秘密のあっこ 気まぐれ日記

アクセスありがとうございます。元気を持ち帰っていただけると嬉しいです。いつでもまたお越しください。あっこ 
   

73話 「自分」を出す文章

2007-09-29 | Weblog

おととい文章の学校行った。講義も半ばに入り、佳境に入ってきた。

今までの授業は、どちらかというと「ライター」としての文章を書く勉強だった。

来てくださる講師の方も、ビジネス誌のライター、取材ライター、雑誌の編集長・・等々。

商業的日本語を正しく使い、情報やデータ的なものを、人に上手に“伝える”文を書くための課題をこなしてきた。

しかし、後半からは少しずつ、文章に個性を出す、「作家」風な文章の書き方の講義になっていく。

今回はエッセイストの方が講義をしてくださった。

その講師の方は、街を歩きながらエッセイを書いていらっしゃいます。

街を歩きながら、どういうところに視点を持っていくのか、街は何をアピールしてくるのか、街のにおい、声、気を拾うためのコツなどヒントをたくさん教えてくださいました。

そして何よりも印象的だったのは、街を生き物として捉え、自分を透明化することによって、街に何かを書かせられる、とおっしゃっていたことだ。その感性はすごいなあ、と思う。

そして課題が出た。どこでもいいから街を歩いてエッセイを書いてくるように、とのこと。

その文章の中に「自分の視点」を入れていくことが、今までの課題との大きな違いだ。

今までの課題を余裕にこなしていたプロのライターや編集者のクラスメートたちが、意外なことに動揺していた(笑)。

そういう風に「自分」を入れる文章を書いたことがないから、 どうすればいいんだろう~、って。

私は書くことに関しては、本当に素人中の素人。だから、とにかく講師の方々のおっしゃることを、そのまま鵜呑みにしてみようと思っている。

さて、明日からパリに行くので、今回は、パリの街をただただ歩き続けてみようと思う。

街が、何を自分に訴えかけてくるか、楽しみだ。

 

エッセイの講義を何回か受けた後、小説の授業も待っている。

え~!小説・・って感じである。

以前、ホテル勤務も経験している私はよく、「ホテルにも勤めていたことがあるなら、ミステリーとか書けるんじゃない?」なんて言われるが、冗談はよし子さんである。

まあ、取りあえずは楽しみながらやりたい。

 

さて、「書いて暮らす」の11月発売に向けて、藤田先生の取材の原稿も、同時進行している。

苦しかった(!)テープおこしを終え、今度は構成に頭をかきむしってる。

今までQ&Aというと、そのままテープの内容をそっくり本の上に写しているものだと思っていた。違う。甘かった・・

そのアンサーを通して、取材した方のドラマを読み手に伝えなければならない。

しばらく唸り続ける日々が、続きそうだ。

 

昔、小中高校生の頃は、作文や日記などを強制で書かされ、大嫌いだった。

大人になった今、自分でお金を出してまで、こんなことをしているのが、楽しくもあり、不思議だ。

私の周りでも、今、会社を辞めて留学し、英文会計の資格を取ってくる決意をした友人あり。また、バンクーバーに住み着いて、カメラで自分を表現したい、と頑張っている友人あり。

そのパワーには驚かされる。

ぼやぼやしちゃいられないや。私も頑張ろう、っと。                 

 

 


72話 藤田先生の音楽ブログ

2007-09-26 | Weblog

藤田徳人先生が、音楽ブログを始められた

今までの医師や作家さんの時の雰囲気とはまた違った感じ。

音楽業界の新しい風を感じます。

そして、先生の書く詞は、奥深い。

今後の活動が楽しみです。

   OOOOOOOOOOOOOOOOOO

       ↑ここに先生のブログのURLを貼っていました。

    先生のブログに現在、1日300人がアクセスされるそうです。

    せっかく最初に来てくれたこの300人のメンバーの憩いの場所にしたいとのこと。

    これ以上今は人が入らないように、このメンバーを大切にしながらいきたいので、貼っていた

    外部のリンクを外しますとお知らせありました。

    ですので、私も外します。もし私の知っている方で、お気に入り登録

    忘れた方、私信にてお知らせくださいね。URLお教えします。 ( 10月24日 )    あっこ

                            

 


71話 編集者マグナカルタ九章

2007-09-21 | Weblog

昨日文章の学校に行って、まず私のしたことは、クラスメートに“テープおこし”の大変さを訴えたことだった。(取材で録音した会話を、文書にすること)

クラスメートの中には、プロのライターや編集者がいる。本を既に何冊も出している人もいる。

取材経験者はみんな「よ~く分かるよ、初めはみんなこれに泣かされるんだよ。うんうん。」と慰めてくれた。

実は相当大変だった。2時間の藤田先生のインタビューを無事終え、ホッとしたのもつかの間、この作業の大変さに舌を巻いた。

だってまる3日くらいかかったよ・・

最初は良かった。笑い声の響くテープを聴いて、また笑ったりしていたが、だんだんその余裕がなくなっていった。

やってもやっても終わらないこの作業にキレそうになり、愚かなことを考えた。

何とか、楽にできる方法、あるに違いない。ふん。

実は恥ずかしいことに私は3日前くらいに、この件で、メーリングリスト仲間にメールしたのだった。

その仲間は以前講師として数回教えに来てくださった先生を中心に、ここの学校の修了生で出版業界で働いている人や、現役生のみんなでメールや情報共有ができるところだ。

そこで私が聞いたことは以下の通りだ。・・・あ~~もうはずかしい。

テープおこしって、みんな本当にまともにやっているんですかあ???そんな訳ないですよねえ、こ~んな大変なことを。

実は私が知らないだけで、音声を認識してくれるソフトがあって、それでみ~んな取材した会話を文書にしているんじゃないんですかあ~。それとも私の要領がわるいだけ?

おしえてください♪」というノー天気なものだった。

                        

すると、今まで1400人の方々のインタビューをご経験されたプロの取材ライターで、かつての講師だった方がレスしてくださった。

「そんなものはないです。」      ・・・が~ん

 

で、そのあと、素晴らしいアドバイスを下さった。

「インタビューの力は、テープを起こした本数に比例する」と自分も駆け出しのときに教わったということ。当時は、「はい、はい」と適当に聞いていたが、今にして思うと、これはそれなりに正論だ、とのこと。

テープをおこしながら、どこでどうよかったのか、悪くなったのか。


インタビューは同じ過ちを繰り返す(失敗した質問は、次回もたとえ違う人を相手にしても繰り返すのだそうです。)


そして、そのプロセスの中でしか力は身につかない。その繰り返しの中でどれだけ自問自答をしながら、できるか大切。
この質問でいいのか、こんなことを聞いたから話が折れてしまったのか、と考えながらやるこのテープおこしに意味がある。。。

地味な仕事ですが、「本物の力」を身に付けるためには絶対に大切です。

頑張ってください。

・・そうだったのか!   

そういえばそうだ。テープ聞きながら、あ、もっとここ、突っ込むところだった、とか、様々な反省をしていたところだった・・。そして、私のあいずちの下手なこと。

エース狙えのおかひろみの心境であった。(単純すぎ?)

 

こういうアドバイスは本当にありがたかったです。Y先生、ありがとうございました。

 

さて、今回の講義は、世界中の男性なら嫌いな人はいない「PLAY BOY」という雑誌がある。その編集長の方が来てくださった。(週刊プレイボーイでなく、月刊の方)

月刊PLAY BOYの記事って、内容が充実していて読みごたえがあってビックリした。今までのイメージは、やはり女性のヌードが先に来てしまうだけに・・。

そして取材のこと、読むべき本、有名なライターの話等、心の肥やしになる様々なことをたくさん教えてくださった。

こういう人たちに話を聞くことができるのは、本当に人生の中で宝物だと思う。

そして、最後に、芥川賞作家だった開高健さんが掲げた「編集者マグナカルタ9章」というものを教えてくださった。編集者に向けてではあるが、他、ライターなどこの業界にいる全ての人にむけられた言葉だろう。

ひいては、濃い人生を送りたい人間へのメッセージとも言えるなあ、と思った。

眼をかっと開いて、心から一つ一つの意味を噛み締めながら、読んでくださいませ。

 

    《編集者マグナカルタ9章》

       読め

       耳を立てろ

       眼を開いたままで眠れ

       右足で一歩一歩あるきつつ、左足で跳べ

       トラブルを歓迎しろ

       遊べ

       飲め

       抱け。抱かれろ

       森羅万象に多情多恨たれ

       補遺一つ。異性に泣かされろ。

  上の諸原則を毎食前食後、欠かさず暗誦なさるべし。  開高 健 

 

私も毎食前食後、心の中で暗誦しようかな♪  

                                       


70話 ブラジル・サンパウロの街

2007-09-19 | Weblog

69話と前後するが、先月末から今月上旬まで、ブラジル・サンパウロの街にいた。

余暇は部屋でゴロゴロしながら、取材する可能性のあった方々の本を読み漁り、資料を整理したりしていたが、1日だけ、しかもほぼ24時間スルーでサンパウロの街を堪能した。

