一回目の葬儀屋をやめ、別の葬儀屋に紹介で入りました。
しかしそこも複雑な所でした。
社長のムスコがとてもクセのある人で、今でいうパワハラを平気で行う人でした。
でもパワハラて自分に自信の無い人が行っていますよね??
パワハラを行う事が、自分が上司である事を確認する手段だったのではと思います。あいにくこの時代にパワハラ等という言葉はなかったのです。
この葬儀屋にいたのは約9年、私も最初の2年は本当に悩みましたが、後は適当に流す事でなんとかすることができました。
他の先輩の方達は信頼できる人達だったのが続けられる力だったのもあります。しかし私のいる間に3名の人がこの上司のパワハラで辞めていきました。最後に辞めた後輩はこの上司と社員旅行の帰りに殴られていました。たしかに顔が、腫れ上がっていました。その後輩は警察に被害届けを出したそうですが、示談したらしく上司はそのままでした。私はそんな上司にはついていけないのと、辞める一年前位から当時結婚していた妻に会社辞めたいと、伝えていました。理由は私の親が亡くなっても泣ける気がしなかったからです。葬儀に慣れてすぎていました。
妻に葬儀屋辞めて沖縄(何故沖縄なのかは別の機会に)をツーリングさせてくれと話はしていましたし、もう上司による暴力事件にはウンザリでした。私も酔った上司に何度か平手打ちを喰らわされた事があったからです。
後輩への暴力事件の3ヶ月後、その葬儀屋を辞めました。
そして沖縄へ3週間ツーリングしました。(この間の話も別の機会に)
沖縄のツーリングは最高の思い出となりました。
私は沖縄から帰ると2週間程寝込んでしまいました。喉が痛くて熱が出てしまってらいました。
この時くらいから妻の態度がおかしくなりました。寝込んでいると、仕事から帰ってきた妻が一言、
「まだ就職活動せんの?」
あれ?なんか厳しくないですか?身体大丈夫?とかてわはないのですか?
この時私は本当に何も知らないバカでした。
妻の気持ちはもう私には無かったのです。でもこの時点で私は気付きませんでした。(元妻との話も別の機会にでも)
やっと体が回復すると、ハロワに行き就職活動をしました。
この時5社位受けたのですが、一社目は何故か面接中にちょっと用事あるから後日連絡するから帰ってと言われました。意味がわかりませんでしたし、連絡くることもありませんでしたが、私なんぞ面接するに値しないと言うことだったようです。他は二つの会社落とされ、2つは受かったのですが、そのうちの一つは面接官が嫌だったので受かったのですが、辞退しました。再就職するにあたりやはりスキルがない私は厳しいと本当に思いました。
そう思いながらも、就職受かったのが今回倒産した会社だったのです。
ちなみに再就職後1年で妻とは離婚しました。
大学でも何も考えず趣味ばかりして、就職しても本も読まずバイクでツーリングばかりして、将来自分がどうあるべきかなど考えず、自分磨きというものを疎かにした結果が今回なら倒産という結果に繋がったのだと思います。
もうちょっと未来を考えていたらと思うと・・・。後悔しかありません。
本当にもっと勉強しとくべきだったと。
しかし今回は3度目の離職とは訳が違います。私は1月12日から1月23日にまで朝昼、そして子供がら寝静まった夜中に起きてひたすら勉強しました。
少し自信はつきました。
※次回はちゃんと倒産後のお話です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます