その想い出を大切にしたかったのか頑なに拘ったのであろう。
でも、それも、この旅で終わりかと思うと一抹の寂しさは拭い切れない。
そうこうしているうちに、北陸新幹線は当然在来線より速く列車は長野駅に滑りこんだ。
小さな車輪の付いたキャリバッグを引きひき長野駅のホームに降り立った。
年に一度、美子の命日に墓参に信州の星野温泉に訪れて四十五年が過ぎた。
JRの改札口を出ると、長野電鉄に向かって杖を支えにゆっくりと階段降りて行った。
長電の愛称で親しまれているこの車両は一両で運行され車掌はいない。
ドアの開閉は手動だ。 油断すると大変なことになる。 素朴なのは車両だけでなく、遠くに山の稜線を望み、線路の脇には千曲川が流れどこまでも長閑だ。
駅に着くと手動のドアボタンを押した。 ドアが開き、杖の先端をまず駅のホームに降ろし次にゆっくりと両脚をホームにつけ、キャリバックを引き寄せた。 そして、見慣れたホームから山間の村落を背筋を伸ばし一望した。
今日が最後かと思うと何かが違うように見えるから不思議だ。
これと言った四十五年間、景観は変わっていない。 ホームに表示されている「星野温泉」の駅名を正すかのように一瞥し改札口を出た。
山肌に織りなす晩秋の彩の美しさは何とも言えない。 樹々の梢越しに木漏れる陽射しは弱いものの自然の風情が漂う。
いつ来ても好きだ。
懐かしみ、惜しむかのようにゆっくりと踏みしめて歩き小高い丘の上に辿りついた.
大きな墓所の隅に遠慮がちに小さな墓石があった、 美子の墓である。 持ってきた供花を供え、ローソクを灯し、線香に火を灯した。
「美子さん もう来られない。 今日が最後だ」
と言うと、暫し手を合わせた。
あたかも、それに答えるかのように爽やかな風が頬を撫ぜた。
美子とは若い頃会社で知り会った。 仕事先から戻り受付の前を通り抜けると呼び止められた。
「こんど受付のバイトをしていただける美子さんです。 素敵な人でしょう
」
と、先輩の女性から紹介を受けた。
美子は長野から単身、劇団で演劇を学んでいた。
だが、4年を経過した頃、頸部に小さな肉腫が見つかり無理を避けて退団して療養していると言う。
劇団員らしく背が高く素敵に見えた。
仕事柄、映画の切符が手に容易に入っていた。 内線電話で「映画に行きませんか」と誘ってみた。 「観たかった映画です」と喜んでくれた。 映画鑑賞後、「ピッツアはお好きですか。 丸でなく、四角いピッツアですが・・」「え~四角い ピッツアですか・・面白い」と眼を輝かしてくれた。 手を高く上げてタクシーを止めて「六本木交差点・・・」と行き先を告げた。 この店は交差点の角の地下にある個性的なショップで、知る人ぞ知る店だった。 こうして、お付き合いが始まった。
その後、受付にも病欠が多くなり、仕事の忙しさもあり逢う機会がなかった。 病状も進行し養生のため実家に戻ると告げられ突然に消えた。
それから月一回の遠距離恋愛が続いた
。
美子の案内で志賀高原を身体に無理をしない範囲で隈なくふたりして歩いた。
山路沿いから対岸を望めるみすまと呼ぶ三角池、そこを抜けると大きな岩石のある木戸池の草原に到達する。 蓮池の畔にある山の唯一の素朴な郵便局・・。 リフトで更に山頂へ。 ボートを浮かべて遊んだ丸池、静かな佇まいの琵琶池・・・。 三角池から屏風岩を抜けて丸池に、卓球をして遊んだ志賀高原ホテルなど二人の想い出は消えない。
それから数年後、病魔に勝てず美子は寒い晩秋の未明、家族に見守られながら短い人生に幕を下ろした。
青年は毎年命日に墓参りを続けてきた。
年に一度、墓参りの定宿にしていた湯田中温泉の古い佇まいの旅館の廊下から遠くに白根山の初冠雪らしき白いものが望めた気がした。
晩秋とは言え早すぎる気がすると思った。
ここも最後か・・・。とふと、口から漏れた。
帰りは急ぐ旅でもないので、信越本線で碓氷峠越えで帰ろう。
長野駅の構内で懐かしい美子とふたりして頬ばった想い出の染み込んだ「おやき」を昼飯に買い求めた。 美子の分も・・。
駅構内の時刻表の案内板を頼りに信越本線のホームに向かった。
もう、ここに戻ることはない。 ホームにはすでに列車が入腺していた。
遠望する山並みの晩秋の彩の深さは眼に沁みるようだ。 もう、戻らないと別れを告げた。
終わり