旅に同行したH氏が、非常にサンパウロの街にお詳しく、全て計画を立ててくださったのだ。

写真左のH氏は、それはもう・・サンパウロの街を闊歩すれば、通りかかるブラジル人女性がみんな振り向き挨拶してくるわ、ハグしてくるわ・・・そんな、ちょいわるオヤジの代表のような方だ。(笑) 

      

朝、9時に「ダブルデートしよう♪」とのお誘い電話があり、OOKOちゃんと私はいそいそと支度をして、H氏とK氏とともに街に出た。手をつなぐくらいの勢いで(実際にはつながないが・・)、ウキウキわくわく足取りは軽かった。

バスに乗り、アナローザという駅まで行き、そこから南北線だか東西線(どっちだったか忘れてしまった・・)に乗ってリベルダージュの街まで出た。

ここはちょっとした商店街でレストランも多く、そこでおいしい中華を食べた。水餃子とシンプルなカレー味のヤキそばがおいしくて、昼間からビールも飲んだ。

あ~明るい昼間に飲めるって、な~んて幸せなの?いい具合に酔ってしまった私たち。そしてタイミングよくH氏が予約してくださったタクシーに乗り込む。1時間ちょっとでエンブ―という街へ。

このエンブーという街は、素敵な家具屋さんや雑貨屋さんがたくさんあり、一軒一軒見てまわりましたが、中でも特に印象に残っているのが、バラのシャンデリアやミラーを売っている家具屋さん。

そして、おみやげものを売っているお店で見つけたブラジルの泥人形に、哀愁を感じてしまいました。

    

    

お茶もしたりして、夕方までエンブーの街を楽しみ、夜ご飯はまたリベルダージュに戻って今度はお鍋。またまたお酒を飲み、また酔っ払ってしまった。

朝から出掛けているので、体はクタクタなのに、ノリでナイトクラブにいこうということになり・・

男性メンバーはH氏と今度はk氏に代わりT氏登場。そして女性メンバーは変わらず私とOOKOちゃん。

さて、これからはH氏のお庭・・。H氏の知っているお店を2軒も梯子した。

1軒目、ナイトクラブに入ると、もう男目線である。お店にいるブラジル人女性のどの子が好みか、じろじろ。

笑えたのがH氏ったら、お店の人に冗談で「我々は今回、自前で(!)女性連れてきているから、女性はつけなくていいよ。その分安くして!」とおっしゃっていたことだ。

もう・・H氏とT氏に申し訳ないなあ~、と思う私。だって、こんな仲間モードの女たち(私とOOKOちゃん)だと、もう男同士のつきあいみたくて、ホステスさんの代わりにはなれないだろうね。 

許して頂戴。でもその分、色気はないけど楽しく盛り上げるからね。

そして年甲斐もなく、ステージに上がり、キューティーハニーを歌ってしまいました♪

H氏は、何人も、挨拶代わりにハグしてくる女性たちの対応に追われていました。さすが。そしてT氏はとってもシャイな方で、それを横目で見つつ、でも握手どまりでした。(笑)

 

2軒目は、今度はそのお店の社長さんが接待してくださいました

まるで芸能人のようなオーラを持った方で、H氏とは長いお付き合いのようでした。

ところで、ここのお店ではなんと信じられないことに私はどうやら、違う席の男性からお店の女の子と間違われ、ご指名がきてしまったのだ。

日本人は若く見られるのかな?

向こうの席からWINKしてくるブラジル人男性がいたので、負けずにWINKを仕返してみた。すると、今度は投げキッスをしてくるではないか。同じ事を真似してみた。そしたらどうやらお店の女性と勘違いされたみたいで、そういうことに・・

それが分かった時、私は自らそのテーブルにつかつかと行きましたよ。そして言いました。

「私はお・きゃ・く!」   あの苦笑いをしていた男性の顔は忘れられないよ。 ・・・はあ~。

するとまたまた今度は違う男性が擦り寄ってきた。もう客なのか店員なのかも分からない、赤いTシャツを着た男。ハグしてきて顔をものすごく近づけてきて「ナマエ、ナンテイウノ?」とたどたどしい日本語で聞いてきた後、「ボクノメヲミテ」。

見ると、その赤T男の目は見事に充血していた。そして仕上げに「キミノコト、ダ~イスキ!」だと・・・。(呆)

