道の駅・伊万里の朝
佐賀県は民放が1局だけということに気付いた。そういえば昨日までは佐賀県でも隣接する県との境に近かったから他県の電波が入っていたんだ。
福岡市の人口は単独で152万人、対して佐賀は県全体で82万人。仕方がないのかな。
まず最初に訪れたのは伊万里・大川内山。
焼物が盛んな伊万里地方において、ここ大川内山は佐賀藩直轄の御用窯(鍋島窯)が一箇所に集まっていた。
まずは伊万里・有田焼伝統産業会館を訪問。
江戸時代、鍋島窯で焼かれる焼物「鍋島」は、藩主が個人的に使う器のほか、天皇、将軍家や各地の大名、公家などへの献上用のみに焼かれた最高級品だったそうだ。
器の柄、滑らかさなど、素人の僕にも何となく凄さがわかる。
季節柄、ここにも雛祭りイメージの展示がなされており、華やか!
大川内山の街並みを楽しむ。
もともとは秀吉の朝鮮出兵の際に、鍋島の家臣が連れ帰った職人が「鍋島」の源流になる。
廃藩置県で藩自体が無くなり鍋島窯も一時廃止されたが、のちに製法を受け継いだのが伊万里焼だ。
詳しくはわからないが、伊万里焼は色の付け方などでいくつかに分類されるらしい。
でもこうしてごっちゃに並んでても華やか!
今日わかったことだが、この辺り一帯の焼物は「有田焼」で、その品質に目を付けた東インド会社がわざわざ買い付けに訪れ、伊万里港から輸出されたから別名「伊万里焼」ともいうそうだ。
高台から町を見る。屋根瓦にも統一感があり、下手な街並み保存地区よりイケてる。
カフェを併設する工房でコーヒーを頂く。
コーヒーカップも小皿も自分でチョイスできる。ちなみに小皿は持ち帰り可。やた!
多くの窯がある大川内山。高級磁器の町というと尻込みしがちだが、見所が沢山で陶器を買う目的じゃない僕達も楽しめた。
また、例えばこれは公衆トイレの壁面に伊万里焼が嵌め込まれているが、町内の窯が町作り用にボランティアで焼いているのだろう。町をゆっくり観てもらおうと協力している感じがよくわかり、とても良い印象で町をあとにした。
行程の関係で午前11時に入浴!
武雄市の山間部にある天童の湯。湯船一つだけだが泉質も熱さも、さらに湯船の深さ(これ意外に大事)も最高だった。400円なり。
この辺りの人は、とても人懐こい。温泉でも更衣室でも話しかけられた。それも3人のおっちゃんが界隈の名所を教えてくれるんだけど、同時に話すし訛りもあるので、ほぼ内容がわからず・・・。
次に訪れたのは、これまた磁器の町・有田内山だ。
有田内山も佐賀藩の直轄、磁器生産の中心地だ。
こういう高級磁器もあるが、
ラーメン丼とかも沢山あって、鍋島窯の大川内山より庶民的かもしれない。
江戸末期の大火で町が焼けてしまい、以来蔵造りの建物が増えたようだ。
他の建物とはちょっと趣の違う洋館は、海外から磁器を買い付けに来た外国商人の接待用に使われたようだ。有田異人館と呼ばれてる。
これはトンバイ塀。耐火レンガの余りとか割れた焼物を材料として組み込んでいる。情緒あるよね!
