然るに - However -

加藤和彦が亡くなってから心身ともに調子が悪い。
2016年初頭、デヴィッド・ボウイ逝去、希死念慮の増悪。

MOODOOISM - An Eclectic Collection of Works by Kaoru Sato

2011-05-19 06:21:17 | 「ツイッターのまとめ」以外

邦題『佐藤薫プロデュース作品集』(http://goo.gl/uFvFZ)。

*

"EP-4の佐藤薫が70年代後半から90年代初頭に残したプロデュース作品、
コラボレーション、ソロ・ワークスなど貴重な音源を一挙CD化!
新たに発掘された完全未発表音源、未発表ヴァージョンを含む
全26組42曲(予定)を佐藤薫自らの選曲で3CDにまとめたファン垂涎の
編集盤が登場。音楽活動家・佐藤薫の神髄がここにある。"

*

このCDは、発売を知ると同時に「ディスクユニオン」にネットで予約していたので、
発売日より1日早い、5月17日に拙宅に届いた。

内容の詳細については、「表象」の学者である野々村文宏氏、
東京生まれ京都育ちの音楽評論家、岡村詩野氏、
佐藤薫本人による『仮の名はMOODOOISM(英訳文あり)』、
小暮秀夫氏による資料およびアーティストたちへの取材文
(何と膨大な作業であっただろうか!)、
さらには、3.11の日に R.Occam氏のペンにより物された
"Fickle Claw Marks" という題名の英文解説と、
それぞれ読み応えのある文章がブックレットに収められているので、
これらをじっくりと読むのがよい。

*

ここでは私の、この3枚組を聴いた後の感想めいたことを、
徒然なるままに記してみたい。


これら3枚のディスクには、"spells", "celebration", "showa" と
副題が付されている。「呪い」「祝い」「昭和」の意であろうか……。
否、これは意味を探るというより、語に接した時の "感触" を楽しむべき
編纂者・佐藤薫の或る種の "もてなし" であるに違いない。

マスター音源は、カセットテープ、7", 12" シングル、12" アルバム、
そしてCD。
これらは、私にとっては未聴のトラックがほとんどであった。

或るトラックは、テープヒス、トレースノイズから始まる。
"良質な" 圧縮音源(笑)等に耳慣れている人びとには厄介な物なのかも
知れないが、"昭和" 生まれの私たちの耳には、実にノスタルジアを喚起させる
「音」そのものであり、ノイズの部分から既に作品の時間は開始しているのだ。


私は、このCDをこれまでに3度聴いた。
そして、聴くたびに佐藤薫の "テリトリー=結界" の広さ/高さに驚かされる
(これらの言葉は正確ではないのかも知れない。
それは、極限にまで狭められ・縮められた結界をもまた張り巡らせているからだ)。

これらの妖かしをも操る結界師、佐藤薫。

例えば、何ものにも属そうとしない、時間を前方へと進める契機としての「音」。

例えば "ジャンル" という、音楽業界が買い手への親切のつもりで付したのであろう
余計な文句からは、完全に解き放たれた「音」の群れ。

例えば "心地のよい、無視可能な雑音" としての音楽から遠く離れた、
その存在を誇らしげにかざすテリブルなノイズの群れ。

そして彼の真骨頂である、リズム、グルーヴへの拘りを強く感じさせる
ダンス・ミュージック。


かつて誰か(作家だったか……)が言った。
「音楽は、ジャンルではなくレベルである」と。

その意味では、制作後30年を超えるトラックが、今なお新奇さを保ちつつ、
高いレベルに位置し姿勢を保ったまま "眠って" いたという事実に、 私は魅了される。

「新奇さだけが、人を凌駕する」と言った者もいた。

私たち '80年代に "青春" を始めた者たちにとって、
佐藤薫を、EP-4を、リアルタイムで体験し凌駕され、
踊らされ続けてきた者たちにとって、
このコムピレーションは「時限爆弾」とも言うべきものだ。

この時限爆弾の発動を予告して、彼はこう言った。
「都市を解き放て」と。


このことばは、老若男女を問わず "アフター3.11" を生きざるを得ない者たち、
すべてに対して向けられているかのようであり空恐ろしくもある。


一方で、佐藤薫は『仮の名はMOODOOISM』で(ネタバレになるが)、
こうも記している。

"MOODOOISMの各トラックは自立した意味をもたない。
同時に、MOODOOISMとはそれぞれの統合でもない。
それは、それら自身を契機とした幻聴でもあり、
亡者の告白として記録された数値(digit)でしかない。
従って、やはり、またしても、 その名は仮の名前なのだ。"

*

私のこの文章は、単なる序章に過ぎない。
収録された各々の作品についても、記してみたいことがたくさんある。

―だが、今回は、これに留めることにする。

*

4月のとある日、東銀座の瀟洒なカフェで、私は佐藤薫と会った。
長年抱いていた問いの幾つかについて訊ねてみると、
彼は澱むことなくブレもせず、すらすらとそれらの問いに答えてくれた。

―この時のことも、またいつか記そう。


コメントを投稿