橋本真也と私

2005-07-25 17:29:06 | プロレス・格闘技
TVで故・橋本真也の追悼番組がやっていたので
ちょっと私事でぶっきらぼうになりますが
橋本真也の試合を振り返ってみます。
なお長文ですのであしからず。

最初の写真・ヤングライオン杯の試合は正直知りません。
この頃の前まではTV観戦だけしかしなかった上に
ちょうどこの頃はプロレスとは 疎遠になっていた時期でした。



三銃士結成の時の凱旋試合の時は一番忙しかったかな?
TVでも後で回顧録で観た程度です。



東京ドーム・初期の黄金?カード。
まだまだ超忙しかった時期でしたね。
これもTVで生観戦した記憶がありません。

でもVTRをみると橋本が膝を故障する前で
なおかつまだ体重が重量級に達していなかったから
スナップの効いた鋭いキックという印象を憶えます。



でました!T・ホーム戦!
この時大スランプで山ごもりからの復帰戦だったでしょうか。
これはTVで観た記憶があります。
結局このスランプから水面蹴りが生まれた訳ですね。



たしかムタからIWGPベルトを初奪取した試合。
多分両国だと思うけどあまり記憶がありませんね~

でもこれからミスターIWGPの歴史が始まるわけです。



これは対天龍戦、G1最終戦で特別試合が組まれて
三度目の正直で初勝利した試合でしたっけ。

この頃はもう本格的に生観戦していた時でしたから
両国国技館大盛り上がりだったですね。



これは憶えていないな~。でもこの頃は新日本は
毎年12月10日前後に大阪でシリーズを締めていたっけ。
この頃私はまだ遠征はしていませんでした。



新春・東京ドーム大会。もうこの頃はドームに
よく観に行くようになり始めた頃ですかね。

橋本が強かったという印象よりも蝶野はG1では強いけど
まだなんか華というかオーラがなかったな~という
イメージがありました。



これは日本武道館で当時のIWGPヘビー&jrヘビーの
チャンピオン同士の対決でした。
バトル・ライガー初?登場の時だったと思います。

正直会場は橋本より力強く動いていたライガーに対して大声援。
判官贔屓もありつつパワーで真っ向から対決していったライガーに
みんな魅了され、橋本が秒殺できなかった事もあり橋本が
ちょっとふがいなく見えてしまった試合でした。

しかしTV解説のマサ斉藤があんなに激怒して解説していたのが
また印象に残っているかな~



この福岡ドームの試合はある意味すごかった!
まあその前に藤波の橋本ふがいない発言に
破壊王が怒ってすごいやりとりがあった布石があり
確か名古屋か大阪の試合で半ばKO状態だった藤波が
スモールパッケージホールドで橋本に勝った試合があり
その時の橋本の激怒といったら凄かった事!

それを受けての福岡ドーム戦でしたからね。
ある意味小川戦の時の激怒より凄かったかも知れない・・・



パワーウォーリアー戦。ごめんなさい、正直全然記憶なし。
そういえばこの頃健介はパワーウォーリアーに
変身していたんだな~と思い出したくらい。



長州戦、日本武道館。初めてかどうかわかりませんが
長州に対してリキラリアートを受けきっての力で叩きつぶした
という印象のある試合でした。
特にG1初年度の時の橋本vs長州戦を観ていないから
なおさらそう思っちゃいます。



福岡ドーム、対武藤戦。大不振で長期欠場していた武藤が
一発でIWGPを奪取した試合。
これは会場で観ていて大熱狂しましたね。
正直橋本が勝ち続けていたので黒星をつけた試合でしたし
これから武藤の時代が始まったっていう試合でした。

この時は確か福岡どんたくツアー用の夜行高速バスで
福岡ドームまで遠征したっけ。仕事以外での自腹の旅行は
これが一番の長距離だったと思います。



これはUWF対抗戦東京ドーム第3弾でした。
最初武藤が勝って翌年の1/4で今度は高田がIWGPを奪取し
最後の砦と言われた橋本真也が一発でベルトを取り返して
新日が踏みとどまった試合でしたね。

この頃はまだ新日本が輝いていた時代でもありました。



97年の新春ドームでの長州戦。
そろそろ長州が引退を考え始めた頃の試合だったかな?



