差別なのかしら?」と妙な罪悪感がでてきました。
そうではなくて、単に「この人にとって日本語は母国語ではないのだから不自然で分かりにくい話し方をして当然」と納得できただけなのでしょうか。
ず~と以前のことですが、テレビをつけると私の好みでは全くない、初めて見る男性歌手が歌っていました。なんだか暑苦しい外見だわ~と思ったのです。歌い終わって司会者と話をする場面になり、その人も日本人ではないということが分かりました。と、急に「暑苦しい外見だわ~」と思った自分がとってもいやな奴に思えてきたのです。
どちらの場合も、対象となる人そのものには何も変わりがないのに自分のその人に対する気持ちが一瞬で劇的に変わったそのことにとても戸惑いました。外国人であるというだけで、日本人に対する基準と別の基準を使っているのかなあ…と。
そういえば、日本人がしたら許せないことでも外国人だったら許せるっていうことが結構ある気がします。
ふっと、最初にいただいた参加者の名刺をみるとその方は日本人ではなかったのです。
そのことが分かったとたん、いらいらした気持ちが消えてそんな風に感じた自分が恥ずかしくなりました。
これはどういう心理なのでしょうか。「これって、逆差別なのかしら?」と妙な罪悪感がでてきました。
そうではなくて、単に「この人にとって日本語は母国語ではないのだから不自然で分かりにくい話し方をして当然」と納得できただけなのでしょうか。
ず~と以前のことですが、テレビをつけると私の好みでは全くない、初めて見る男性歌手が歌っていました。なんだか暑苦しい外見だわ~と思ったのです。歌い終わって司会者と話をする場面になり、その人も日本人ではないということが分かりました。と、急に「暑苦しい外見だわ~」と思った自分がとってもいやな奴に思えてきたのです。
どちらの場合も、対象となる人そのものには何も変わりがないのに自分のその人に対する気持ちが一瞬で劇的に変わったそのことにとても戸惑いました。外国人であるというだけで、日本人に対する基準と別の基準を使っているのかなあ…と。
そういえば、日本人がしたら許せないことでも外国人だったら許せるっていうことが結構ある気がします。