もう勘弁して!ラテンの男性は、女性は口説かないと失礼だくらいに思っているよ、ホント。登山家のようだね。そこに女性がいたから口説いた・・って感じだね、こりゃ。

で、私は引っ掛かりが悪いと察したのか、その赤T男、数分後は今度は違う女性をハグしているではないか。きっと同じ事を言っているに違いない。

マリーアントワネットのようだね・・・パンがないならケーキを食べればいいじゃない、って感じだね、こりゃ。

あきれ果てている私を見て、H氏、T氏は笑っていた。OOKOちゃんは社長さんと、話がだいぶ盛り上がっていた。

そんなこんなで朝の6時までそのお店で過ごし、ホテルに帰って爆睡したのでありました。かなりはじけたサンパウロの夜でした。

 

一緒に出掛けた皆さん・・楽しいサンパウロの思い出、ありがとうございました。

Hさん、「今度うちの息子とデートしなさい!」っておっしゃっていたけれど、どこまで本気なのですか?

Tさん、この次の時に偶然お会いしたのには、驚きましたよ。時間がなくてお話できず、残念でした。

OOKOちゃん、OOKOちゃんがいてくれたおかげで、本当に楽しく過ごせたよ。次回もよろしくね。

 

                                     ではでは、またね。 

 

 


69話 藤田徳人さん

2007-09-16 | Weblog

14日、藤田徳人さんの取材に行ってまいりました。その報告をしたいと思います。

この日は、今まで尊敬していてお会いしたかった方とお目にかかることができたので、生涯忘れることのできない思い出深き日となりました。

藤田先生のファンの方が偶然でも、このブログを読んでくださると嬉しいです。

取材は、弊社の(・・といっても私は生徒ですが)編集長(女性)、カメラマン(男性)と私の3人で伺いました。私は取材ライターとしてです。普段着慣れないスーツを着て出掛けたのは、何年ぶりだったでしょうか。

 

初めて先生にお会いして挨拶を交わした時の印象は、とてもさわやかな方でした。

先生は、ご自身でもおっしゃっていますが、強いオピニオンを発する方なので、ファンの人たちは先生を崇拝していますが、それと対をなすアンチの存在もあります。

でもお会いしてみたら、心優しい方でした。

取材は、先生のオフィスにて、2時間に渡って行われました。

取材が和やかなムードでできるように、といったお気遣いを、ところどころで感じずにはいられませんでした。更にもっと打ち解けると、途中から、先生のオフィスにみんなの笑い声がずっと響き渡っているほどでした。

私が先生にお話を伺っている間、カメラマンと編集長は先生の愛用品やアーティストを感じさせる物、先生が読んでいらした文献等、様々な写真を撮っていました。

今、「テープおこし」をして、笑い声の響く収録した会話聴きながら、取材をOKしてくださった藤田先生に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

実は、先生に取材を申し込む時、色々悩んだのです。そのお話のいきさつを・・。

私は先月末から今月10日まで、ニューヨーク経由でブラジルに11日間行っていたのですが、その間、ショックな出来事がありました。

先生は現在、お医者さんと作家活動をお休みしていて、昔から大好きな音楽でのブレイクを試みています。

先生は、「昔から音楽業界では芽が出ず、自分は苦しんでいる。自分は普段から、人間行動学を語り、夢の実現の仕方を偉そうに書いているが、書いているだけでは、人を納得させることはできない。だから、音楽業界では今、負け組みだけれど、少しずつ上り詰め、いづれは成功し、夢の実現の仕方を実際にみんなに見せることによって、負けている人たちを勇気づけたい。」という夢をお持ちなのです。

そして、ファンの人がアクセスするブログに、自分の書いた詞をお載せになっていたのです。

ところが、心無い人っているんですね・・その詞を替え歌にして、茶化したアンチがいたのです。先生は「せつない」という言葉と理由を書き残して、ブログを閉鎖してしまわれました。

歌詞って、魂と心をこめて作ったものですよね。しかも、真剣に取り組んでいる人にそんなことをするなんて、私も許せませんでした・・それを知ったのは、サンパウロに泊まっているホテルのPCから、そのブログにアクセスした時のことでした。

普段から、先生のブログにコメントしていたので、もしかしてハンドルネームくらいは覚えてくださっているかな、と思って、メッセージをローマ字で送信しました。日本語では打てないPCでしたので・・。(苦笑)

そしたらなんと、先生が直々にお返事を下さったのです。それもローマ字で!