伊万里、有田界隈の焼物は「磁器」だ。
土をこねて作る素朴な味わいの焼物は陶器、唐津焼や萩焼がそうだ。
一方、ケイ素の多い石を砕いた砂を混ぜた土から作る、ガラスみたいにつるんとした焼物が磁器だ。
町なかのお寺にこんな石碑。「陶器祈願所」
今のように温度計などない時代、最終工程で窯入れしたあと無事に出来上がるかどうかは神頼みだったそうだ。失敗が3回続くと破産、廃業を余儀なくされたという。
だから職人達は必死で仕事したあと、真剣に神仏を拝んだ。
有田焼の陶祖・李参平をお祀りしたその名も「陶山神社」も、地元の職人達の心の拠り所になってきたようだ。
職人の町は信仰の形も独特なんだなぁ。
今日3箇所目の訪問地は嬉野市にある塩田津だ。
塩田津はもともと有明海に注ぐ塩田川沿いにあった川港の町だ。
少し内陸部にあるのだが、有明海の干満差を利用して荷物を満載した船が遡上してきた。
何を満載して来るのかというと、天草地方で採れる良質の陶石だ。
陶石はケイ素を豊富に含んでいる。
これを水車小屋で粉にしたものが陸路で焼物の大生産地・有田に送られ、磁器の原料になったのだ。
陶石を降ろしてカラになった船には、有田の磁器などを満載して日本各地に送り出された。
それらの取引には廻船問屋が活躍し、巨万の富を築いたという。
一軒の商家を見学させて頂いたが、ホントに豪壮!
豪壮でありながら欄間とか
天井板など微に入り細に入り細工を施しており、本物の金持ちのカネの使い方を知る。
午後3時半には塩田津のメインストリートはご覧の通り、閑散としていた。
ただ僕はこの町、これから良くなると思う。町のサイズがコンパクトだし、駐車場もあってカフェとか食事処もあり、何より塩田津はこういう町だ!というストーリーがきちんとあるからだ。
一方で年配の住民には、あまり町が賑やかになって欲しくないという意見もあるようで、塩田津を振興したい人達としては悩ましいところだろう。
今宵は鹿島市にある道の駅・鹿島で車中泊。お世話になります!
この道の駅、有明海に面している。ちょうど干潮の時間で、広い広い干潟が一望できた。
夏は目の前でムツゴロウが跳ねているそうだ。
沖に刺さった無数の棒は、海苔養殖用らしい。
今日は焼物に関係する3つの町を訪問した。とても疲れたが、自分の知らなかったことが知れるのは何とも言えぬ充実感がある。
お休みなさい!
佐賀県は民放が1局だけということに気付いた。そういえば昨日までは佐賀県でも隣接する県との境に近かったから他県の電波が入っていたんだ。
福岡市の人口は単独で152万人、対して佐賀は県全体で82万人。仕方がないのかな。
まず最初に訪れたのは伊万里・大川内山。
焼物が盛んな伊万里地方において、ここ大川内山は佐賀藩直轄の御用窯(鍋島窯)が一箇所に集まっていた。
まずは伊万里・有田焼伝統産業会館を訪問。
江戸時代、鍋島窯で焼かれる焼物「鍋島」は、藩主が個人的に使う器のほか、天皇、将軍家や各地の大名、公家などへの献上用のみに焼かれた最高級品だったそうだ。
器の柄、滑らかさなど、素人の僕にも何となく凄さがわかる。
季節柄、ここにも雛祭りイメージの展示がなされており、華やか!
大川内山の街並みを楽しむ。
もともとは秀吉の朝鮮出兵の際に、鍋島の家臣が連れ帰った職人が「鍋島」の源流になる。
廃藩置県で藩自体が無くなり鍋島窯も一時廃止されたが、のちに製法を受け継いだのが伊万里焼だ。
詳しくはわからないが、伊万里焼は色の付け方などでいくつかに分類されるらしい。
でもこうしてごっちゃに並んでても華やか!
今日わかったことだが、この辺り一帯の焼物は「有田焼」で、その品質に目を付けた東インド会社がわざわざ買い付けに訪れ、伊万里港から輸出されたから別名「伊万里焼」ともいうそうだ。
高台から町を見る。屋根瓦にも統一感があり、下手な街並み保存地区よりイケてる。
カフェを併設する工房でコーヒーを頂く。
コーヒーカップも小皿も自分でチョイスできる。ちなみに小皿は持ち帰り可。やた!