そしてこの小川戦が新日本プロレスの歯車が
すこしぐらつき始めた頃は・・・

とにもかくにも新日が揺れた試合でしたね。



それを受けて即再戦を熱望した橋本真也。
確か大阪ドームでの試合だったと思います。

観に行きましたよ~!どういう形であれ最後後ろからのキックで
戦意喪失?のTKO勝ちをした橋本真也と会場は
大熱狂したいましたね!

あの時勝ち逃げしていたら橋本真也の人生も
変わっていたかも知れません・・・



G1初戴冠した時の決勝戦、対山崎戦です。
この時も会場の空気は橋本初優勝よりも
山崎が勝ち上がっていった姿に大声援をしていたのを
すごく憶えています。
あの頃から山ちゃんは身体煩っていたんだっけな~
肺がやられなかったらまだまだ引退なんかする人では
ありませんでした。
いまやTV解説と治療院の主というイメージしか
現役を知らない人はそうみてしまうでしょう。



3回目の対小川戦。小川が肉体改造をして
柔道時代のあんこ型体型から格闘技用パーカーサーモード
になって登場した試合でした。

この試合で完璧に新日の歯車は変わり始めましたね。
それに無効試合という裁定がさらに輪をかけて
新日の威信をおとし始めた感じでした。



多分?この後タッグ試合かなんかで対小川戦がありましたが
この時も正直情けない試合でした。
試合は新日が勝ちましたが正直この頃から飯塚は嫌いになりましたね。

そしてシングル4戦目。これでリベンジのはずが
徹底的なボロ負け!しかしそれ以上に特別メインレフリーの
藤波が正直情けなさ過ぎた!
橋本の惨敗よりも藤波の決断力のなさにあきれかえってしまい
試合自体も面白くなくなってしまいましたね。

あの時大顰蹙買いながらも猪木が入って試合を止めなかったら
グタグタしたまま試合をズルズル引きずって
橋本真也の価値をもっと下げたいたと思いますよ。

もうこの去年あたりから私は冷めた目でドーム観戦をしていた
ような気がします。
新日レスラーというより新日フロント・首脳陣のいやらしさと
情けなさが嫌になっていたと思いますね。



そして今度負けたら即引退SPで橋本真也が進退をかけた試合。

もうこの頃は視聴率の為の特番に利用されているんじゃないかと
逆に試合前から橋本に対して同情すら感じながらも
実際会場では橋本ガンバレー!って声援していた自分がいました。

でも結果はKO負け!あの時のため息もブーイングもでない
し~~~~んとした会場の雰囲気は今でも忘れられません。



それでも皮肉な事にファンの復帰嘆願とTV局の企画もあって
橋本真也は復帰しました。

正直いって試合自体はなんか私怨によるガチンコみたいな
凡戦であっさりと終わったっていう感じでしたが
それよりも復帰嘆願の千羽鶴の番組企画の方が
私の中では凄く印象に残っています。

単発ながらもゴールデンタイムでプロレス番組が
盛り上がったのはこれで最後だったと記憶しております。

この後私が生観戦した橋本戦というと
ゼロワン旗揚げ時の橋本・永田vs三沢・秋山戦が
多分最後だったと思います。

ノアや全日に絡んでいた頃の試合はTVでしか観ていないので
仕事が忙しかったとはいえもうちょっと会場に足を運べば
良かったなと今にしてみれば思います。

今度の橋本真也の合同葬が行われる7/30は
力道山が日本プロレス協会を設立した日だそうで
なぜかそれを記念して?プロレスの日と言われているそうです。

由来はともかくプロレスの日に橋本ファンに対する合同葬が
行われるのはなんかプロレスとの縁を感じてしまいます。

それにしてもこう振り返ってみるとやはりつくづく
もったいない!という気持ちで一杯になります・・・

これでも追悼になるのかな~

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2 コメント

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Unknown ()
2005-07-25 21:45:09
見させていただきました。

十分追悼になっていると思います。
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う~ん (JAI-YA)
2005-07-25 21:51:23
すみません。私事を評価?していただいて。



追悼になっているかどうかはわかりませんが

自分の観てきた印象をつたないですが書いたまでです。



どちらにしても1990年代を支えたプロレスラーのひとりには間違いないでしょう。



惜しい方を亡くしました。
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