「励ましの言葉をありがとう」という内容と、そして最後に、「僕はローマ字でなくても大丈夫だったのですか?」という内容でした。

もう、その時の私の驚きといったら・・。また私は返事をローマ字で書きました。先生から直々にメールをいただけたことのお礼、そして先生は普通に日本語で打ってくださって大丈夫です、きっと私が万が一読めないとかわいそうだと思って、ローマ字で打ってくださったんですね!という内容のものでした。

すると、先生は、メールを再び下さったのです。そして、ご自身が今作っている歌の曲を添付してくださったのです。「是非お時間あるときに聴いてください。ブログの件は残念だけれど、また今度は音楽ブログを配信する予定です。また、そこで会いましょう!」というメッセージでした。今度は日本語でメールくださいました。(笑)

日本に帰った後、その曲を聴き、感想を書きました。それだけを書いて、取材依頼はやめようかな、と思っていました。

なぜなら、そんな事件の後、ズカズカと土足で先生にお話を聞かせてくださいなんて言うのは、あまりにも無神経な感じがしたのです。

でも考えに考えた挙句出した結論はこうでした。

私の所でこの企画を握りつぶすのでなく、どんな趣旨の取材か、先生に内容だけはお伝えしようと思ったのです。やはり先生に決めていただこうと・・。

そして、この取材依頼は前々からの企画であること、先生の今のお気持ちを尊重したいということを、曲の感想とともに、勇気を持って書いて送りました。

すると、本当にすぐ、お返事くださいました。

取材をお受けしてくださること、そして、その事件は皆さんが心配するほどのものでは全然なく、今は曲作りに集中している、といった内容でした。

言葉にできないほど、嬉しかったです。

先生は、私がメールであまりにも喜んでいたので、そんなに喜んでいただけるなら、取材、サービスしますよ、(色々と話しちゃいます、という意味)とまでおっしゃってくださいました。

そしてお言葉通り、笑いを交えながらも、取材の質問には一つ一つ真剣に答えてくださいました。

また逆に、先生のユーモアで、私が突っ込みを入れられたも所ありました。(笑)

そして、普段なら、あまり口外されないだろうな、と思われるような、貴重なエピソードもお話くださいました。

強気な藤田先生ワード、炸裂でした。私を含めたファンは、きっとこの藤田先生の強気と自身に満ち溢れた言葉が聞きたいのだなあ、ということを、改めて認識させられました。

最後に撮影したのは、初めて先生がギターを持った写真です。今まで作家さんのお顔しか公開されていなかったので、音楽でブレイクしたらお宝写真になるなあ、と思います。

多彩なアーティスト魂を持った先生を、私はずっと応援していきたいと思っています。

 

さて、これからまたテープおこしの続きをしようと思います。

今後も、この取材が本になるまでの経過を書いていきたいと思います。

11月発売になりそうですが、藤田先生のファンの方は楽しみにしていてくださいね。

 

あと、残念ながら齋藤薫さんは、現在は取材を受けつけていらっしゃらないとのことでした。

執筆に専念されていらっしゃるとのこと。ものすごく感じの良い秘書の方から、本当に、何度も何度も電話で取材をお断りすることについて謝罪されていて、こちらの方が申しわけなるほどでした。

きっと、秘書の方は齋藤薫さんがもちろん選ばれた方なので、当然のように素敵な方なのだろうなあ、と想像してしまうほどで、断られても、全然こちらが嫌な気持ちにならない、素敵な電話対応をされる方でした。

奥田英朗さんは現在、予定していた作家さんから取材をお断りされてしまったクラスメートが、トライする予定です。

みんな本気です。

 

前後しますが、ブラジルでの夜の話、次にアップします。ではまた。                    

  


忙しくて・・

2007-09-12 | Weblog

いつもアクセスありがとうございます。無事帰国しております。

ブラジルに行っておりました。サンパウロの町では、朝から夜、そして朝までスルーで遊び、ナイトクラブでかなりはじけました。

同行した方々と、本当に楽しい時間を過ごしました。(H氏、T氏、K氏、OOKOちゃん、色々と楽しい旅の思い出をありがとうございました。)

早くブログにアップしたいのですが、時差にたそがれている暇もなく、取材の段取りにおわれております。。。

そう、ご報告が・・・・取材したかった藤田先生に、取材OKのお返事、もらうことができました!!14日、先生のオフィスに、カメラマンと、編集者と行って参ります。(約束をとり付ける時、ちょっとしたストーリーがありました。今度お話します。)

 

斉藤薫さんは、お返事待ちです。

今のところ、お2人の取材を予定しています。

 

本当にいつも遊びに来てくださって、ありがとうございます。

取材、頑張ります。今しばらく更新できないと思いますが、今後ともよろしくお願いします。

                秘密のあっこ