多くの窯がある大川内山。高級磁器の町というと尻込みしがちだが、見所が沢山で陶器を買う目的じゃない僕達も楽しめた。
また、例えばこれは公衆トイレの壁面に伊万里焼が嵌め込まれているが、町内の窯が町作り用にボランティアで焼いているのだろう。町をゆっくり観てもらおうと協力している感じがよくわかり、とても良い印象で町をあとにした。
行程の関係で午前11時に入浴!
武雄市の山間部にある天童の湯。湯船一つだけだが泉質も熱さも、さらに湯船の深さ(これ意外に大事)も最高だった。400円なり。
この辺りの人は、とても人懐こい。温泉でも更衣室でも話しかけられた。それも3人のおっちゃんが界隈の名所を教えてくれるんだけど、同時に話すし訛りもあるので、ほぼ内容がわからず・・・。
次に訪れたのは、これまた磁器の町・有田内山だ。
有田内山も佐賀藩の直轄、磁器生産の中心地だ。
こういう高級磁器もあるが、
ラーメン丼とかも沢山あって、鍋島窯の大川内山より庶民的かもしれない。
江戸末期の大火で町が焼けてしまい、以来蔵造りの建物が増えたようだ。
他の建物とはちょっと趣の違う洋館は、海外から磁器を買い付けに来た外国商人の接待用に使われたようだ。有田異人館と呼ばれてる。
これはトンバイ塀。耐火レンガの余りとか割れた焼物を材料として組み込んでいる。情緒あるよね!
伊万里、有田界隈の焼物は「磁器」だ。
土をこねて作る素朴な味わいの焼物は陶器、唐津焼や萩焼がそうだ。
一方、ケイ素の多い石を砕いた砂を混ぜた土から作る、ガラスみたいにつるんとした焼物が磁器だ。
町なかのお寺にこんな石碑。「陶器祈願所」
今のように温度計などない時代、最終工程で窯入れしたあと無事に出来上がるかどうかは神頼みだったそうだ。失敗が3回続くと破産、廃業を余儀なくされたという。
だから職人達は必死で仕事したあと、真剣に神仏を拝んだ。
有田焼の陶祖・李参平をお祀りしたその名も「陶山神社」も、地元の職人達の心の拠り所になってきたようだ。
職人の町は信仰の形も独特なんだなぁ。
今日3箇所目の訪問地は嬉野市にある塩田津だ。
塩田津はもともと有明海に注ぐ塩田川沿いにあった川港の町だ。
少し内陸部にあるのだが、有明海の干満差を利用して荷物を満載した船が遡上してきた。
何を満載して来るのかというと、天草地方で採れる良質の陶石だ。
陶石はケイ素を豊富に含んでいる。
これを水車小屋で粉にしたものが陸路で焼物の大生産地・有田に送られ、磁器の原料になったのだ。
陶石を降ろしてカラになった船には、有田の磁器などを満載して日本各地に送り出された。
それらの取引には廻船問屋が活躍し、巨万の富を築いたという。
一軒の商家を見学させて頂いたが、ホントに豪壮!
豪壮でありながら欄間とか
天井板など微に入り細に入り細工を施しており、本物の金持ちのカネの使い方を知る。
午後3時半には塩田津のメインストリートはご覧の通り、閑散としていた。
ただ僕はこの町、これから良くなると思う。町のサイズがコンパクトだし、駐車場もあってカフェとか食事処もあり、何より塩田津はこういう町だ!というストーリーがきちんとあるからだ。
一方で年配の住民には、あまり町が賑やかになって欲しくないという意見もあるようで、塩田津を振興したい人達としては悩ましいところだろう。
今宵は鹿島市にある道の駅・鹿島で車中泊。お世話になります!
この道の駅、有明海に面している。ちょうど干潮の時間で、広い広い干潟が一望できた。
夏は目の前でムツゴロウが跳ねているそうだ。
沖に刺さった無数の棒は、海苔養殖用らしい。
今日は焼物に関係する3つの町を訪問した。とても疲れたが、自分の知らなかったことが知れるのは何とも言えぬ充実感がある。
お休みなさい!