「前作品も含め、お批判をコメント欄に頂ければ幸いです。
でも、それも、この旅で終わりかと思うと一抹の寂しさは拭い切れない。
そうこうしているうちに、北陸新幹線は当然在来線より速く列車は長野駅に滑りこんだ。
小さな車輪の付いたキャリバッグを引きひき長野駅のホームに降り立った。
年に一度、美子の命日に墓参に信州の星野温泉に訪れて四十五年が過ぎた。
JRの改札口を出ると、長野電鉄に向かって杖を支えにゆっくりと階段降りて行った。
長電の愛称で親しまれているこの車両は一両で運行され車掌はいない。
ドアの開閉は手動だ。 油断すると大変なことになる。 素朴なのは車両だけでなく、遠くに山の稜線を望み、線路の脇には千曲川が流れどこまでも長閑だ。
駅に着くと手動のドアボタンを押した。 ドアが開き、杖の先端をまず駅のホームに降ろし次にゆっくりと両脚をホームにつけ、キャリバックを引き寄せた。 そして、見慣れたホームから山間の村落を背筋を伸ばし一望した。
今日が最後かと思うと何かが違うように見えるから不思議だ。
これと言った四十五年間、景観は変わっていない。 ホームに表示されている「星野温泉」の駅名を正すかのように一瞥し改札口を出た。
山肌に織りなす晩秋の彩の美しさは何とも言えない。 樹々の梢越しに木漏れる陽射しは弱いものの自然の風情が漂う。
いつ来ても好きだ。
懐かしみ、惜しむかのようにゆっくりと踏みしめて歩き小高い丘の上に辿りついた.
大きな墓所の隅に遠慮がちに小さな墓石があった、 美子の墓である。 持ってきた供花を供え、ローソクを灯し、線香に火を灯した。
「美子さん もう来られない。 今日が最後だ」
と言うと、暫し手を合わせた。
あたかも、それに答えるかのように爽やかな風が頬を撫ぜた。
美子とは若い頃会社で知り会った。 仕事先から戻り受付の前を通り抜けると呼び止められた。
「こんど受付のバイトをしていただける美子さんです。 素敵な人でしょう
」
と、先輩の女性から紹介を受けた。
美子は長野から単身、劇団で演劇を学んでいた。
だが、4年を経過した頃、頸部に小さな肉腫が見つかり無理を避けて退団して療養していると言う。
劇団員らしく背が高く素敵に見えた。
仕事柄、映画の切符が手に容易に入っていた。 内線電話で「映画に行きませんか」と誘ってみた。 「観たかった映画です」と喜んでくれた。 映画鑑賞後、「ピッツアはお好きですか。 丸でなく、四角いピッツアですが・・」「え~四角い ピッツアですか・・面白い」と眼を輝かしてくれた。 手を高く上げてタクシーを止めて「六本木交差点・・・」と行き先を告げた。 この店は交差点の角の地下にある個性的なショップで、知る人ぞ知る店だった。 こうして、お付き合いが始まった。
その後、受付にも病欠が多くなり、仕事の忙しさもあり逢う機会がなかった。 病状も進行し養生のため実家に戻ると告げられ突然に消えた。
それから月一回の遠距離恋愛が続いた
。
美子の案内で志賀高原を身体に無理をしない範囲で隈なくふたりして歩いた。
山路沿いから対岸を望めるみすまと呼ぶ三角池、そこを抜けると大きな岩石のある木戸池の草原に到達する。 蓮池の畔にある山の唯一の素朴な郵便局・・。 リフトで更に山頂へ。 ボートを浮かべて遊んだ丸池、静かな佇まいの琵琶池・・・。 三角池から屏風岩を抜けて丸池に、卓球をして遊んだ志賀高原ホテルなど二人の想い出は消えない。
それから数年後、病魔に勝てず美子は寒い晩秋の未明、家族に見守られながら短い人生に幕を下ろした。
青年は毎年命日に墓参りを続けてきた。
年に一度、墓参りの定宿にしていた湯田中温泉の古い佇まいの旅館の廊下から遠くに白根山の初冠雪らしき白いものが望めた気がした。
晩秋とは言え早すぎる気がすると思った。
ここも最後か・・・。とふと、口から漏れた。
帰りは急ぐ旅でもないので、信越本線で碓氷峠越えで帰ろう。
長野駅の構内で懐かしい美子とふたりして頬ばった想い出の染み込んだ「おやき」を昼飯に買い求めた。 美子の分も・・。
駅構内の時刻表の案内板を頼りに信越本線のホームに向かった。
もう、ここに戻ることはない。 ホームにはすでに列車が入腺していた。
遠望する山並みの晩秋の彩の深さは眼に沁みるようだ。 もう、戻らないと別れを告げた。
終わり
「前作品も含め、お批判をコメント欄に頂ければ幸いです。