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『ピンぼけの家族』を観て思う

2020年03月07日 06時59分11秒 | 柴犬ハチのひとり言

3月4日NHK BSプレミアムで放送された『ピンぼけの家族』録画をみる。

ドラマの舞台は、フィルムカメラ全盛時代「ヤシカ」の生産地で、「東洋のスイス」と呼ばれた長野県諏訪地域。そこで働いていた同世代高齢者のカメラに纏わる思い出なども再現され興味深い。17歳から58年もの間、カメラを一番の趣味としてきた自分をフラッシュさせてみる。

ドラマはカメラが好きだった亡き祖母の写真を探す青年が、地元商店街をはじめ様々な人々と出会い、知らない町の表情にふれていく姿を描くオリジナルストーリー。

青年がおばあちゃんの写真があまりにも少ないことから、おばあちゃんが写っている写真探しが始まる。ドラマの説明は省略するが、カメラ好きのおばあちゃんが自分とダブって見えていろいろ思うことがあった。

私の生涯の趣味がカメラという点でこのおばあちゃんと同じ、フィルムカメラの時代の話である。家族や人の写真をたくさん撮って来た私も自分の写真が少ないことに気付く。

人物写真としては、家族は勿論アマチュアモデルの撮影から、職場や学校の仲間の集合写真やスナップ、結婚式の写真もたくさん撮った。出来た写真は差し上げるばかりで自分の写真は少ない。

昭和19年生まれで染色工場の息子5人の四男坊の私は、幼稚園にも行っていないし、親兄弟でカメラを持っているのは居なかったから、中学までの写真は卒業アルバムしかない。いや数枚あったかもしれないが記憶にない。

高校生になってアルバイトで貯めたお金で初めて35㍉のカメラを買ってから、風景や家族写真などを撮り始めた。勿論モノクロの時代である。カメラのメーカーは「ヤシカ」だった。

フィルムカメラ時代が長く、所謂バカチョンカメラも含めて、ヤシカ、ニコン、アサヒペンタックス、キャノン、ミノルタ、オリンパス、コンタックスなど集めて、ボディだけでもMAX27台になった。処分したりして今はその半分程度しかないが、デジカメ・スマホ全盛時代の今、フィルムカメラは骨董品になってしまった。

アルバムの写真も整理して簡易なフォトブックに分類して残してあるが、このドラマの青年のようにおじいちゃん(私のこと)の写真に孫がどこまで興味を示してくれるかわからない。私が亡くなったあと、撮り溜めた写真を多分見ることはあるまい。

しかし、毎年2回程度息子たち家族が我が家に集まり、家族写真を撮ってその場でプリントして渡しているので、じいちゃんばあちゃんの写真はそれなりにいつでも見られる状態にはなっていると思う。

おじいちゃんがカメラ好きなことは家族の誰もがよく知っているし、仏像写真家として大きな写真展を2度開催して見ているので、家族の誰もが記憶の中に留めてくれると信じている。

他人様には烏滸がましいが、写真集も数冊作っており、NHKテレビ「にっぽん心の仏像100選」に採り上げられ本にも載せていただいてるし、仏像写真家として、朝日・読売・神奈川・中日・静岡の新聞各紙や、地元タウン紙・郷里の月刊誌にも掲載されてメディアの記録が残っている。

また、父子家庭20年間の記録の一部として、二人の息子の少年サッカーの写真が多く残っている。元全日本代表の武田修宏君と同じチームにいたおかげで、関東や関西からも招待を受けて遠征した試合の写真などたくさんある。それらは息子が要るか要らないか決めればいいし、親としては仏像写真と家族写真だけ残せればいいと考えている。

 


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